4.

 きっかけは、旧友からの連絡だった。


『頼みがある』


 ガビマルが唐突にそんな脳話セレフォンをかけてきたのは、『品評会』を一週間後に控えたある日のことだ。


『あまり他人に聞かれたくない。詳しくは、直接会って話す』


 久しぶりの連絡にもかかわらず、彼は挨拶も抜きに、いきなり行きつけの飲み屋の名を告げた。彼は昔からこんな調子だったから特に驚きもしない。ちょうど出品用の制作を追え、夕方からのインタビュー予定も延期となり、予定がぽっかりと空いたタイミングだった。

 よく出来た偶然……では、ないだろう。彼に限っては。その気配にはただならぬものがある。断ってもおそらく無駄だろう。


『分かった。じゃ、十八時に』


 そう言って、切断セルアウトする。

 窓の外は相変わらずの曇天だ。天気予定プレキャストによれば、気象庁はあと二週間ほどこのぐずついた天気を続けるつもりらしい。かつてあったという四季に合わせて予定を組むのはいいが、延々と続く陰鬱な雨にはさすがに閉口させられる。もちろん、そういう街区をわざわざ選んだのは自分なのだけれど。

 そろそろ引越し時かな……。

 と思ってから、そういえば最近、やたらと街区ショールーム内覧会のDMが来ていたことを思い出した。

 日々の行動からの需要予測と、顧客への提案。今や珍しいことではないし、僕自身もそのシステムを利用して商売をしているのだが、なんだか巧妙に心を操作されているようで、やはり印象は良くない。さっきまでの迷いはどこへやら、意地でもここに住んでやる、という気持ちになる。いや、あるいはそれこそが狙いなのか?

 ……よそう。機械知性の予測に、僕一人の知能が追いつけるはずもない。

 汚れだらけの作業着を脱ぎ、シャワーへと向かう。


 二時間後。

 待ち合わせのバーに着くと、彼はすでにカウンターに座り、気取った調子でグラスをまわしていた。

「おう、来たかい。急に呼び出しちまって悪いな」

「いや、今日はたまたま暇だったからな」

 そんなあからさまな社交辞令を交わしつつ、隣に腰を下ろす。年季の入った回転椅子は、僕の体重を受けて、キイキイと甲高い悲鳴を上げた。

 店内は埃っぽい臭いで満たされていた。天井では年代もののシーリングファンが静かに空気を回し、目の前の水槽では熱帯魚のレプリカが物憂げに泡を吐いている。

 あえて旧世代風レトロな内装にしてあるというが、この店自体にも相当年季が入っている。どこまでが店の演出でどこまでが経年劣化なのか、一目では測りがたい。だが僕は、この店のそういうところが気に入っていた。

 注文するまでもなく、頭上からグラスを載せた盆が下がってくる。合成デザインドウィスキー。テイストはいつものラフロイグ二十五年。ツマミの昆虫ナッツはサービスだ。

 グラスを取って掲げる。


「久々だな、ガビマル」


「おう。クソッタレの安物アルコールに乾杯だ」


 一気に酒を呷るガビマルに対し、僕はちびちびと口をつける。アルコール度は思いのほか低かった。表情から、疲れが溜まっているのを見越されたのだろうか。ちょっと拍子抜けしたが、まるでうがい薬そのもののようなその味は、疲れ切った今の僕に相応しいような気もする。


「しかしまぁ、相変わらず閑古鳥だな、ここは」


 ガビマルが首をぐるりと巡らせてボヤいた。店内には僕ら以外には誰もいない。


「今時、本物の酒なんて流行らないからね」


「本物? 味つきの水に粉末アルコールで味付けするような酒が?」


「プロセスはどうあれ、味は本物だろう。調整臓器で合法トリップするよか、人間らしい」


「お前、まだあんなもんやってんのか?」


「出来れば控えたいが、ここ数日、制作で不眠不休だったからね。そういう時は、どうしてもこれに頼らないと、集中力がもたない」


「よくやるぜ」


 ガビマルは苦笑し、禿頭をつるりとなで上げた。頭頂部に瘤のように張り付いている黒い突起がライトを受けて鈍く輝く。


「またずいぶん、端末が増えたな」


「ああ。上から振られる仕事は増えるばっかでな。脳ミソをいくら外注アウトソースしても処理が追っつかねえ。今も脳話セレフォンを三つばかり並行処理してるところだ」


「繁盛してるな。僕よりよっぽどハードワークだ」


「まったく! つまんねえ仕事さ。お上はこっちの事情なんざお構いなしで、ズンドコ仕事を増やしやがる。体はボロボロ、日々のウサ晴らしで財布は空っぽ、あげくに女の一人もできやしねえ。お前みたいな暮らしぶりが羨ましいな、キジマ先生よ」


