3.

 夢を見ている。

 大学時代の彼女と、過ごす夢。

 これが夢だという自覚があるのも、いつもと同じだった。

 少し前に、休憩室の仮眠カプセルに入った。その記憶がある。

 連日の制作で疲れが溜まっていたので、発表に備えて少し体を休ませておきたい。

 そう考えていたことまで、鮮明に覚えていた。

 ああ、またか、と僕は思う。

 品評会の前後になると、決まってこの夢を見るのだった。


「だからね、きっとまだ、僕らには方法が残されているはずなのさ」

 

 大学敷地内の屋外広場で、僕は熱弁をふるっている。その相手は当然、スナドリだった。かつて野外劇場として作られたという、すり鉢状に段差のついた広場。僕らはその段差のひとつに並んで腰掛け、弁当を広げていた。昼休み。広場の中は、ほかにも多くの学生で溢れている。

 それは大学四年の春の記憶。僕らがまだ、交際していたころの記憶――


「そもそもね、藝術の歴史っていうのは――いや藝術に限らないかもしれないけれど―ーつまり破壊と再構築の連続だったのさ。キリスト教的価値観の死滅から、宗教画は否定された。モチーフの否定によって、独自性の否定によって、あるいは絵画の絵画性の否定によって――新たな定義が生まれ、藝術の歴史は更新されてきたんだ。……だから、きっと、カリスもまた、ぼくたちの次なる時代を生むためのプロセスのひとつに過ぎないんだよ」


「ふうん」


 スナドリは長い髪をそよ風になびかせながら、気のないような返事をする。


「本気だよ。僕はね、スナドリ。もう僕らが次に価値を見出すのは、僕たち自身でしかないと思ってる。今までもそうじゃなかったかい? どこにでもある便座をひっくり返したり、芸能人のポスターをスケッチして作品とのたまうなんて、その作者がある程度の権力と知名度を持っていなければできないはずさ。そうだろう? 次の時代はそれがもっと顕著になる。作品ではなく、僕たち個人が主体になるんだ」


「つまり君は」

 

 と、スナドリは言った。


「カリスの前に進んで膝を屈するわけだね」


「そうじゃない、そうじゃないんだ、スナドリ。そもそもの考えがおかしいんだ。だいたい、カリスが僕らより優れていたからなんだっていうんだ? あれがどれだけ優秀でも、結局はただの―ー」


「冗談だよ。からかっただけさ」


 だが議論が白熱しかけると、いつも先に折れるのもスナドリだった。吐こうとした言葉は行き場を失って、僕の喉の奥へと無理やり戻って行く。そんな僕の顔を見て、彼女はちょっと笑った。


「そう拗ねないでくれよ。……君が正しいことはちゃんと分かっているから」


 確かに、彼女の創作に対する露悪趣味は、僕と付き合い始めてからはすっかりなりを潜めていた。周りの人はみんな、彼女が僕という伴侶を得て変わったのだろうと言う。僕自身も、正直そう思っていた。ただ彼女の瞳の奥、その冷たく燃える炎だけは、今でも変わらずそこにあったけれど。


「ほら、早く食べよう。もう随分時間が経ってしまった」


 そう言って彼女は、僕の手元の弁当箱を指す。カラフルな三段重ねの箱の中にある、色とりどりの手料理。彼女が毎日作ってくれているものだ。


「ああ、相変わらず美味そうだ」


「そうかな。練習しているんだけど、まだちょっと満足していないんだ」


「シェフにでもなるつもりなのかい」


 僕は笑った。


「まさか! 大量生産品に勝てるわけがないだろう」


「そんなことないよ。僕はこっちの方が好みさ」


 そう言うと、彼女は困ったように笑う。


「きみは、本当にいい人だ」


 そして、彼女の柔らかい手のひらが、僕の顔を挟み込んだ。


「ねえ」


「ん?」


「また作るから、食べてくれるかい? 明日も明後日も、ずっと」


「ああ」


 じっと僕を覗き込む、彼女の漆黒の瞳。僕はうっとりとして……だがそれは夢なのだということを思い出すのだった。

 そろそろ目覚めなければならない。

 だけど僕はいつだって、どうしても彼女に問いかけたくなるのだ。


 なあ。


 なぜ君は、唐突に僕の元から去ったんだ?


