ここからは、彼に話を引き継ごう。
1.
『
スクリーンを見つめたまま、動けないでいた。
どういうことだ?
停止した脳裏を、そんな疑問詞だけが、先ほどから何度も飛び交っている。
困惑しているのは、僕だけではない。
スクリーンの向こう……クマソら審査員たちもまた、訝しげな視線を、テーブルの作品と、その作者――
息詰まるような緊張の中、彼女はただ一人超然と佇んでいる。自らの作品が困惑を呼んでいることにすら気付かぬように。
「どうしました?」
鋼線をはじいたようなスナドリの声が、空気を裂いた。
「こちらがわたしの作品です。早くお召し上がりください」
「しかし、君……本気かね?」
「何がですか?」
「君はこれを、本気で作品だと言い張るつもりなのか、と聞いているんだ」
おどおどと聞くクマソ氏の声を押しのけ不機嫌に言ったのは、イノサコ氏だ。
それと呼吸を合わせるようにして、ウサキ氏が鼻を鳴らす。
「ポップアートの真似事か何かかしら? この時代にそんなもの、時代錯誤でしかないわよね。貴女にしちゃ、軽率すぎる考えだわ」
唯一、何の言葉も発していないのはコウヅカ氏だ。だがやはり、その表情に懐疑の色は隠せないようだった。
四人の机の上には……直方体の糧食が一つ。
昆虫の粉末とビタミン類を圧し固めたものだ。一般家庭に配給される基本食と全く変わらない。例え中身に工夫があるとしても、あまりにお粗末すぎる外観である。
『機械に奪われた創造力を取り戻す』――そのコンセプトを、古参の彼女が今更になって忘れたとは思えない。何が意図でもあるのだろうか?
四人の視線に対し、彼女は一向に怯む気配はない。
「お召し上がりください」
最初と同じ口調で、もう一度言う。
「うむう……」
心底苦りきった唸り声をイノサコ氏があげた。
コウヅカ氏は、糧食を手に取り、改めて仔細に眺めている。まるでその単調すぎる作品に隠された何かを、必死で探すように。
ウサキ氏は明らかに気分を害し、ひたすら作品に侮蔑の視線を向けていた。
「まぁまぁまぁ……彼女なりの工夫があるのかもしれませんから……」
笑顔でそう取りなすクマソ氏の額にも、脂汗が浮いている。
「とりあえず、審査は審査ですから。ね?」
そう促され、ようやく彼らの審査が始まった。
ギクシャクとした雰囲気のまま。
「スナドリ!」
廊下を歩く彼女に、僕は呼びかけた。
ゆっくりと振り返るその表情は、いつもと少しも変わらない。僕の方がひるんでしまうくらいだ。
あれだけ酷い作品を出しておいて、なぜそこまで超然としていられるんだ?
「キジマか。どうしたんだ」
「どうした、じゃない。なんであんなことを……!」
結局あの作品は、何の変哲もないただの糧食だった。
特殊な味でもなく、幻覚を見せるわけでもない。
ただただ平凡な、どこまでもありふれた、市販の製品。
「あんなこと?」
だというのに、彼女は平然と審査員の罵倒を受け入れ、そして悠然とした足取りで部屋を出て行ったのだった。
そして今もやはり動じることなく、おどけたように軽く肩をすくめてみせる。
「ポップアートってことじゃないかな、彼らの言った通り」
「ふざけるな!」
僕は叫んだ。
「ここがどういう場所か知っているはずだろう! クマソのメンツを潰したってだけで、殺されたっておかしくないんだぞ!」
先ほど首を切断され、さらに頭を潰されたあの男の姿が、脳裏をよぎる。ここは外の法が通じない世界。クマソの指示一つで、彼女の命なんて簡単に消し飛んでしまうだろう。
「何だ、大げさだな」
「大げさでなんかあるもんか。いいか、あいつらは気分一つで何だってやる人間なんだ。そのことを、君が知らないはずが……」
「まったく、その通りですよ」
背後からの声。と同時に、肩に手が置かれる。
「いやあ、さすが、キジマくんですな。我々のことを良く分かっておられる」
置かれた手がじわりと嫌な強さで僕の方を揉み、僕の体温が急降下した。
「説明してもらえますかねえ……スナドリさん」
そう言ってスナドリの前に立ちはだかったのは……クマソだった。
物腰はあくまで慇懃。だがその言葉の背後には、隠しきれない憤怒が滲んでいる。
「ハミナにも困惑させられましたが、貴方の作品はそれ以上でしたな。いや、それ以下というべきか……。まったく失望しましたよ。今まで目をかけてきた僕のメンツは丸潰れだ。一体どういうつもりなんですか?」
クマソはゆっくりと、しめつけるように彼女を責め、詰め寄ろうとする――だが次の瞬間、その胸をスナドリの右手が押しとどめた。
そして彼女はそのまま、クマソ氏の耳に自分の唇を寄せる。
耳打ち。
すぐに二人は体を離した。クマソ氏は棒立ちのままだ。僕の位置からは後頭部しか見えないので、その表情は窺い知ることができない。
だが……。
「ふふ、ふふふ」
小さな含み笑いが、その口から漏れる。
「いや、いや、いや……何とまあ……。では、それが答えという訳ですか。まったく、困らせてくれるものです」
クマソ氏の口調は、しかし先ほどとはうってかわって、上機嫌そのものだ。
「試すような真似をして、すみません」
スナドリが言う。語尾に微かな媚びを含ませた、僕の知らない口調。
「いやいや、そういう遊び、嫌いではないですよ……うん。まあ、善処しましょう」
そう言って、彼はきびすを返す。
その満面の笑顔と、目が合った。
「おお、そうだ。キジマくんもそろそろ発表の時間じゃないか。楽しみにしていますよ。はっはっは」
そう言って肩を叩き、廊下を足音も高く歩いていった。
彼の背中を見送り、またスナドリの方を見たその一瞬の間に、彼女はいつもの無表情に戻っていた。シリコン製のロボットのような、無機質な表情。
「彼に、何をしたんだ?」
「別に?」
彼女は僕の質問を切り捨て、去ろうとする。
その肩を掴んだ。
「一体彼と何の取引をしたんだ! おい!」
だが、彼女は答えない。うるさげに肩の手を振り払う。
「おい! クソッ、隠してないで……」
だが突然、僕の両頬が、冷たく柔らかい何かで挟まれた。それが振り返った彼女の手のひらだと気付いた時には、彼女と僕の視線が、真正面からかち合っていた。
黒目の奥に、さらに深い漆黒の虹彩。自身の体は何一つ換装していないというのに、その瞳は妖しい魔力を持ち、そして僕はすっかり射すくめられてしまう。
「つくづく君は、変わらないな」
彼女は笑った。ぞっとするほど妖艶な笑み。
「大学時代に付き合っていた時そのままだ。愚かで、単純で、その場限りの感情だけで動いている。まるで動物みたいに」
両頬を挟む手が、ぎゅうと僕を締め付け、彼女の目が僕の目の前にまで迫る。僕の視界が、黒に捉われる――
不意に、景色が戻った。
「だからこそ、君は素晴らしいよ、キジマ……全てが予定通りだ」
遠ざかる彼女の背中。
動けないまま、僕はそれを見送る。
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