「よく言うね」


 僕は笑う。今のご時勢、仕事があるというだけでエリートだ。彼のように公務についている人間となると、ほんの一握り。ついてまわる悪名も数多いが、それでも僕のような浮草商売とは、社会的地位には天と地ほどの差がある。

 ガビマルは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「いやいや、これはまたご謙遜。このとこじゃ、どこへ行ってもあんたの話題で持ちきりだぜ。稀代の天才、若手のホープ! いやあ、うまくやってるもんだねえ」


「天下の都市管理員サマからそう言われると、何だかゾッとしないね。もしかして、広告法にでも違反したかな?」


「うひゃひゃ。心当たりがあるんなら、ここは奢っとけよ。そん代わり捕まっても一回だけ揉み消してやる」


「おいおい、近頃の公僕はたかりもするのかい」


「ケチケチすんなって。不正も仕事のうちだぜ、キジマ。ゼミ仲間じゃお前がエースなんだ。教授も今頃教え子たちに自慢してるだろうよ」


「僕はどっちかというと、美大の映像学科出のお前が、どうやって街区管理機構にもぐり込めたのか、そっちの方が不思議だけどな」


「そりゃ簡単。親父のコネと……あとはカネさ」


「なるほど、悪徳公務員になる訳だ」


 危うい冗談を飛ばしあう内に、アルコールも程よくまわりはじめる。微かな気だるさと、眠気……。ここ最近の緊張から解放され、僕の心もゆるゆるとほぐれてくる。

そのタイミングを見計らったように、彼が脳話セレフォンで切り出した。


『実は、ちょいと例の品評会に用があってな』


『品評会に?』


『そう。お前とスナドリが、毎回参加してるやつだ』


 途端に、全身が引き締まる。


『あそこの主催者で熊襲出彦くまそいでひこってのがいるだろう。あいつが仕切ってるクマソコンツェルンの亜細亜第七支部が、最近ちっとキナ臭いんだ』


『キナ臭いって……』


 心当たりは山ほどあった。そもそもクマソコンツェルンそれ自体がキナ臭さの塊だ。治外法権の企業国家……僕が何を言うべきか考えていると、彼は苦笑する。


『そう硬くなんなよ。別にお前をどうこうしようってわけじゃねえんだ。ただちっとばかし、あの会についての情報が欲しいのさ』


『無理だよ。守秘義務があって、話したくても話せない。生体機械群バイオマシンがロックするんだ』


『分かってる。だから、こいつを飲んでくれさえすればいい』


 そう言いながら、ガビマルは何気ない手つきて、グラスの前に一個のカプセルを置いた。僕はそれを手にとってしげしげと眺める。


『これは?』


『一種の記録装置だ。経口で摂取すると、内部のセンサー類がお前の身体変化を記録し、二十四時間後にまとめて出力する。アイツらの敷地内は外部へ繋がるネットワークは全部監視されている上に、脳話セレフォンも使えねえ。おまけにIDチップのない人間は、そこかしこで検問に弾かれちまうときたもんだ。だから、お前みたいに品評会へ出入りしている人間に協力してもらう必要がある』


『でも……ただそれだけの情報が、いったい何の役に立つんだい』


『知らねえよ。そんなこと、末端の俺には聞かされちゃいねえ』


 決めかねているのが伝わったのか、ガビマルは焦れているようだった。


『頼む。お前しか頼める奴がいないんだ。もちろん、報酬は弾む』


『報酬って言われても……』


 今、特に生活には困っていない。一方で、あの会の異常さは充分すぎるほど知っている。文字通り、命がけの行為だ。彼女が……スナドリがあそこに居なければ、絶対に行きはしないだろう。いくら友人の頼みでも、この上自分の身に危険が及ぶような冒険は控えたい。


