8.

「ヒガキ! おいヒガキ! 俺だ、ササキだ、わかるか?」


 シリンダーの手前一メートルほどにある赤い線ギリギリに立ち、ササキは声を張り上げている。

 男は答えない。虚ろな視線を足元に向け、立ち尽くしている。


「ヒガキ! 返事をしろ。無事か? おい!」


「おやあ? ずいぶんとまあ、大勢いらっしゃるものですなあ」


 背後からの声。

 入り口には、あの受付嬢を引き連れ、クマソ氏が立っていた。


「貴様……!」


 振り返ったササキの怒りが、しかし急速にトーンダウンする。


「あっは」


 彼女の刃物に、先ほどとは比にならないほど、夥しい血の塊が付着していた。


「いやいや、今回もなかなか、ご理解いただけませんでねえ……」


 汗をふきふき、クマソ氏は慇懃に言う。その視線がハミナに留まると、表情が大きく緩んだ。


「おお、ハミナくん」


「叔父さん! どうも、どうもどうもどうもです」


 叔父さん?

 怪訝な表情になったのだろう。クマソ氏がわたしに微笑みかけた。


「おや、彼は自己紹介をしておりませんでしたかな? まったく、ちゃんと挨拶をするように言っておいたろう。彼は私の甥で、蛇拿はみなしゅうといいます。彼も中々優秀な藝術家でしてな。身内びいきのようで恐縮ですが、今回から参加させているんですよ」


 紹介を受け、ハミナは嬉しそうにニタニタと笑い、会釈をしてくる。

 わたしは合点した。なるほど、だから彼はわたしのことを知っていたのか。恐らくクマソ氏か、あるいはクマソコンツェルン内部の人間が、色々と吹き込んでいたのだろう。道理で余計なゴシップにまで精通しているわけだ。しかしクマソに甥がいたとは……。


「おい」


 ササキが遠慮がちに怒声を発する。


「おい……こいつは、ヒガキは、どうなったんだ。生き返ったのか?」


 そう言って、シリンダーを指差した。

 ああ、と言って、クマソが受付嬢に目線をやる。すると、彼女は困惑するササキを押しのけ、赤い線を平気で越えて、シリンダーのドアを開けた。

 ひた、と足音を立てて、その研究員――ヒガキが、床に立つ。


「あっは、お目覚めはいかがですか?」


 受付嬢の言葉にも、彼は応じない。


「おい、ヒガキ……」


 歩を進めようとするササキの鼻先に、受付嬢が刃物を突きつけた。


「だめですよう、動かないでください。あっは」


 無感情な双眸に射すくめられて、再び彼は硬直する。


「まあまあ……彼も混乱しておられるようですし。私から説明しましょうかな」


 クマソが愛想よく言った。


「ヒガキさんは、私どもに攻撃を加えたため、『再構成』処置を受け、我々の一員になってもらうことになりました」


「ど……どういうことだ?」


「どうもこうも! いま私が申し上げた通りですよ。見てのとおり、彼は<プール>に入れられ、予めIDチップ――ほれ、皆様の腕に埋めているタグです――でスキャンした身体データを基に『再構成』されました。欠損部分を補ったうえでね。ただまあ、同じなのは見てくれだけですがな。ほれ、脳は彼女がつぶしてしまいましたし」


「あっは」


「そんな……」


「ご心配なく。彼には新たに教育を施しますし、表向きには抜擢という形をとらせていただきます。ご家族にも相応の手当てを支払わせていただきますよ。もちろん法的にも問題ありません。我々の法ではね」


「彼は……彼は私の教え子だったんだぞ!」


「ほおう?」


 クマソがニヤリと笑い、ササキ氏に顔を近づける。


「つまり貴方も、彼の攻撃に加担していたと?」


「いや、それは……」


「あっは。どうします?」


「共謀されてらっしゃったというなら、貴方にも『処置』を受けてもらう必要がありますが……」


 クマソが詰め寄ると、ササキは見るからに狼狽した。


「おじさん、またやるんですか。頭潰すんですか?」


 ハミナがはしゃぐ。受付嬢が刃物を鈍く光らせながら近づくと、ササキは焦りの表情を浮かべたまま、四足をもつれさせながら、じりじりと後退していく。


「や、やめろ……やめ……」


 その様子が余りに哀れだったので、わたしは仕方なく、声をかけてやった。


「やめていただけますか」

 受付嬢はピタリと動きを止めた。

 その瞬間、ササキが走り出す。声をかける間もなく、廊下へと足音も高く走り出ていった。


「ヒヒヒヒ!」


「はっはっは」


「あっは」


 三人の屈託のない笑い声。


「趣味が悪いですよ、クマソさん」


「おやおや」


 クマソ氏は肩を竦める。


「もちろん、冗談ですよ、冗談」


「殺せばよかったのに。ヒヒヒ!」


「これこれ、そんなことを言うもんじゃない。彼はあれでも、私自らがスカウトしてきた名士なんだからね。ハミナ君よりもずっと偉いんだぞ」


 その口調は、しかし侮蔑にまみれている。おおかた彼も、再構成の『素材』として、生贄に選ばれた人材なのだろう。思うところはあるが、わたしが口を出す義理もない。何よりあの見世物は、何度見ても飽きが来ない。


「偉い? あれが? 本当に本当に? 叔父さん見る目がなさすぎ! ヒヒヒヒ!」


「さて、では我々は行きますかな。スナドリさんも。そろそろ品評を再開いたしますので、よろしければご観覧ください」


 言いながらクマソ氏はわたしに近づき、顔を近づけて耳打ちをした。


「あの件については、結論が出ましたか?」


 湿った吐息が耳を撫ぜる。答えないでいると、クマソ氏はにたりと笑った。


「まあ、まだ時間はありますからねえ。じっくり考えてくださいよ」


「おじさん! スナドリさんと何を話してるんですか、ズルい、ズルいズルいズルい……」


「ああ、すまん。ちょっと事務的な話でね」


 彼はもう一度好色な視線をわたしに向け、部屋を出て行った。受付嬢とハミナも、そのあとに続く。


 さっきまでの喧騒が嘘のような静寂の中でーーわたしは一人、水槽を見つめる。

 一連の行為のあと、胸に去来するこの感情は。

 恐らく、郷愁という名前なのだろう。

 認めたくはないが。

 

 玄関ホールに戻ると、受付嬢が何かの塊を、巨大な掃除機のようなもの回収していた。床に転がっている、白く血の気を失った腕が、どういう仕組みか、細かく破砕されつつ吸い込まれていく。


 玄関ホールで騒いでいた人間たちだろうと思った。

 こうした光景もまた、この会ではさして珍しくもない。




「ごらんください、ごらんください」


 ハミナの奇妙に甲高い声が、スピーカー越しに耳に刺さった。

 トラブルによる人数減で大幅に繰り上げられた彼の発表。

 スクリーンの中で、血走った目で笑う彼に対し、相対する審査員たちの表情は困惑していた。シアタールームも、落ち着きの無いざわめきで満たされている。


「何のつもりだ? あれは」


 侮蔑の声が聞こえた。

 キジマだ。


「こちらが僕の作品です。どうぞ、どうぞどうぞ!」


 長机に座る四人の前に一つずつ並べられているのは、素焼きの茶碗。


「いや、しかし、ハミナくん。これは……」


 クマソ氏は困惑した顔で、ハミナとそれとを見比べる。

 その碗の中は空である。

 つまり、この器自体が作品なのだった。


「まあまあ、まあまあまあ。まずは手にとって見てください」


 満面の笑みで促され、四人はおずおずとそれを手に取る。

 大ぶりの碗。釉薬などは塗っておらず、赤茶けた表面は無骨。手でなぞると、ざらざらと肌に引っかかる。旧世代の備前焼に着想を得た作品だった。

 一見なんの変哲もない素焼きに見えるが、その実、この容器は微細な生体機械群バイオマシンの集合体だった。その内外にはいくつもの仕掛けが施されている。


 表面は、目を凝らすとさざ波のように揺らぎ、風合いを様々に変えた。窯変ようへん――白い肌に赤い線が筆で描かれたように通る緋襷ひだすき。白い斑点がアクセントのように浮かび上がる胡麻。青灰色の帯が複雑な模様を描く桟切さんぎり。また器全体が青磁のように染まり、かと思えば純白に変わる。変化はめまぐるしく、飽きることがない。

 質感も、時間と共にさまざまに移ろう。磨かれたようなつるりとした手触りがあったかと思えば、ごつごつとした突起が手を刺激する。かと思えば、川底の粘土のような、もったりとした土っぽさが現れる。


 ああ、そうだ。わたしはそれを知っている。


「軽く器を叩いてみてください」


 手のひらではたくと、ぴんと張った太鼓を打ったような愉快な音が立ち上がる。爪で引っ掻けば、風鈴のような涼しい音色。指一つで弾けば、ギターの弦を爪弾いたような、切ない響き。指の腹で擦れば、それは官能的なヴィオラの音に変換される。思い思いの動きから生まれる、即興の幻想的音楽――


「お召し上がりください」


 彼らはいっせいに器を噛み砕く。パキンポキンと小気味のよい音。口内の欠片はふわりと解け、夢のような甘みを残す。その味もまた刻々と変化し、あるときは爽やかなレモンの味わい、またある時は舌を締め付けるような苦い味……。


「はっ、バカバカしい」


 キジマが嘲笑う声が聞こえた。



 彼の指摘はまさしく正しい。

 これは紛れもなく、わたしの作品。

 それも前回の品評会に出品したものだった。


「どうです? どうです? どうです?」


 黙りこんだまま咀嚼する審査員たちの表情も、渋いままだ。


「おいおい。スナドリと同類ってのは、そういう意味かい? この場でなんのヒネリもない模倣を出してくるとは思わなかったよ。いや、恐れ入るね」


 キジマは、ことさら聞こえよがしに独り言を言う。


「自分の作品を盗むような奴に付きまとわれては、さぞ迷惑なことだろうよ!」


 同調するように、室内のあちこちから忍び笑いが起きた。


 確かに不愉快ではある。


 だがそれ以上に、困惑と――そして恐怖を覚えていた。


 それはキジマが予想しているような、オリジナリティであるとか、常識であるとか、そういうレベルの感情ではない。

 それは致命的なズレを生む恐れがあった。

 わたしが長年作り続け、今日結実するはずの作品に。


 今から調整すれば、まだ間に合う。

 だが――


『僕こそが貴方の理解者なんだ』


 先ほどあの男が叫んだ言葉が、脳裏に蘇った。

 これはただの模倣か? それとも、模倣以上の意図が込められているのか?

彼は、わたしの意図を、どこまで理解しているのだ?


「えー、ハミナくん。この作品の感想だが……その……」


 スクリーンの向こうでは、困惑顔のクマソが何事かを喋ろうとしている。

 わたしは立ち上がった。

 彼の真意を確かめる必要がある。




 控え室。

 ハミナの出番が、午前の部の最後から二番目だったことが幸いした。今の発表者が戻ってくるまでの間、ここは無人だ。

 足元で呻いているハミナの襟元を掴み、ロッカーの奥へと引きずっていく。長身のくせに、驚くほど軽かった。


「なんだ、なんですかなんですかなんだ」


 わめき始めるハミナのみぞおちに、もう一度拳を叩き込む。えづくのに構わず、髪を掴んで引き上げた。


「なぜわたしの作品を模倣した?」


「あぁ、なんだなんだなんだ。スナドリさんじゃないですか……ねえ、どうでした、僕の作品?」


「黙れ」


 掴んだままの頭を、ロッカーに叩きつけた。踏まれた猫のような呻き。


「質問に答えろ」


 彼の心は相変わらずドロドロと不定形のままだ。だから聞き出すしかない。


「なぜわたしの作品を模倣した?」


 素材とその組み合わせ方さえ分かれば、他人の作品を再現することは、さして難しいことではない。それがどんなに複雑な技術であろうともだ。人間を超えた機械知性が溢れかえるこの時代、科学技術の全ては陳腐化している。もちろん、現実問題としての制限――膨大なエネルギーが必要であったり、膨大な時間が必要であったり――はあるが、わたしの作品にそういった部分は皆無だ。