 なぜ君は、連絡一つもよこさなかったんだ?


 なぜ君は……あんな地獄のような場所に、身を置いているんだ?

 

 一言相談してくれても良かったじゃないか。僕たち、これだけうまくいってたのに、いったいどうして―ー


 だが、その問いかけは言葉にはならない。薄いセロファンが張り付いたように、僕の喉が動かないのだ。


 彼女は僕を見つめたまま、みじろぎもしない。まるで僕が何か言うのを、待っているかのように。


 僕は喉を掻き毟ろうとする。だがその手もまた鉛のように重く、思うように動かせない。いつしかスナドリの顔は、無表情になっている。それは出会う前のように。あるいはこの品評会で初めて再会した時のように。


 僕はもがく。

 夢であることは知っているが、それでも足掻かずにはいられない。

 どうしてだ。

 なあ、スナドリ、スナドリ、スナドリ――!



 ……無機質なアラーム音が夢を裂いた。



 目を開けると、そこには、柔らかいベージュ色の天井。その表面には細かい毛が生え、気流を受けてたなびいている。一瞬、草原をはるか高所から見下ろしているような感覚に襲われる。上下が反転したような、非現実的な感覚。


 身を起こし、まぶたをこする。顔の横にあるモニターに目をやると、意識の覚醒とともに、その文字盤に焦点が合った。

 無機質なディスプレイの眩しい光が、目の裏を刺し通す。

『起床時間です』

 とたんに眼が冴えた。仮眠カプセルは常に脳の状態をモニターし、適切な覚醒状態に体を導いてくれる。身を乗り出し、軽く伸びをすると、倦怠感はきれいになくなっていた。

 準備をはじめなくては。発表時間が近づいている。

 立ち上がって、白衣を着る。念のため時計を見て時間を確認してから、僕は仮眠室のドアを開けた。 

 

 

「あの野郎、あの野郎、あの野郎……」


 耳に飛び込んできたのは、ぶつぶつとうわ言のように呟く声。

 憔悴した一人の男が、廊下の隅っこに、頭を抱えてうずくまっていた。

 その姿には、見覚えがある。


「ハミナ」


 その名を呼ぶと、彼は弾かれたように頭を上げ、僕を見た。真円に見開かれた目に狂気の光が宿っている。口角がたちまち、媚びるように引き吊り上げられた。


「あああ! キジマさん。どうも。どうもどうもどうも」


「どうしたんだ、こんなところで」


「ねえ、キジマさん。スナドリさんはどうしちゃったんですか? ねえ」


 僕の話を無視して、キジマは半笑いのまま、僕に詰め寄った。


「あんなのおかしい。おかしいですよ。いつものスナドリさんじゃない。そうでしょう? ねえ、なんで? なんでなんでなんで……」


「君、その顔……」


 よく見ると、彼の顔はところどころ歪に腫れ、青あざがついている。


「ああ、これ? ヒヒ」


 彼はそう言って、引き攣れた声で笑った。


「これ、これね。ただスナドリさんにやられただけですよ。ヒヒ!」


「スナドリに?」


「ええ、僕の発表後、控え室で。ヒヒヒ! よっぽど焦ってたみたいでね。ヒヒヒ! ねえ、僕のせいかな? 僕が彼女のコピーなんか出したから、彼女、怒った? ねえ、どうなんだろう? そんなにダメ? ヒヒヒヒ! あああの野郎! つまんねえことしやがって! クソクソクソクソ……」


