[1ー2]元気になってほしくて
「お帰りウィル!」
出むかえてくれたアンがだきしめてくれた。大すきなアンのにおいはなつかしくて、本当にお家に帰ってきたんだなって思ったらうれしくなった。
ただいまと返事をして、ぼくはアンに小さな花たばをわたした。
「あのね、おみやげこれしかなくてね……。みんなからもらったんだけど、アンの方がこういうのすきでしょ?」
「なんていい子なの! ありがとう。嬉しい」
「ねぇ、赤ちゃんは? 男の子? 女の子?」
ワクワクとたずねたぼくにアンはちょっとだけこまったような顔をした。それからかがんでぼくと目線を合わせた。
「あのね、赤ちゃんね……お空に帰っちゃったんだ」
「……お空?」
「ちょっと慌てん坊さんだったみたいでね、忘れ物取りに帰っちゃったみたい」
「ふぅん……」
赤ちゃん、いないんだ。
そう思うとちょっとガッカリだった。だってぼく、いっぱいいっぱいお世話するって決めてたんだ。いっしょに遊んだり、いっしょにごはんを食べたり、きっと毎日楽しいだろうなって思ってた。お母さんもにこにこ顔になって、いっぱいいっしょにいられるのかなって、そう思ってたのに。
――ぼくが学校に行ってたのって意味あったのかな。
そりゃあ思ってたよりは楽しいことも多かったけど。お友だちもできたし。みんなで勉強するのもおもしろかったし。でもイジワルな子も何人かいた。イジワルをされると悲しくて、そういうときは早くお家に帰りたくてたまらなかった。
くちびるをとがらせてたぼくのほっぺたを温かい手がつつんだ。
「そんな顔しない。今一番悲しいのはお母さんだからね。ウィルも頑張ったと思うけど、お母さんも頑張ったし、どんなに頑張ってもどうしようもないことってあるんだよ。悲しいことだけどね」
「うん……」
ぼくはうつむいた。アンの手の中の小さな花たばが目に入る。
花をあげたら笑顔になったアン。よろこんで、うれしいって言ってくれた。
ぼくはそろそろと顔を上げた。
「……ねえ、アン。あのね、そのお花なんだけどね……。あの、お母さんも、お花もらったら元気出るかな……?」
アンはぼくの顔と、手にした花たばとを見くらべてにっこり笑った。
「うん、ただいまって言っておいで。きっと元気になってくれるよ」
アンの笑顔に勇気をもらった。返してもらった花たばを両手でかかえて、ぼくは部屋をとび出した。
お母さんにただいまを言って、お花をわたそう。
お母さんもよろこんでくれたらいいな。ちょっとでも元気になるように、ぼくにもできることがあったらいいな。
* *
つめたい雨がふっている。枝と枝の間からこぼれ落ちてくるしずくが水たまりにはねて、高い音を立てた。
ぼくは古くて大きな木のうろにひざをかかえこんですわっていた。あたりがだんだん暗くなってくるのをぼんやりながめていた。
どのくらいそこにいたかわからない。はじめはザーザーふってた雨はいつの間にかしずかになっていた。ぬれた服がつめたいとも感じなくなってきたころ急にバシャバシャって水音が聞こえて、気づくと目の前にだれかの足があった。
「みつけた……」
「……リュー?」
ぼくは目を丸くした。リューは両ひざに手を当てて、荒い息を整えていた。全身ずぶぬれだ。いつもはサラサラ軽いかみの毛が顔にはりついてて、前髪が長いからちょっと鬱陶しそうだった。
「ウィル……帰って早々、なに、かくれんぼしてるんだよ。探したよ……。家で待ってろって言ったの、ウィルだろう? なのに、ただいまの挨拶にも来ないんだから」
苦笑いするリューを見てたらなんだか目をそらしたくなった。帰ろうと言ってのばしてきた手を取ることはできなくて、代わりに首を横にふった。
「イヤだ、帰らない」
「なんで……」
「……だって。だってお母さん、出ていけって……。悪い子は、キライだって。ぼく、お母さんに、元気になってほしくて、お花あげたの。でも」
ぼくがただいまと言うとお母さんはちょっと笑ってくれた。だけど花たばをわたしたら急に苦しそうな顔になって泣き出した。
花をよこすなんて、赤ちゃんが生まれなかったのがそんなにめでたいの、と――。
昼間のことを思い出したらまたお母さんの声が聞こえてきて、涙が出た。目のまわりがヒリヒリして痛い。
「……ぼく、やっぱりいらない子なんだ……」
ひざに顔をおしつけて、小さい声で言ってみた。だからきっとリューには聞こえなかったと思う。
でも口に出してみたら、ああ本当なんだ、そうに決まってるって思えて、すごく悲しくなった。のどがぐうっとせまくなって息をするのが大変で、顔がとても熱かった。
――本当は。そうなんじゃないかなって、前から思ってた。お母さん、あんまり会ってくれないし。いつもこわい顔してるし。
