綺羅星の子

りつか

綺羅星の子

1章 16年前

[1ー1]リューはいっつも笑ってる。

 馬車は、とちゅうでおりてきた。

 だってリューがこまったような笑顔で言ったから。


「ここから歩こうか。お家まで乗って帰っちゃうと、あとでちょっと面倒臭いことになるからさ」


 なんでめんどくさいことになるんだろう。理由はわかんなかったけど、「歩ける?」って聞かれたからそのまま「うん」ってうなずいた。




 ――知らなかったんだ。坂道を登るのがこんなにたいへんだったなんて。




 いつも街に行くときは、行きも帰りも全部馬車だ。歩くことがあってももっとゆっくりだし、こんなに息が切れることもない。


「大丈夫かい?」


 頭の上から声がして、ぼくは少しだけ顔を上げた。目の前で銀色の髪が、お日さまを反射してキラって光った。まぶしくって目をつむったら、うでをつかまれて止められた。


「ちょっと早足だったから疲れたかな? そうだ、おんぶしようか」

「だいじょうぶだよ、リュー。まだまだ、元気だよ」

「じゃあ、持つよ。貸して」


 リューの手がのびてきて、ぼくはあわてて身体をねじった。それから首を横にふった。


「だいじょうぶ。これは、ぼくが、持つから」


 リューの顔をまっすぐに見て、それからぼくは自分の両手を見た。ここまで大事にかかえてきたのは小さな箱。茶色い紙でくるんで、その上から緑色のリボンをかけてある。これはぼくが持っていかなきゃ意味がないんだもん。

 そしたら背中をぽんってたたかれた。


「偉いぞウィル。あともう少しだから頑張ろう」


 リューがにこって笑って、ぼくはうれしくなった。

 なんだか元気がふえた気がする。




 家までは一本道。ひたすら登って、足が痛くて、やっぱりおんぶしてもらおうかなって考えてたらやっと表門が見えてきた。リューが門のおじさんとお話するのをちょっと待って、それからふたりで中に入った。


「アンは来てないってさ。今日はバレずに済みそうだね」

「前は見つかっちゃったもんね。アンがむかえにきたとき、ぼくビックリしすぎて息が止まるかと思った」

「あー……実は俺も」


 そこでぼくたちは顔を見合わせてクスクス笑った。

 ちょっと前にはじめてリューと街にお出かけしたときは、とちゅうでアンに見つかっちゃって、おこられた。もうナイショで行っちゃだめだよって、おやくそくもした。なのに今日また行ったなんてアンに知られたらぜったいおこられる。この前よりもいっぱいおこられるかもしれない。

