3.

「皆さま、ご参加ありがとうございます。早いもので、この品評会も第六回となりました。作家の数もますます増え、今回は過去最大となる百二十人を数えております。この盛況ぶりに、主催者として感慨を禁じえません。数が増えたとは言え、参加者の皆様はいずれも才気あふれる一流の藝術家ばかり。今回もまた、新時代を切り拓く素晴らしい作品が誕生することを期待しております――」


 クマソ氏のスピーチが、延々と続く。


 過去はずいぶん閑散としていたはずのホールが、今は息苦しい。わずか三年で、会がここまで大規模になるとは思いもしなかった。それとなく参加者たちの顔を見回してみる。いくつか見知った顔と視線がぶつかったが、大半は覚えがない。

 

 彼らの属性も、いつも通り、脈絡がなかった。人種年齢はもちろん、中性者ヘルマもいれば身体拡張者エクステンドもいる。拡張のレベルも、腕を一本余計に生やした程度から、身体全体を別物に置き換えたものまで様々だ。

 額を舐める視線。送り主は分かっている。壇上で喋っているクマソ氏が、時々わたしの方を見ているのだ。

 彼がどんな表情をしているかは、見ずとも分かる。額の汗を拭き拭き、やや肥満気味の腹を揺すって慇懃に挨拶をしながら、押さえ切れない浅ましさを滲ませているのだろう。目をかけてくれるのはありがたいが、今にも舌なめずりの音が聞こえてきそうな無遠慮な目線は、あまり好きではなかった。


 さらに、背中に視線がもう一つ。

 刺すようなその気配にも、覚えがあった。


 汚泥のように続くクマソ氏のスピーチを無視し、その場を離れる。一応の義務感からこのスピーチに参加したが、もうそろそろ限界だ。

 大扉から玄関ホールに出る。ドアの両脇に立つ警備員が一瞬うろんな視線を投げかけたが、相手がわたしと分かると、何も言わずにまた前を向いた。

 視線は、まだ背中を追っている。それに気付かぬ振りをしたまま、外に出た。

 廊下の冴えた空気が肌を刺し、不快な汗がたちまち拭われる。後ろでドアが閉まると、スピーチの声が遠くなった。

 扉の左右には、細い通路が延びている。このメインホールをコの字型に取り囲む形で、廊下がめぐらされているのだ。

 わたしは大扉から向かって右側の廊下に入る。

 その中ほどに、ドアが一つ。

 参加者控え室だ。

 白い壁面に、手を当てると、ドアが横に滑った。

 部屋の中は静かで、そしてシンプルだった。過不足のない明るさの白色光。余計な装飾のない灰色の壁。胸焼けがするほどの自己主張で溢れたこの建物の中で、唯一、何も主張しない空間。

 わたしの作業所ラボにもどこか似ていて、心が落ち着く。

 室内の間取りは、見取り図でみれば細長い長方形だ。入ってきたドアは、部屋の長辺を正確に二分する位置にある。ドアの両側には長い通路が延び、スチール製のロッカーが行儀よく並んでいた。正面の奥行きは両翼と対照的に狭く、大股で三歩ほど歩くとすぐ壁に行き当たる。そこにはカウンターと簡素なスツールがあり、何のためかは分からないが、鏡がしつらえられていた。

 椅子に座る。

 彼を待つまでの間、ひとつ準備をしておくとしよう。

 懐に手を入れ、手に触れたひやりとしたものを引き出す。それは透明な煙管だ。もう一度懐に手を入れ、今度は中が透明な液体で満たされた、小型のカートリッジを取り出した。

 煙管の先端を回して取り外し、中にカートリッジをセットする。先端を戻して、もう一方の端を、口に含む。

 軽く吹かすと、温い蒸気が喉の粘膜を濡らした。

 ほどなくして、視界が左右に揺らぎはじめた。そして万華鏡のように分割され、くるくると回転する。微かな耳鳴りがしたと思えば、それは引き伸ばされ、千切られ、不規則に波打って、鼓膜の奥を行き来する。