でも「そうなの?」って聞くのはこわくて、それにそう思うこともダメな気がして、アンにもおこられそうだからずっと言えなかった。
ちょっとの間は何も考えられなくて、ぼくは小さくなって泣いていた。でもすぐに、リューが心配するから泣いてちゃダメだって思った。それで鼻をすすって一生懸命息を止めるんだけど、へんな発作みたいになって止まらない。息をすう合間に歯がカチカチ鳴って、ぶるっと身体がふるえた。
ウィル、としずかな声がぼくの名前をよぶ。頭の近くから聞こえたそれに返事をする気にはなれなかった。
「……アンがね、怒ってたよ」
「……え?」
ぎくりとした。アンも、ぼくのことをおこってるなんて。もしかしてぼくが悪い子なのがばれちゃったのかな。
どうしよう、アンにもいらない子って言われたらどうしよう。
急にむねのドキドキがはげしくなった。どうしたらいいのかわからなくて、しゃくり上げながらちょっとだけ顔を上げた。そしたらリューもおんなじようにぼくの前にしゃがんでいた。笑ってるような泣いてるような、フシギな顔をしている。
「お母さんにね、怒ってた。ウィルも、お空の赤ちゃんも、ふたりとも大事な我が子だろうって。比べられるものじゃないよって」
「……リュー、」
「アンはウィルのこと大好きだって言ってたよ。もちろん俺も大好きだよ。アンはね、赤ちゃんの頃からずっとウィルを見てきたから、ウィルがいい子で頑張り屋さんなのよく知ってるって。だから、これからはアンがウィルのお母さんになりたいんだって」
ぼくはびっくりした。そんなの考えたこともなかったから。
「アンが、ぼくのお母さん?」
「そう、お母さん。ウィルはどう思う? 俺はそうだな……アンがお母さんだったら大変だろうなあ。何から何まで全部口出ししてくるし、好き嫌い絶対許さないし、お勉強の時間も増えそうだよなぁ。あ、あとあれだ、嫌でも医者に連れてかれる」
リューは途中からおどけた口調でまくしたてた。ぼくは泣き笑いの顔になって切り返す。
「……それ、リューだよ。たいへんなの」
「あ、そうか」
ちょっと間があいて、ぼくたちはくすくす笑った。リューはとてもやさしい目をしてた。
「お母さんはさ、今は悲しい気持ちが大きすぎて、それで間違っちゃっただけなんだ。ウィルはお母さんの悲しい気持ちをちょっと多く貰いすぎちゃったね。気持ちはみんなに伝わっていくからさ。……俺は、どうせ伝わるなら嬉しい気持ちや楽しい気持ちの方がいいな」
「うん……ぼくもそっちがいい。……ねえ、どうしたらいいのかな……?」
ぼくがたずねるとリューはにやっと笑った。
「簡単だよ。ウィルが元気な顔を見せればいい。みんな待ってるよ。帰ろう?」
リューがさし出した手を今度はちゃんとにぎり返した。リューの手はひんやりつめたくて気持ちよかった。一気に手を引かれて立たされたと思ったときにはもうだき上げられていた。
「リュー?」
「疲れただろうから抱いていってあげるよ。この方が楽だろう?」
「うん」
すごく安心して、リューの肩に頭を乗せた。霧のように細かな雨がほっぺたに当たる。それもなんだか心地がいい。
ぼくはふと思いついてリューの顔を見上げた。
「ねえ、もしアンがお母さんなら、リューはお父さんになってくれる?」
「ええ!? お父さん!?」
「ダメかな? だってぼく、アンとリューとずっといっしょにいたいもん……」
「うーん、お父さんか……お兄さんくらいで勘弁してほしいかなぁ。俺、お父さんってガラじゃないんだって。ウィルもそれは思うだろう?」
ほんとに弱ったような声を出すからぼくはなんだかおかしくなってくすくす笑った。
そうかな、お父さんっぽくないかな? ぼくはリューがお父さんだったらとってもうれしいのにな。
お兄さんでもいいよ。やさしくて、楽しくて、大すきなリュー。リューがいっしょだったらなんでもうれしいな。
リューの足はとても速かった。まるで走ってるみたいな歩き方だから、まわりの景色がどんどん変わっていく。そういえばリューは走るのも速いんだっけ。リューみたいに速く走れたら友だちとのかけっこなんかぶっちぎりで一等賞だ。今度走り方を教えてもらおうかな。
――ゆらゆらだかれているうちにおだやかな眠気にさそわれて、ぼくはいつの間にか眠ってしまったらしい。だからそのあと何が起こったのか、ぼくはぜんぜん知らなかった。
* *
ぼんやりしたまどろみの中。顔を動かさずに目だけぐるりと動かして見えたのは薄暗い天井と、かべ。それから暗い緑色のカーテン。なんとなくなじみがあるような、ないような。ここはどこだろうと思う前に、何か考えること自体がとてもめんどうくさくて、ぼくはゆっくり目をとじた。
ちょっとはなれたところで男の人と女の人の声がしていた。おこってる感じで言い合ってる。ひとりはアンだってすぐわかった。でも、もうひとりはだれだろう?