 でも、今日はどうしても行かなくちゃいけなかった。だからバレるわけにはいかないんだ。




 エントランスホールをそうっとぬけて、階だんを上がる。こっそりこっそり歩いたおかげか、だれにも会わずにアンの部屋の前まで来られた。

 深呼吸を二回。それからとびらをたたこうとして、ぼくは急にこわくなった。


「……ねぇ、このあとどうしたらいいのかな?」


 ぼくが言うとリューはちょっとビックリした顔をした。それですかさず両手の中の箱をリューに見せた。


「あのね、これ……アンがいないときに、こっそりお部屋においとくのじゃ、だめ?」

「うーん……。やっぱり素直に謝るのが一番なんじゃないかな?」


 リューがしゃがんで、顔が近くなった。むらさき色の目は、こまったようにぼくを見てた。きっと、あやまってほしいんだろうな。だけどぼくはあわててぶんぶんと首をふった。


「だめだよリュー。アンはぜったいおこるに決まってるもん」

「でもねぇ、いつまでも隠しておけないよ?」

「そうだけど……どうしよう……なんて言ったらいいと思う?」




「ふたりとも、そこで何してるの?」




 とつぜんふってきた声にぼくたちは飛び上がるほどビックリした。

 ふり返るとアンがいた。てっきり部屋の中にいるんだと思ってたのに、まさか後ろからあらわれるなんて。

 アンはうで組みしてにこにこ笑ってた。けど、目のおくは笑ってない。


「リューもウィルも、こんなところにいたんだね。あたし随分探したんだけど」

「あはは……アン、ただいま」


 リューがゆっくり立ち上がった。アンは笑顔で「おかえり」って言った。

 アンは、ぼくのお父さんの妹。ぼくのを見てくれてて、背がとっても高いんだ。ぼくなんか、かんたんにひょいっとかかえちゃうんだよ。

 そしてリューの背も、アンと同じくらいひょろっと高かった。


「今日は大事な用があるって言ってあったよね? リュヴァルト、あんたがついていながら今までどこほっつき歩いてたのよ!」

「うわぁ、ごめん! ごめんアネッサ! 次から気をつけるから今回だけは――」

「見逃せない! その台詞は聞き飽きた!」


 今にも逃げようとするリューの首根っこをアンがあざやかにつかまえた。ぼくはあわててふたりの前に出た。


「ごめんなさい! ぼくが悪いの!」


 大事にかかえてきた箱をいきおいよくアンにさし出した。わたすのは今だって思った。


「あのね、アンの大事にしてたグラス、落としてわっちゃったの。それでリューがいっしょに新しいの、さがしに行ってくれたんだ。……だから、りゅ、リューをおこらないで。ごめん、なさい」


 言ってるうちにじわりと涙がにじんだ。鼻をすすって一生懸命まばたきした。




 アンはリューから手をはなしてぼくの持ってた箱を受け取ってくれた。それからかがんで頭をポンポンとなでてくれる。


「そういうことか……わかった。けど約束したでしょ? 出かけるときはちゃんとあたしに言ってからだよって」

「うん……」

「じゃあ今度こそ約束。いい?」

「うん……」


 アンはにこっと笑うと、小さな手さげぶくろからハンカチを出してぼくの顔をふいてくれた。それから、ありがとう大事にするって言ってくれた。

 ぼくはうれしくなった。ああよかった。




「今日は、ウィルがどれくらいお勉強ができるか見るよって言ったの、覚えてる? もう先生が来てくれてるからね」

「……学校なんか行きたくないのに」


 楽しい気持ちはあっという間にしぼんでうつむいた。なんでお家をはなれて知らないところに住まなくちゃいけないんだろう。


「お母さんに赤ちゃんが生まれるまでのちょっとの間だけだから。それに、行ってみたら案外楽しいかもよ?」

「そうそう、学校は俺も行ってたことあるけど結構面白いんだぞ~。いっぱい友だち作っておいでよウィル」


 アンがこまったように笑った。リューはにこにこ笑ってた。ぼくはアンとリューの顔を交互に見て、小さくうなずいた。なっとくしたわけじゃないけど、時にはイヤなことがあってもガマンしなくちゃいけないものなんだって。それが人生なんだぞーって、この間リューが言ってたから。

 アンはぼくの背中に手をそえて部屋の方に向かわせた。それから思い出したようにくるっとリューの方に顔を向けた。


「リュー。あんたにも先生来てるから。ちゃんと。――逃げないでよ」

「あー。はいはい了解」


 ぼくもちょっとだけリューにふり向いてみた。リューはにこにこ笑顔で手をふってくれた。





  * *





 見晴らしのいい丘の上にぼくの家はある。

 門をくぐってちょっと歩いたところに大きな木があって、そこがぼくのお気に入りの場所。ここからだとフォルトレストの街がよく見えるし、ずっと向こうにフォルト川も見える。気持ちいい風がふいてくるのもけっこうお気に入り。

 木にもたれて本のページをめくる。ぼくのまわりには小さな友だちがたくさんいた。ネコが白いのと灰色のとブチのが一ぴきずつ、それにかたっぽの耳がたれてる犬。みんななかよくじゃれたりすわって休んだりしてる。