 これまでにも何度も、『パイプ』を使ってきた。

 最初は、作品作りの発想を得るために。次に、作品を作る環境を整えるために。最後に、作品の進捗を確認するために。

 それは、脳の機能を増幅させる装置――。

 だが、それが現れるまでには、もうしばらく時間がかかる。

 正面のドアが、薄く開いた。外の無遠慮な光が薬で増幅され、わたしの網膜に突き刺さる。その向こうに佇む、がっしりとした男性のシルエット。


「やあ、スナドリ。今日も参加かい」


 キジマ。

 わたしと同じく、この「品評会」の最初期から参加している藝術家の一人だ。


「会場で見かけないと思ったら、こんなところにいたのかい。まあ、毎回似たような内容だし、退屈だからな。僕も今、ちょうど抜けてきたところさ」


 そういって笑顔を見せ、隣に座る。

 相変わらず、嘘をつくのが下手だ。

 会場で見回した時、彼と最初に目が合った。その後もずっと、刺すような視線を送り続けていたのも彼だ。スピーチを抜けたわたしを見て、追いかけてきたに違いなかった。

 黙っていると、彼は笑顔のまま、今度はわたしが口に咥えた煙管に目を向けた。


「また知性拡張剤ヌートロピックか。懲りないな、君は。相変わらずそんなレトロな道具を使っているのかい」


 わたしはまたも答えない。彼の笑顔が少し強張る。


「成分は何だい? アンフェタミン系かな。危ないなあ。そんな道具じゃ摂取量の調整もできんだろう。一歩間違うと廃人だぜ」


「そんなヘマはしないよ」


 実際のところ、これはピラセタムやらホスファチジルセリン、ニセルゴリンやらの合成物で、さらに手の込んだ工夫も加えてある。だが、わざわざそれを言う必要もない。


「まったく! クマソ氏に見出されるほどの才能を持っている君が、なぜわざわざそんな過去の遺物にこだわるのか、僕には全く理解できないね。調整臓器の方がずっと安全で、よほど楽だろうに」


 そんなわたしの内心を知ってか知らずか、キジマはさらに言いつのる。

 鼻で笑う。

 今度こそ、彼の表情が曇った。


「さっきから何がおかしいんだ。……僕は君を心配して言っているんだぞ」


「相変わらずつまらないな、君は」


「なんだって?」


 彼は純粋だった。

 軽くつついただけで、簡単に感情を露にする。

 その根底にあるのはは、自分の知る価値観を疑わない無邪気さと、それゆえコントロール出来ない物事への恐れ。調整臓器による“安全な”薬物使用にこだわるのも、その発露だろう。

 キジマの苛立ちは膨らんでいた。顔が微かに上気している。熟れた桃のような皮膚に爪先をうずめたら、ずぶずぶと埋まるだろうか。そんなことを、極彩色の意識の中で思う。


「いつもそうだ。君は人の忠告を聞き流してばかり……。この会に関してだって、そうだ。外にも活躍の場がある僕はいいとして、君はいつまでここに参加し続けるんだ? いくら才能があっても、世の中に認められなけりゃ意味がないよ。こんな危険で不道徳な会に参加したところで、メリットなんて何もないはずだ。分かってるだろう?」


 わたしは微笑む。頭の中が重い。感覚が水に包まれたように鈍くなる。

 どうやら本格的に効いてきたらしい。

 まくしたてる声が、遠くに聞こえる。全身の肌が逆立ち、視界が、聴覚が、嗅覚が、触覚が、何も感じていない味覚までもが、曖昧にぼやけて境界を失っていく。

口からまた、笑い声が漏れた。ふ、ふ、ふ。


「ラリってないで、僕の話を聞け!」


 キジマが声を荒げ、詰め寄る。

 その瞬間、視界に乱雑に散っていた光が収束した。

 電気が消えたように、世界が暗くなる。

 ついで俯瞰。

 座っているわたしとキジマを、別のわたしが天井から見下ろしている。

 さらに、拡張――

 視界が、五感が、どこまでも広がっていく。

 それは部屋の天井を突き抜け。

 この建物を抜け出し。

 さらに世界を包み込んで。

 やがて天高く、宇宙にまで飛び出していく。

 精神はなおも拡張。太陽系を、銀河を、多次元を、広がって、広がって、広がり続けて――そして再び、自らの皮膚に行き当たる。

 わたしの精神は肉体に帰った。身体の輪郭をなぞって、それを確かめる。

 だが、この五感はいまや世界を内包し、感覚している。

 視界に入る万物の輪郭が、鋭敏にそそり立つ。

 鼓膜を打つ一つ一つの音素が、鮮明に響きあう。

 鼻腔を漂う分子の鎖が、絡み合って脳髄を駆け巡る。

 毛穴を逆撫でるわずかな空気の流れに、身をよじらせる。

 舌先を濡らすわずかな唾液が、味蕾の一つ一つをつつき回す。

 気が狂いそうな感覚の奔流を、灼熱した脳髄が矢継ぎ早に処理し、方向を整える。それは大河のうねりのように、静かに力強く。

『脳を変質させ、五感を映像と結びつけた幻覚を励起する薬品類』

 大学の時に作った作品の一つ。その発展系。

 それが『パイプ』だ。

 キジマを正面から見据えた。彼はわたしの変貌にたじろぎ、うろたえる――そのわずかな仕草を感覚のうねりが翻訳し、彼の心中を明確なイメージにして知覚させる。爽やかな皮の下には、支配欲にざらついた甲殻。その表面からは錆臭い不安が沸き起こる。そして今、彼の奥で、熾火のような怖れがじわじわと広がり始めた。