『すまない。協力したいのはやまやまだが、リスクがでかすぎるよ。命の危険すらある。僕には出来ない』


『そうか……』


 そう言って、ガビマルは大きく息をついた。それから、何かを迷っているような、喉につっかえた小骨を吐き出すような、そんな表情が浮かぶ。


『悪いな』


 返事はなかった。彼は沈んだ顔で沈黙している。いつも軽口を叩く彼にしては、珍しい反応だった。よっぽど重要な任務だったのだろうか……。多少の罪悪感を覚えながら、琥珀色の液体を口元に運ぶ。だがそれに口をつける前に、ガビマルが低い声で呟いた。


『報酬が、スナドリを見逃すこと……と言ったら、どうする』


「何だって!」


 思わず直接口に出して叫び、立ち上がっていた。慌てて発話を脳話(セレフォン)に切り替える。


『彼女を逮捕するつもりなのか?』


『落ち着けよ。上からその可能性があるって、示唆されただけだ』


 その言葉をそのまま信じる僕ではなかった。ガビマルが所属している組織、都市管理機構の仕組みは誰だって知っている。

 あらゆる街区の人間の情報を集め、収集し、行動を予測し、適切に管理する――例えば今日僕の予定がぽっかりと空くのを見越して、アポを入れたり――それが都市管理機構という存在だ。つまり、彼を管理する『上司』こと機械知性の意向というのは、すなわち確定事項に他ならない。

 都市管理機構AIネットワークは、日々収集する住人の行動や、あるいは他の街区の管理コンピュータとの情報交換を通じて、スナドリが何らかの犯罪に手を染めたという証拠を掴んだのだ。あるいは、スナドリが近い将来、何らかの犯罪を起こすだろうと予測しているのか。どちらにしろ、彼女が既に犯罪者扱いされているということに変わりはない。

 さらに問題なのは、彼女がしでかした(あるいはしでかすであろう)犯罪について、数え切れないほどの心当たりがあることだ。違法薬物の使用、禁止技術の濫用、重大な倫理違反……。今まで、品評会で彼女の『作品』をいくつも見てきたが、どれもあの場所以外で出展すれば、資格の剥奪どころか、ただちに逮捕される類のものばかりだ。もっともあの会で、違法でない作品を探す方が難しかったが。

 僕は急に全てを合点する。


『そうか、だから、僕なんだな』


 おそらく、彼らはもっと以前から、スナドリを危険人物と見て交友関係を洗っていたのだろう。

 その過程で僕の行動もまた、把握されていたに違いない。スナドリのかつての交際相手。突如失踪した彼女を諦めきれず、クマソコンツェルンの品評会に出入りしている男。内偵には最適の人物だったに違いない。さらに都合のいいことに、その内偵候補の男には、たまたま街区管理員の同級生がいた……というわけか。


『この交渉カードは、なるべくなら使いたくなかったんだがな』


『今からでも引っ込めていいんだぜ』


『あのなキジマ、よく考えろ。この話は互いにとってメリットしかない。お前、スナドリを連れ戻す気なんだろう? だが、残念ながら彼女はもう既に逮捕のリスト入りだ。お前が首尾よく連れ帰れたとしても、クマソの敷地を出た瞬間にブタ箱行きさ。こんな提案、特例中の特例なんだぜ?』


『僕が負うリスクを除けばね』


『僕が負うリスク、ね。こと彼女に関して、そんなセリフがお前から出てくるとは思わなかったぜ』


 奥歯を噛み締める。図星だからだ。

 卑怯な話だった。彼は、僕が彼女を取り戻すことに何より情熱をかけていることを当然知っているはずだ。その上で、半ば強制的に取引をさせようとしている。

 だが、選択の余地はない。


『分かった』


『そうこなくちゃ、な』


 ガビマルは途端に破顔し、グラスを掲げた。

 だが、もうそれに応じる気にはなれない。

 黙って、自分の分の勘定をカードで支払った。彼は何も言わず、それを見ている。


『なあ、ガビマル。一つだけ聞いていいか』


『……何だい』


『君は、本当に彼女が何か罪を犯すような人間だと思うか? 彼女は……ユニークだったけれど、わざわざ犯罪に手を染めるほど悪人でも愚かでもなかった。そうじゃないか?』


 ガビマルは凸凹の禿頭をなで上げ、片目だけを細めて言う。


『前々から言ってるだろう。あいつは信用できねえ』


『……そうか』


『反対だったんだ。大学時代、お前とあいつが付き合うのもな』


 そういえば、彼女の生い立ちを教えてくれたのも彼だった。

 大企業の社長を務める父の、跡継ぎ用の母体として生み出された女性。

 彼女に母はいない。

 試験管で生まれ、十歳相当の年齢まで培養されたのだという。

 彼女はそれから、母体となるべく育てられ、教育を受け、そして……見捨てられた。彼女は不妊症だった。


『今のアイツが、何を企んでいるのかはわからねえ。だが行動を見ている限り、明らかに危険思想に傾いてる。……キジマ。本来ならこんな特例なんて用意せず、あいつを逮捕するべきだと俺は思ってる』