 問題はそこではない。


 あれは単体での作品であると同時に、一つの仕掛けでもある。

 それはひそかに潜伏し、時が来れば目覚めるはずのもの。だがそれまでは、誰にも知られない必要があった。

 擬装はしている。

 だが、類推は不可能ではない。


 事実、彼のとった「模倣の提出」という行動は、わたしのプランを台無しにする一つの方法だった。

 それは、すべてを知った上で行われたものなのか……。

 あるいは、ただの偶然か。

 彼はわたしの意図に、どこまで接近しているのか。

 それを確かめる必要があった。


 答えないハミナの頭を、さらにもう一度、ロッカーに叩きつける。さきほどしたよりも強く。


「答えろ」


 もう一度。


「答えろ」


 もう一度。


「答えろ!」


 だがどれだけ痛めつけても、彼はわたしを挑発的な目で見つめるばかりだった。

 時間だけがじりじりと減っていく。


 彼を処理するべきか。


 しかし、彼はクマソの甥だ。他の有象無象と違い、多くの人に面が割れている。特にクマソと通じているのはまずい。ならば、いっそ彼を作品に組み込むか――様々なプランが頭をよぎったその時、彼が口を開いた。


「ひどい。ひどいひどい。なぜ模倣したかって? 僕が貴女の理解者だからですよ」


「答えになっていない」


「そのままの意味ですよお!」


 ヒステリックな叫び声。


「僕も貴女と同じなんだ。僕だけじゃない、おじさんも、他の親戚も……そうだろう? 僕らはみんな、歪な兄弟なんだ。試験管で作られた一族。企業のために、巨大な共同体の維持のために作られた、同じ遺伝子を持った子供。 スナドリさん」


「……どこで聞いた、それを」


「ヒヒ! そんなことは、どうだっていい。そうだ。僕はクマソコンツェルンの創始者の。貴女はお父上の、それぞれ道具として作られた。そして見捨てられたんだ! 不必要になったから。失敗作だったから」


 束の間脳裏に閃く、父の声。


『失敗だったな』


 濁ったガラス球のような瞳。


「会社から弾かれた僕を拾ってくれたのが叔父さんだ。そして僕は、貴女の作品を見た……。電撃が走ったんだ。あの破壊的な発想。破滅的なセンス。この世界の何もかもを憎み、素材として対象化せずにはいられない、あの世界観! 僕は嬉しかったんだ。やっと同類を見つけたんだと」


 彼は心底嬉しそうに……口の両端を吊り上げる。


「ねえ、貴女もこんな世界が嫌いなんでしょう? 何もかもが実現できて、口開けてりゃ機械が僕らの口に何でもかんでも突っ込んでくれて、家も服も映画も人間すら、文句のつけようのないマスターピースが大量生産されるこの世界が。僕らの兄弟もそうだ。企業という共同体の需要を受けて作られた、クマソという製品たち。……まぁ僕は、不要な因子が発現したらしいんですけどね。ヒヒ! ヒヒヒ!」


 狂ったような笑い声を通じて、不定形だった彼の心象がようやく明確なイメージを形作った。それは無限に広がる荒野。地面はひび割れ、絶望と諦観の穴がどこまでも深く続いている。茫漠とした光景を、ニヒリズムの風が吹き抜ける――