 睨みつけるその表情は虚勢の張子。グレーの目は、熱し過ぎた硝子細工のように、欺瞞と猜疑で濁っている。前回会った時と違う色。体のパーツをアップデートしたのだろう。

 そして、彼の「声」が聞こえはじめる。

 意識が言語化される前の断片。

 記憶と感情のノイズ。

 それらを吟味し、辿る。

 ……なるほど、彼らが動き出した。キジマの仕上がりも悪くない。会場への仕込みも上々。

 すべてが予定通りだ。


「どうしたんだ。何か言いたいことがあるなら……」


 今更になってキジマが喋り出す。ああ、もういい。必要な情報は全て知り終えた。彼の口が喋る言葉に、用はない。

 さて、なんと言って場をおさめるべきか。少し考えたが、すぐその必要はないことに気付いた。ドアの向こうから聞こえてくる、通り雨のような拍手の音。スピーチが終わったのだ。キジマがはっとした顔で、ドアの方を振り返る。

 それから程なく、控え室に人がなだれ込んでくるころには、キジマはすっかりいつもの調子を取り戻していた。


「やあ、終わったのかい。いやいや僕も最後まで聞いていたかったが、急に腰が痛くなってね。少し休憩しようと思ってここに来たら、ちょうど彼女と鉢合わせたのさ。彼女は僕の古い知り合いでね、昔話でもと」


 そんな調子で、如才なく参加者たちに話しかけている。周りに群がる若者は、後輩か、あるいは単なる顔見知りか。黄色い歓心が霧のように立ち上がり、わたしに向けられる視線には、原色の好奇心が泥のように付着している。

 祁寺馬きじま孝。


「気鋭の新人」


「現代美術会の新星」


「異彩のアーティスト」


 いずれも、外での彼の肩書きだ。

 彼は多くのメディアに出演し、多大な人気を誇っている。作家・キジマと言えば、世の中で知らない人の方が少ないくらいだろう。美大を卒業して以来、斬新な作品で目覚しい業績を上げている天才作家――

 だが、それらは全て、彼と契約した企業が作り上げた一種の偶像に過ぎない。

 企業が人々の需要を予測し、ニーズに沿ったコンセプトを作り上げ、彼自身はただ、それを出力しているだけ。

 彼は賢しらに言う。


「作品が市場でいかに高く売れるか。その追求もまた、藝術の在り方だ」。


「大事なのはを作ったかではなく、が作ったかだ」


 だが、彼がいかに外で名声を得ようと、いくつもの勲章を得ようと、この場ではまるで通用しない。カリスに頼った者は、どこまで行ってもただの役者であり、傀儡であり、配給される一商品に過ぎない――それが、ここに来るものたちの常識。

 だから、古参でこそあれ、彼の品評会での評価は散々なものだった。どれだけの取り巻きを作ろうと、それは変わらない。分かっているのに、彼はまだ、外側の価値観を持ち込もうとする。それしか頼れるものがないからだ。

 どこまでも安易で、単純で、弱い……哀れな男。

 控え室に、続々と参加者がやってくる。なだれ込む会話、挨拶、囁き声――五感が拡張された今は、少し耳障りだ。

 キジマに形ばかりの会釈をして、立ち上がる。追いすがる視線を、無視した。

 ドアを開けようと手を伸ばしたとき、その横に立つ男が、わたしをじっと見つめていることに気付く。青白い肌をした、長身痩躯の青年。見ない顔だった。


「彼は醜い。俗というか、卑しいっていうか。醜い、醜い醜い醜い……」


 身長の割にかん高い声が、脈絡なくわたしに向けられる。なんだこの男は? キジマのライバルだろうか。彼の心を感覚しようとするが、グニャグニャと不定形で、いやに掴みづらい。


「はじめまして。はじめましてはじめまして。僕、ハミナといいます。……貴女のファンです、スナドリさん」


 男は馴れ馴れしくそう言って頭を下げ、部屋の奥へと歩いていった。

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