「だめだ、そんな使い方をすれば一気に
「離して! あたしにもあんたと同じ力があるんでしょ!? 今使わないでいつ使うって言うの!?」
「君にさせるくらいなら俺がやる!」
なんの話をしてるんだろう。もしかしたらケンカかな。だけど言葉の意味がぜんぜん頭に入ってこない。ぼくのまわりにへんなにごったまくがはってるみたい。せめて顔をそっちに向けようとしたけど身体もぜんぜん動かなかった。
「あんたに力は使わせない。今まで散々頼ってきたんだ。もう無理させたくないんだよ。わかってよ、リュー」
リュー。その語だけが心にしみこんでいく。いつものにこにこ顔がふわっと浮かんだ。
――そうだ、リューがむかえに来てくれたんだ。
お家をとび出して、雨がふってきたけどどこにも行けなくて、そしたらリューが来てくれた。いっしょに帰ろうってだっこしてくれたんだった。
ああそっかともう一度目を開ける。ここはぼくの部屋だ。道理で見おぼえあるはずだ。
「無理は、していない。俺の望みは前に言った通りだよ。気遣いこそ無用なんだ」
「気遣いじゃない! そうじゃなくて……大体あの話だってあたしは全然納得してないんだよ。それ以外の選択肢だってあんたには」
「……話すんじゃなかったかな、やっぱり」
そこで声が聞こえなくなった。お話、終わったのかな。
だけどなんだかしんじられなかった。リューがアンの言うことを聞かないなんて。あ、言うこと聞かないのは時々あるけど、それでもいつも「ごめんごめん」って笑って話を流しちゃうから。
リューはいつもにこにこしてる。にこにこしてる顔しかぼくは知らない。どなったり、こんなケンカみたいに言い合うリューなんて一度も見たことがない。あの声は本当にリューなのかな。ケンカの理由はなんだろう。
――もしかして、ぼくのせい?
ぼくが何も言わないで家をとび出しちゃったから、アンはぼくの代わりにリューをおこったのかもしれない。それでリューはイヤな気持ちになっておこっちゃったんだとしたら。
「……ケンカ、しないで」
くちびるがかわいていて、思ったより大きく口を開けられなかった。のどはひりひり熱くて、声はかすれていて、ちゃんと聞こえたかどうかもわからない。でも、人の気配が近くに寄ったのを感じて、ぼくは一生懸命しゃべった。リューのせいじゃないってわかってほしかった。
「悪いの、ぼくなの。おやくそくしたのに、言わなかった……。ごめんなさい。リューを、おこらないで」
たったそれだけなのに、言うのはすごくたいへんだった。身体が熱くて、むねのドキドキが耳元で聞こえる。それに頭ががんがんと、ひどく痛んだ。
そうしたらおでこと目をおおうように、ひんやりした何かがふれた。手の感触だってすぐにわかった。頭の痛いのがうすれていくような気がした。
「ウィルは悪くないよ。大丈夫。喧嘩もしないから安心して」
あったかい声だった。アンかリューか、どっちの声かはわからなかった。でもどっちでもいいやと思った。ふたりがなかよくなったら、それでいいや。
安心したら急に眠たくなった。おやすみって声が聞こえて、ぼくは返事をするのもめんどうになって小さくうなずいた。ふわんと温かくてやわらかな闇がぼくをおおっていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます