2.
出会った時の印象は、最悪だった。
大学三年の春。大学の先端映像科を専攻していた僕は、その中でも特に実験的な制作を手がけている教授のゼミへの所属を決めた。
その最初の講義で、一人、他の生徒から離れて座っていたのが、彼女だったのだ。
「君もこのゼミ? どうしてそんな端に座っているんだい」
声をかけたのは、単なる挨拶のつもりだった。引っ込み思案で、声をかけるタイミングを失っているのかもしれない。そう思ったからだ。
無感情な黒い瞳が、僕を一瞥し……そして、離れる。
沈黙。
初対面の人間に、こうまで明らかな拒絶をされたのは、初めてだった。
緊張しているのか?
「……つれないな」
笑いながらの一言にも返事はなく。だから僕は、彼女にそれ以上構うのをやめた。恐らく、あまり人と関わりたくないタイプなのだろう。別に、珍しくもない。
それからはしばらく、ぼくはゼミとレポートと制作に追われる毎日を過ごした。
課題は、毎週教授が指定したテーマに沿い、「カリス」のデータベースを検索、当時新たに追加された映像作品の中から3本を自分で選び、その作品に使われた表現と技術の分析、およびそれを元に小品を作るというもので、大学設備による補助を差し引いても、なかなかハードだったように思う。
しかし、やりがいはあった。絵画や音楽に比べ、映像は取り上げる要素が多い。「カリス」のデータベースにまだ穴があるならこの分野だと、多くの人が思っていた。だからこそ、僕はこの学科を選んだのだ。もっとも僕が卒業するころには、その余地も殆ど埋められてしまっていたのだが……。
ともあれ、他の同級生と比べても、一際熱心に制作に打ち込んでいた自負はある。
「珍しいよね、今時さ」
同じゼミの友人が、制作に没頭する僕によく言ったものだった。
学友たちの大半は、大学を卒業しても、働くつもりはないか、単純なアルバイトをして過ごすつもりのようだった。
まあ、確かにそれでも生活していける。各家庭には毎日充分な配給食が届けられるし、住居も代々の割り当てがあるから、生きていく分には困らない。ちょっとした贅沢をしたければ、アルバイトで小銭を稼げば充分だ。僕のように、卒業後も藝術家を目指す人間は稀だった。
「就職するにしてもさぁ、そんなに熱心に作る必要、ないだろ。どうせ制作は機械が全部やってくれるんだしさ」
そんなシニカルな言葉を、否定することはできない。
機械が万能になった時代――絵画に始まり、音楽や小説、そして映像、さらにジャンルを超えた混合作品にいたるまで、あらゆる創造物の殆どは、既にカリスのものになりつつあった。カリス――二〇四五年に生まれた、機械知性による創作データベース。データ量は指数関数的に増加し、その全容はとっくの昔に人類に扱える範囲を超えていた。
創作は人間だけのものだという考え方は、とうの昔に失われていた。だって、機械はすでに人間と遜色のない……いや、それ以上の作品を生み出すことが出来るのだから。模倣不可能な藝術というものはなく、唯一無二の個性は失われつつあった。
人のクセや作風は、突き詰めれば線や音素やしぐさや言葉が絡み合った、一種の複雑系だ。美術的特異点を越えた機械にとって、それらの要素もまた、方程式の解でしかない。それは人間には未だ翻訳も理解もできない方程式だったが、機械知性たちだけが、それを解く方法を知っていた。
僕ら創作者はいわば、検証作業をしているようなものだ。これはという作品を思い立ち、カリスのデータベースにアクセスする。その作品が遠い過去に登録されていることを知り、それどころか、その行きつく先までもが提示され―ー落胆する。
その繰り返しだ。
だが、僕らはまだ諦めていない。今も昔も、機械知性の主人は、他ならぬ人間たちなのだ。人一人の脳髄が機械に劣るなら、機械知性をマネジメントして、自分の能力以上の作品を作ればいい。需要に合わせたコンセプトをカリスから取り出し、それを自らの名のもとに世へ広めるのだ。
それは確かに、多くの人々が指摘するように、カリスからの引用に屈するのを都合よく言い換えただけのことなのかもしれない。
だが、僕は思うのだ。
今や創作は、何を作るかではなく、誰が作るのかを競うものだと。
事実、各企業はそうした考えにシフトしつつある。
誰しもがカリスから無限のリソースを得られる今、作品に差異をつけるとするならば、残されているのは創作者――つまり作り手が誰か、という部分に他ならない。
多くの企業が、スターを輩出していた。見栄えがよく、人当たりがよく、頭の回転が早く、広告塔として忠実な言動を守るキャラクターたち。そうした企業のために人材をマッチングする会社も現れており、僕もまだ三年生だというのに、すでにいくつかの企業から打診を受けていた。
自慢じゃないが、成績だって悪くない。もちろん藝術に明確な評価基準はないが、教授から高い評価を貰受けていたことは確かだ。
対照的に、スナドリは落ちこぼれだった。
彼女はいつもむすっとして。ディスカッションに積極的に加わることもなく、レポートも適当に済ませていた。まるで熱意はなく、授業態度は劣悪そのもの。なぜ彼女が校内屈指の倍率を誇るこのゼミに入れたのか、そしてその幸運を生かそうとしないのか、甚だ謎だった。
その上、彼女の作品といったら!
