[6ー4]変わらないもの、変わったもの

 客間はどこか微妙な空気感に包まれていた。奥のテーブルに着く母たちは積もる話に花を咲かせている。では違和感の正体はと探りかけたところで窓辺のソファに腰掛けていた少女が立ち上がった。


「遅いわ!」


 飛んできたアデレードは俺たちを順に見やって小首を傾げた。


「父さまの伝言ってそんなに長かったの?」

「まあ、ね」


 ソファと離れた窓際にはセイルの姿があった。腕組みをして外を見ていた弟はこちらに気づくとぶすっとした面持ちで歩いてきた。俺の前にアデレード、アッシュの前にセイルという立ち位置になったが、ふたりの間には心なしか距離があるような。


「……何かあったんですか?」


 おそるおそる尋ねたアッシュに、アデレードはふてくされた様子で「喧嘩を売られたの」と返す。セイルが「はあ?」と片眉を上げた。


「オレがいつ喧嘩売ったよ」

「『見覚えのある赤毛』って言ったじゃない! 名前があるんだからちゃんと名前で呼びなさいよ」

「ウソじゃねーじゃん! 見覚えあるからあるって言ったんだよ。言いがかりも大概にしろよな」

「セイルに言われたくないわ!」


 すかさず俺とアッシュがふたりの間に割って入った。

 ――再会していきなりこれか。

 やれやれと溜息をつくとアデレードはバツが悪そうな顔をした。


「ウィルトール、あの……」

「何年も会ってなかったなんて嘘みたいだな」

「だってセイルが全然変わってないんだもの……!」


 不満全開の訴えに内心同情はしたがおもてには出さないでおく。変わってないのは片方だけかな、そう目で尋ねればアデレードにも伝わったようだ。むっと頬を膨らませていたけれど、ふたりがそれ以上言い争うことはなかった。




 母お手製の焼き菓子が並ぶお茶の席は一見和やかに進んでいった。母親同士の話は弾んでいたし、セイルとアッシュも情報交換に盛り上がっていた。ただアデレードは少し元気がなくなって見えた。話を振れば笑顔は返ってくる。けれど彼女の目線はふとした折に下がってしまう。


 ――言い過ぎたかな。


 あとから聞いたことだけど俺たちが来る前に勃発した喧嘩は母とフィルさん、それに室内にいた使用人全員でどうにか止めたらしい。そのあとセイルに「思いやりは大事よ」と告げた母に対し、フィルさんはアデレードに「もっと女の子らしく振る舞えないの」と額を押さえていたとかなんとか。

 アデレードは十六になったと言っていた。なのに母親に怒られたうえ、俺もつい今までの癖で対応してしまった。気持ちが落ちこむのも無理はないかもしれない。


「少し歩かないか」


 気分転換を兼ねてアデレードを外に誘った。

 向かったのはやしきの裏手にある小さな庭園。ここは母のために造られたというだけあって母好みの華やかな花木が集められ、中央には座って休める東屋ガゼボが設えられている。

 レンガ造りのアーチをくぐるとアデレードは感嘆の声をあげた。出迎えてくれたのはちょうど見頃を迎えたヒメリンゴの白い花たちだ。やさしい香りで胸を満たし、次にクレマチスやオルレアが咲き乱れる小径こみちを進めば俺たちを待っていたのは色とりどりの薔薇の園だった。


「素敵!」


 花から花へ、楽しそうに駆けるアデレードはまるで蝶のようだった。はしゃいでいる姿になんとなく既視感と微笑ましさを覚える。それから郷愁も少しだけ。

 やがてガゼボに辿り着いた彼女は絡みつくつる薔薇バラをうっとりと見上げ、厳かに中に入っていった。

 ふんわり甘い香りに満ちた空間に優しい陽の光が降り注いでいた。ひとつ深呼吸したアデレードはくるりと回転した。赤い髪とワンピースドレスの裾が大きく広がるのが外からも見える。

 遅れて足を踏み入れれば彼女がパッと振り返った。


「ウィルトール!」

「お気に召してもらえたかな」

「とっても! ウィルトールのお家にこんなに素敵な庭園があるなんて」


 笑顔が弾けた。表の庭よりここの花の方がアデレードも好みそうだという推測はどうやら正しかったらしい。

 長椅子に並んで腰を下ろした。ガゼボの内側に這う蔓薔薇やその他の花々をアデレードはキラキラした目で見つめていた。その面差しについ記憶の中の幼い彼女を探してしまう。


 昔いつだったか花畑に出会でくわしたことがあった。普段は通らない道だったから、そこに花畑があることを俺たちは知らなかった。アデレードは花束を作りたいと駆けていき、俺は「早く帰りたい!」とうるさい弟たちを宥めることになったっけ。


「そういえばさ、前にみんなで……」


 花冠を作ったことがあったな。そう続けるつもりで口を開いた俺は、次の瞬間ハッと声を飲みこんだ。アッシュの神妙な声が耳に蘇る。

 事故前後の話は極力避けてほしい――それには俺も異論はない。問題はあの〝即興の花冠教室〟がいつのことだったのかだ。もしあれが時期の話であれば余計な刺激になりかねない。


「なぁに?」


 無邪気な双眸が俺を見上げていた。反射的に「いや、」と返し、適当な言葉を探し出す。けど焦って考えるほど何も思いつけず、結局はなんでもないよと濁した。

 しばらく不思議そうな顔をしていたアデレードはそのうちふふっと笑みを漏らした。笑わないでねと前置きすると内緒話をするように打ち明けてくれた。


「わたしね、今日会えるのをすごく楽しみにしてたんだけど、不安もすごくあったの」

「不安?」

「忘れられてたらどうしようって。もし覚えてくれてたとしても普通に喋れるかわからないし……。昨日は全然眠れなかった」

「そんなに? アディのことは忘れないよ。忘れるわけがない」

「ほんとう!?」

「実際どうだった? 今こうして喋ってるけど」


 顔を覗きこめばアデレードは「大丈夫だったわ」とはにかんだ。それから跳ねるように立ち上がった。


「今日は、来てよかった!」


 振り向いた彼女が見せたのはどこか大人びた笑顔だった。

 くるくる変わる豊かな表情は変わらない。まっすぐで溌剌はつらつとした気質も。だけど笑い方は少し変わったかもしれない。ソーダ水の弾けるようなあの軽やかな笑い声はもう聞けなくなってしまったんだな、そう思うと少しだけ寂しいような気がした。





  * *





 あっという間の午後だった。いつもはエントランスホールで客人を見送る母は、今日は正門まで三人を送っていった。馬車の前でフィルさんが挨拶を述べ、アッシュとアデレードもそれに続いた。


小母おばさまのお菓子とっても美味しかったわ! ウィルトールとセイルが羨ましい。母さまも作れたらよかったのに」

「それは違うわよアディ。お菓子なんて普通は作れないの。作れるマリーがすごいの。間違えちゃだめ」

「小母さまがすごいのは知ってるわ。そうじゃなくて、わたしも作れるようになりたかったって言ってるの。もしわたしが小母さまの娘だったら、一からやり方を教えてもらえたでしょ。そしたら今頃きっと作れるようになって」

「まあ……それは本当なのアデレードちゃん?」

「え?」


 母はまるでお祈りでもするように胸のあたりで両指を組み合わせていた。そうして一歩踏み出すとアデレードの手を取った。頭上に疑問符を浮かべて目を丸くしている少女に、母はキラキラした眼差しを向けた。


「アデレードちゃん……、わたくしと一緒にお料理してみる?」

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綺羅星の子 りつか @ritka

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