「貴女もぶち壊したいんだ! ラベルを貼って作り出し、不良品を工場みたいに切り捨てやがったこの世界を! 何もかもを!」


 わたしはもう一度、ハミナの頭をロッカーに叩きつける。


「それで?」


「それでって……」


「いや、いい。もう分かった。協力感謝するよ、ハミナ君」


 手を離した。

 彼は呆けた表情で、虚空を見ている。


「え? なんで? どうして? どうしてどうしてどうして……」


 こいつの内心など、どうでもよかった。

 勝手な共感も。

 無意味な自己投影も。

 勝手にすればいい。

 だがひとつ、はっきりと確信したことがある。

 彼は作品の仕掛けにも、わたしの意図にも、全く気付いていない。

 誰かからーーおそらくクマソ氏なのだろうーーから作品の断片を受け取って、それを機械にコピーさせただけ。

 本当に、ただの模倣。

 ならば問題はなかった。


 わたしはハミナの前に屈みこみ、彼の顔を正面から見据える。


「君に、わたしの作品をプレゼントしよう」


「へ?」


「今日出す予定のわたしの作品だ。……必要ないか?」


 見開いた彼の目が、みるみると潤む。


「ほんと? 本当ですか? ほんとに?」


「ああ。嘘は言わないよ」


 わたしは微笑む。ハミナは白痴のように恍惚の表情を浮かべ、涙を流していた。


「ありがとう、ありがとうございます。ありがとう……」


「その代わりに」


 わたしは両手をとってハミナを立たせ、聞く。


「君の作品、『予備』はもちろん用意してあるのだろう?」


 予備。それは出品した作品に不慮のエラーがあったときのために、誰しもが当然備えているものだった。彼のような狂人でも、いや、彼のように妄信的な価値観を持つものだからこそ、なおさら。


「それをわたしにくれないかな」


「……ええ! ええ、ええ、もちろん、もちろんもちろん」


 彼は懐からカードキーを取り出し、ふらふらと自分のロッカーの前に歩く。


 その中から金属製の黒いケースを取り出し、わたしに差し出した。


「はい、この中です。どうぞ。どうぞどうぞ」


「ありがとう。では、しばらく一人にしてくれるかな? 少し準備があるんだ」


 大人しく出て行くのを確認してから、一人深呼吸をする。

 箱を確認する。中にはあの、変化する焼き物が入っていた。

 これには、強い快楽を引き起こす物質が含まれている。その濃度は、クマソ氏ら審査委員に仕込まれている生体機械群バイオマシンが、本来ならば攻撃と認識するほどのレベル。


 だが、わたしはある方法を使うことで、それを欺瞞することに成功していた。あえて強い刺激を与えたのは、それが成功したかどうかの確認のためでもある。失敗すれば自身の命をも失い兼ねないテストだったが、無事成功した。


 ハミナはもしかすると、作品に含まれる薬物の虜になり、もともと不安定だった人格が決定的に破綻したのかもしれない。あるいは、あの作品の仕掛けが中途半端に作用した結果なのかも……。


 いずれにせよ、クマソ氏に二回目を食べさせることは、本来であれば避けねばならない事態だった。後々、作品に大きな影響を及ぼすことになるからだ。

  だからこそ調整が必要なのだ。

 今回の発表作品を突貫で作り変えなければならない。


 ざわめきがドアの向こうから聞こえる。時計を見た。ちょうど品評会の午前の部が終わっていた。もうすぐ、最後の発表者がこの部屋に戻ってくるだろう。

 休憩はおよそ一時間。

 あまり悠長に構えている時間はない。


 カードキーを懐から取り出し、自分のロッカーを開く。

 作品を手早く取り出し、さきほどハミナに渡された黒いケースと一緒に抱えて、控え室の奥に進んだ。


 控え室の両翼。その奥の突き当たりには、小さなドアがある。

 調整室。

 制作者が自分の作品の調整や、最後の仕上げを行う場所。

 ドアを開けると、デスクに乗ったモニターと、手術台のような制作台、狭いスペースに整然と並ぶキャビネットが目に入る。

 設備は少し心もとないが、まあ問題はないだろう。

 ドアを閉めて鍵をかけ、デスクに座り、作業台を起動させる。

 

 わたしの作品は、誰にも邪魔させない。


『失敗だったな。期待していたのだが』


 不意に、父の声がフラッシュバックする。

 ハミナの言葉を気にしている?

 まさか。そんな感傷はもう、とっくの昔に捨ててしまった。

 あるのは使命感だけだ。この作品を完成させるという。

 頭を振り払い、目の前のモニターに集中する。

 

 


 ーーさて、急ぎ作業を始めるとしよう。

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