……それは常に暴力的で、倫理に反するものばかりだったのだ。
それは時に、人の死体を使った人形だったり、あるいは道行く通行人を虐殺するインスタレーションであったり、脳を違法薬物で改変して幻覚を見せるアートであったりした。――当然ながら、その全てはコンセプト段階で却下され、実際に日の目を見ることはなかったのだが。
彼女の創作姿勢は、いわゆる「人間派」と呼ばれるもの――つまり、カリスがコンセプトとして提示できるものの、法や倫理上の問題で実際には作れない作品を通して、人間らしさを表現しようとするものだった。
当然、多くの人には受け入れられていない。
「スナドリ、君のやっていることはまったくの無意味だ。君の作るそうした反社会的な作品は、既にカリスの仮想空間上では再現されている。実際にそれを作ろうとする行為は、君たちが思う『人間らしさ』を担保するものではないよ」
教授がいくら讒言しても、彼女は耳を貸さなかった。相変わらず黙ったまま、その涼しげな目元を細めるだけだ。結局教授は諦め、そして彼女は自分の創作姿勢を変えることはなかった。
凡庸で、成績も悪く、そのくせ反発ばかりしている問題児――
そんな彼女に、僕がいつから惹かれはじめたのか。今ではよく思い出せない。
ただ、そう。あの目だ。
いつも遠くの何かを見ているような、あの瞳。冷たい理知の奥に燃える、狂気ともいえる情熱の輝き。苦悩しながら自分の表現を追い求めようとする、その烈しい炎。
それがいつしか、僕の頭から離れなくなっていたのだ。
長い逡巡の末、僕はとうとう、彼女にアプローチをした。自分から女性に声をかけるなんて、信じられなかった。だって今まで、その必要がなかったから。当時付き合ていた交際相手と別れるのには多少手間取ったし、その過程で多くの人に驚かれまた忠告もされたが、まったく耳に入らなかった……つまりそれだけ、僕は彼女に心酔しきっていたというわけだ。
出会いがあれだけ険悪だったにも関わらず、意外にも彼女はすぐに応じ、それから程なくして、僕たちは交際を始めていた。
交際と言っても、それはまるで、中学生の恋愛みたいだったように思う。僕たちはよく大学の広場でランチをし、創作について語り合った。彼女は意外にも料理好きで、僕に手製の弁当を持ってきては、食べさせてくれた。
僕はよく、熱弁を振るった。自分の創作にかける思い、彼女の作品の素晴らしさ。そのストイックな創作姿勢についても、褒めて褒めて褒めちぎった。実際にはそんなこと思っていなかったけれど、彼女が笑うなら何でもよかったのだ。
「素敵ね……とても素晴らしいわ」
そう言って微笑む彼女の表情が、今でもどれだけ鮮明に残っていることか。
だが……僕らの蜜月は、唐突に終わりを迎える。彼女が突然、僕の前から姿を消したのだ。卒業してすぐのことだった。
連絡しても、全く繋がらない。他のつてをあたろうにも、彼女には僕以外に、友人と呼べるような人もいなかった。家族との連絡すら、取ることができないのだ。
僕は困惑した。
あれだけ幸せに過ごしていたのに、なぜ?
……彼女があの悪名高いクマソコンツェルンの一員となり、『品評会』なるものに参加していることを知ったのは、彼女の失踪から数ヶ月が経ったころだった。
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