2.

 クマソ氏に出会ったのは、三年前。

 父に見捨てられたわたしが、美大に通いながら、制作に没頭していた頃だった。


 作業所ラボ。わたしに、父が最後に与えたもの。体のいい隔離施設。

 そこにもう、何年もしがみついていた。

 愛情は既に消えている。いやそんなもの、始めから無かったのかもしれない。

 残ったのは、ただ欲求。

 使命感と言い換えてもいい。

 作らなければ……満たさなければ、という衝動。

 しかし、その感情の輪郭は曖昧だ。作る……だが、いったい何を? 満たす……いったいどこを? 目的も着地点も見当たらないまま、突き動かされる感情に従って、わたしは無軌道に、無秩序に、思いつくまま、作品を作り続けた。

 海馬を刺激して、苦痛の記憶のみを繰り返し体験させる装置があった。

 死産した胎児の肉片を組み直し、擬似体液で生命活動を再現した肉人形があった。

 人に感染し、特定の感覚や感情を繰り返し増幅させる生体機械群バイオマシンがあった。

 脳を変質させ、五感を映像と結びつけた幻覚を励起する薬品類があった。

 作品の完成度は、どれも高いとは言い難い。法に触れるため、表にすら出せない。稚拙な衝動の未熟児たち。だから飢餓感は創れば創るほど増していくばかりだった。

 それでも――それでも、何かが見えてきそうな気配があった。磨りガラス越しに映る目標。磨くほどに、その輪郭は明瞭になる。

 いつの日からか、その姿だけが、いつも脳裏にあった。同時期を生きるあらゆる藝術家たちと同じように。


 カリス・プロジェクト――機械知性による、あらゆる藝術の排出装置。


 美を司る女神の名を冠された計画。

 二〇四五年にはじまり、二〇五〇年に産業として結実した創発AI。

 今やそれは、あらゆる藝術・エンタメ分野を席巻しつつあった。

 絵画・彫刻・デザイン・文章・誌・音楽・映画・アニメ――

 多くの企業が、データベースにアクセスし、意匠や作品を引用していく。開発チームはその対価を受け取って、カリスの創造性を強化した。彼女の創作はますますスピードを上げ、さらに微細な藝術のバリエーションを生み出してゆく。

 ……藝術とは、突き詰めればつまり、テーマ・モチーフの選択と、その表現に向かうための技法の組み合わせに過ぎない。

 そこには無限のバリエーションがあるように見えて、実は一定の文脈コンテクストに従ったものでしかないことを、そしてさらに突き詰めれば、それは人々の需要や評価、現状への批判性といった基準を枷とした一種の複雑系に過ぎないことを、カリスは看過してしまったのだった。

 例えば、自分が発表しようとした作品が、とっくの昔にデータベースへ登録されていたらどう思うだろう? さらに、そのコンセプトについてのあらゆる派生ヴァリアントや、その作品自体への批判、さらにはより洗練された発展系までもが登録されていたとしたら?

 所詮機械が作ったものと、鼻で笑うことすらできない。それは自らの想像力がだと、認めてしまうことになるからだ。


 藝術家たちは二つのグループに分かれた。


 一群は、カリスの手足となって働く人間たち。

 彼らは主に企業に属し、カリスから引用したデータを自身の名で発表する。いわば単なる広告塔としての存在。彼らの来歴やキャラクターは入念なマーケティングに基づいて構築され、彼らはそれを忠実に演じることで、クライアントのデザイン効果を喧伝し、売り上げを伸ばす。

 彼らの報酬は……一般人以上の贅沢ができる金銭。自分で手を動かしている、という実感。そして、「自分の名が残る」という自負。

 彼らはご立派な服を着て、皆同じような『売れる』作品を作り、そして胸をそらせて言う。


を作るかが大事なんじゃない。が作るかが大事なんだ」。


 ……もう一群は、絶望的だと分かっていても、カリスに挑む人々。

 彼らはカリスの裏をかき、システムの穴をついて、人間の手による創作を実現しようとしていた。カリスに代わる新たなアルゴリズムを作ろうとする者、倫理的に実際に制作できない作品をあえて作ろうとする者、さらにカリスを破壊しようとする者……。その性質上、彼らは一般社会からは受け入れられず、時に危険な存在と見なされていた。