 彼は歪な頭骨をいじりながら、無機質な声で言う。


『ただまあ、二兎を追うものは一兎も得ずっていうしな。今回は見逃してやるよ。ああ、ちなみに話はこれで終わりじゃねえんだ。もう少し付き合ってもらうぜ。なに、こっちの頼みも強制はしない。本当さ』


 ――何が、『強制はしない』だ。


 恐らく彼らは、僕がもう一つの頼みを実行に移すだろうことも、既に予測していたに違いない。そして恐らく、こちらの依頼こそが本命だったのだ。

 いや……よそう。

 そういう僕自身、それを実行することになるだろうと、あの時から予感していたのではなかったか。


 ガビマルのもう一つの頼み。


 それは、管理員突入の手引きだった。


『あの美術館を含むクマソの敷地内は、招かれた人間以外の立ち入りは許されていない。招かれた人間とそうでない人間を見分ける術は一つ。体内に埋め込まれたIDチップだ。お前の腕にも埋め込まれてんだろ。手首の裏だ。これが各所のセンサーの問いかけに応答しなけりゃ、即座に射殺って寸法だ』


『チップを偽造することは?』


『無理だ。というより、無意味だ。チップのIDは、埋め込まれた個人のパーソナルデータと紐付けされている。身長・体重・血圧・骨密度・平均心拍数・脳波・脳血流量・遺伝子情報……その現在値と直近半年分の変化にな。チップを擬装するなら、埋め込まれた人間をそっくりそのまま複製する必要がある。……その技術は、倫理的に許可されていない。こちら側じゃ、な』


『じゃあ、一体どうやって……』


『品評会の当日、若い研究者が一人、死ぬ』


『何だって?』


『安心しな。お前でもねぇし、スナドリでもねえ。新参者の、つまらん人間さ。だがそいつの中には、俺ら謹製の生体機械群バイオマシンが仕込んである。配給糧食にパーツを仕込んで、奴の体内で少しずつ組み上げた代物だ。それは一種の設計図で、あいつらが持ってる装置と組み合わせることで、効果を発揮する。何の装置かは……想像がつくだろ?』


『……』


『ハハハ。まぁ喋れないのも無理はねぇ。そいつは守秘義務のハズだからな。生体機械群バイオマシンがロックしてるんだろ? だが俺らはそんな情報、もうとっくの昔に押さえてんだ。<プール>……。国際技術倫理条約第二十四条で禁じられている、人体のリサイクル設備……そいつをちっとばかし、拝借させてもらう』


 彼の話によれば、殺されたその若手藝術家が再利用のため、<プール>に放り込まれると、彼の体内にあった生体機械群バイオマシンはそれをきっかけにプール内の構成要素……たんぱく質・脂質・リン・カルシウムが混ぜこぜになった、不愉快に甘い香りのするあのピンク色の粥……へと拡散し、自己増殖を始めるという。

 つまり、クマソがたまたま保有していた違法な装置を、管理員が突入のために超法規的に利用する、というシナリオらしい。敷地内部は外界のネットワークから隔絶されているため、突入時の細かな手法について、即座に追求される心配はない。全てが終わった後で、いくらでも誤魔化しが効くと言うわけだ。


『だが、そいつを本格的に起動するには、誰かがプールの端末を操作しなきゃいけねえ。その役割を……キジマ、お前に託したい』


『……最近の管理局は、人を殺すのか』


『おいおい、人聞きの悪いことを言うんじゃねえ。そいつが品評会に参加するのも、ヘマやって殺されるのも、そいつ自身の自由意志だ。当たり前だが、俺たちには住人の運命までを変える権限はねえ。奴の言動から、あくまでそう予測しているだけさ。それに、お前が倫理をどうこう言ってどうする? 


 ……あんな所に進んで参加している、お前がよ』

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