 笑ったと思えばすぐ怒鳴る。改めて確信する。こいつは、間違いなくただの狂人だ。しかしスナドリはなぜ、こいつに暴力を振るった? 確かにあの作品は酷いものだったが、今の時代、作品のコピーなんて珍しくもない。どんなアイデアや技術も、制作者のクセさえも、理論上再現することは可能だ。作品がオリジナルでいられるのは、発表したその直後だけ。そもそもそれも、カリスの掌の上でのことに過ぎない。今更ハミナがコピーを出したところで、鼻で笑って終わりだと思うのだが……。なんというか、いつもの超然とした彼女らしくない。


「ああ、もう! 無駄ですって! 無駄! アンタは彼女のことなんて、なーんにも分かってないんだから。理解しようとしたって無駄だってば。ヒヒヒヒヒヒヒ!」


 思案する僕を見て、ハミナが嘲笑した。……本当に、人を苛立たせるのがうまい男だ。


「君こそ、彼女の何が分かるっていうんだい?」


 売り言葉に買い言葉。そう分かってはいるものの、僕は言い返してしまう。


 だが、ハミナはそれを聞くと、ますます大声をあげて笑い出した。

「ヒヒヒ! あんた、あんたあんたあんた……。本当に何も知らないんだね。哀れな、本当に哀れな一人相撲……教えてあげようか。ねえ。教えてあげようか? ヒヒヒ! 彼女と僕の叔父さんが何を約束していたのか。ねえ?」


 そう言って、ニタニタと下卑な笑みを僕に向ける。


「叔父さん?」


「ああ、クマソさんと言った方がいいの? あのねえ。彼女、クマソさんの妻になるって決めたんだってさ!」


「……何? なんだって?」


「ヒヒヒヒ! 哀れだなあ。哀れ! 叔父さんはずっと、彼女にずっと結婚を持ちかけていたのさ! 支援の打ち切りをチラつかせてね。彼女は今まで返事を保留していたけれど、ついさっき結婚を決めたんだ。さっきのあのカス作品を、今回の大賞にすることと引き換えにね!」


 何を言っているんだ、こいつは。


 だがその時。

 脳裏に、先ほどのクマソとスナドリのやり取りが浮かぶ。


『試すような真似をして、すみません』


 媚びたような声。


『いやいや、そういう遊び、嫌いではないですよ』


 好色そうな笑み。


 いや、だが、まさか。


「ヒヒ! さっき叔父さんが嬉しそうに話してくれたよ。あんなに素晴らしい作品を作っていた彼女も、結局は色と欲にまみれた女だったってわけだ。ヒヒ! ヒヒヒ! ……クソッ、畜生! ふざけやがって。あの女あの女あの女……。ねえ、キジマさん。やっぱり僕のせいなの? あんなもの作ったから? 何でこんなことになるんだろう? 僕の尊敬する彼女はどこに行ったの? ねえねえねえねえ!」


「うるさい!」


 僕はしつこく追いすがる彼を振り払い、足早に廊下を歩く。背後から、奇声と何かを壁に打ち付ける音が聞こえた。


 彼女がクマソと結婚? バカな。何かの間違いだ。

 だが、さっきのやり取りは……。

 僕は頭を振る。

 辞めよう。憶測だけならいくらでもできる。

 仮に、ハミナのいう通りだとして、それがなんだっていうんだ?

 かみ締めた顎の骨がぐきりと軋んだ。

 どちらにしろ、計画に変更はない。

 先程ヒガキという研究者が殺されたのを見たときから、すべてはもう動き出しているのだ。否応もなく。そう考えると、むしろ先程のハミナの言葉は好都合に思えた。これで余計な良心の呵責を感じずに済む……少なくとも、しばらくは怒りがそれを誤魔化しくれる。

 

 覚悟を決めよう。

 予定通り、決行するのだ。

 

 彼女を取り戻すために――

 この会そのものを、壊す。

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