 そしてあの日、わたしの前に現れた男は、後者に属していたのだった。


「なるほど。粗削りではあるが、その分、思い切っている。これは将来が楽しみですねえ」


 いつのまにか、男は作業所ラボの入り口に立っていた。セキュリティを呼ぼうとするわたしを制し、父の友人だと、穏やかに名乗った。


「いやいや、お父上にはよくお世話になっておりましてなあ。一人娘が制作活動を続けているというから見に伺ったのですが、まさかこれほどまでとは」


 父のことは何も知らない。友人がいたのかどうかも。

 男は中年太りの体躯をゆすり、暑くもないのに汗をかいて、柔和な笑顔を浮かべている。だが、その目の奥に冷たい光が宿っているのを、わたしは見た。父と同じ目。なるほど本当に父の友人なのかもしれない。似ているという意味では。

 そう思った。


「しかし、いささかもったいなくもありますな」


 黙りこんでいたわたしに構わず、男は芝居じみた声をあげる。


「貴女の感性は確かに素晴らしい。素晴らしいが……それを表現するための設備や機材は充分ではないように見受けられる。違いますか?」


 少し悩み、やがて頷いた。彼の言うことは正しい。この作業所ラボは、決して時代遅れというわけでもなかったが、それでも足りないものが多すぎた。

 技術的にも、倫理的にも。


「よろしい」


 彼は胸の前でパチンと手を叩く。


「では、提案しましょう。我々の研究室にいらっしゃいませんか? 貴女をクマソコンツェルン亜細亜第七支部の一員としてお迎えします。貴方が望む環境も、合法非合法にかかわらず、いくらでもご用意しましょう。申し遅れましたが、私、支部長の熊襲出彦くまそいでひこと申します。……我々の会社については、わざわざ説明するまでもありませんね?」


 わたしはその勢いに気圧されながらも、また黙って頷く。クマソコンツェルン……その母体は軍需企業。技術的特異点シンギュラリティ以降にいち早く機械知性を導入して巨大化し、今や国家の三要素を飛び越え事実上デ・ファクトの国家として承認された超巨大企業……カリス最初期からの大口スポンサーの一つとしてもその名は広く知られていた。

 だが、なぜ、とわたしは聞く。

 なぜわたしに?


「もちろん、タダでというわけには行きません。一つ条件があります」


 クマソ氏は満面の笑みを浮かべた。


「年に一度開催される、『品評会』への参加をお願いしたいのです」


「品評会?」


「そう。貴女を含めた才気溢れる藝術家たちが、一切の情熱を注ぎ込んで五感に訴える最高の藝術を作り上げる。それを、私を含めた審査員たちで品評し、評価し、最も優れた作品を決め、残すのです。分かりますかスナドリさん。わたしたちはカリスを倒したいのです。かの機械知性どもから、尊い藝術を、人類の手に取り戻したいのです。我々なら、あらゆる倫理を、権力で無視することができる。我々なら、あらゆる技術と設備を整えることができる。これは大いなる力を持った我々の、人類に対する使命なのです」


 彼はそこでいったん口を切り、ですが、と鷹揚に手を振る。


「もちろん! そこまで硬くなる必要はありません。要は、貴女が素晴らしいと思うものを、何の制約もなく、思う存分作っていただきたいのです。我々はそれを全力でサポートするという話でして……」


 それからもクマソ氏はこまごまとした説明と説得を続けた。

 わたしはといえば、上の空でそれを聞いていた。


『大いなる力を持った我々の、人類に対する使命』


 ただその一言が、頭の中で幾度も回転し、少しずつ沁みこんでいく。

 わたしがぼんやりと思い浮かべていながらも、形にならなかった欲求。

 沈み込んだ言葉の後から、様々なイメージが次々と浮かび上がる。

 わたしは唐突に自覚した。

 そうか。

 これがわたしの、求めていたものか。


「スナドリさん。この話、お受けしていただきますか?」


 クマソ氏の問いかけに、わたしは迷わなかった。

 彼の言う『品評会』は、まだ準備中だった。だから、大学へは今までどおり行った。通いながら、クマソコンツェルンの庇護の下制作に没頭し、卒業後に晴れて開かれた『品評会』に、第一回から参加し続けている。半年ごとの会は、今年でもう六回目を迎えた。

 今、わたしの手首の裏には、社員証が埋められている。

 それは皮下に埋められた極小のICチップで、わたしの個人IDとパーソナルデータが収められている。体温と血流を利用して発電を行い、各セキュリティシステムとの交信を行っているのだ。

 それはいわば、首輪であり、焼印。わたしがクマソ氏の同志であり、また、クマソコンツェルンという巨大企業の所有物であるという。

 だが彼らはまだ、知らない。わたしが目指すものを。

 

 教えるつもりもない。

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