「読書かい?」


 ふってきた声に顔を上げるとリューがいた。


「人気者だね、ウィル」

「ぼくじゃないよ。アンが人気者なんだよ。だって、みーんなアンが拾ってきたんだもん。だからね、みんなはアンのことが大すきなんだ」

「ははは、違いない。じゃ、俺もその拾われ仲間に入れてもらおうかな」


 そう言ってリューはぼくのとなりにごろんとねそべった。両手をまくら代わりに頭の下にやって目をとじた。銀色の髪の毛がさらさらと風にふかれてる。


「……リュー、お医者さんに会わなかったでしょ。アンがおこってたよ。逃げないでって言ったのにーって」

「あー……バレたか。まずいなぁ、また怒られちゃうな」

「おこられるのがイヤだったら、ちゃんとみてもらえばよかったのに」

「そうだよなぁ。いやぁ俺ってほんと馬鹿だよなぁ」

「ほんとそうだよ。学習ノウリョクがないよ」


 リューは、はははって笑った。

 おこられるのがわかっててなんで言われた通りにしないのか、ぼくにはさっぱりわからない。ぼくだったら言われたことはちゃんと言われた通りにするのに。

 大人ってよくわからない。




 ここに来たときからリューはいっつも笑ってる。アンがどれだけおこってもリューはにこにこ笑顔をぜったいやめない。だからさいごはいっつもアンの方が根負けする。

 リューが笑ってなかったのはこの家にはじめて来たときだけだと思う。いつもみたいにここで本を読んでたらアンが帰ってきたのが見えた。すごくこわい顔で「誰か呼んできて!」って言って、門のおじさんがあわててよびにいった。そのときアンがつれてきたのがリューだった。真っ白な顔でねてたから、この人だいじょうぶなのかなってぼくも心配になった。

 お医者さんをよんだりして、ちょっとしたさわぎになった。けれど目がさめたらもうリューは笑ってたよってアンが言ってた。

 それからリューはいっしょに住むようになった。ずっといるわけじゃなくてきのうみたいにふらっと出ていくこともあるし、そのまま何日かいないこともある。でも大体はぼくとアンといっしょにいた。

 アンとリューと動物たちとぼく。ぼくの世界はそれだけだった。




「勉強は? できたのかい?」


 リューのむらさき色の目がぼくを見上げていた。光の当たり方で暗い青色にも赤むらさきにも見えるフシギなリューの目。


「いちおうね。来週から行くことになったよ。……五ヶ月も長すぎるよね」

「五ヶ月かぁ。ま、案外あっという間だよ」

「そうかなぁ」

「そうそう」


 リューは軽い調子で相づちを打って、大きなあくびをした。




 ぼくは本に目を落とした。ページを見つめながら、だけど内容はぜんぜん頭に入ってこなかった。そんなことよりも、気になってたことを聞くなら今じゃないかって思った。


「……ねえ、ひとつ聞いてもいい?」

「うん?」

「あのね、あの……リューはここにいるよね? ぼくが帰るの、待っててくれる……?」


 おそるおそるたずねた。横目で見るとリューは目を丸くしていて、それから急に起き上がった。がしっと頭からかかえこまれて、大笑いしながらかみの毛をぐしゃぐしゃにかきまぜてくる。


「なんだ、そんなに俺のことが好きなのか! ウィルはほんと可愛いなぁ!」

「痛い! 痛いって! はなして、リュー!」


 ぬけ出そうともがくけど、ぼくの力じゃリューのうではびくともしない。

 しばらく格闘したあとようやくぼくはリューのうでの中から顔を出した。新鮮な空気をむねいっぱいにすいこんで、それからおこった顔でにらみつけた。


「ひどいよ! 力の差を考えてよ。子どもだよ?」

「うん、ごめんごめん。嬉しかったからさ」


 リューはにこにこ笑って言った。ぼくがどんなにむーって顔をしてもリューのにこにこ顔はかわらなかった。本当は悪いことしたなんて思ってないんじゃないかなあ。

 リューはぼくをつかまえたまま、ぼくの頭をぽんぽんとなでた。


「ウィルが思ってるより五ヶ月って短いよ。大丈夫。俺はここにいるから。……あ、アンに追い出されない限りは、だけどね」


 リューがナイショ話みたいにこっそり言うから、ぼくは思わずふき出した。くすくす笑いながらリューの顔を見上げる。


「じゃあ、アンにおねがいしとくね。リューを追い出さないでって」

「うん頼むよ。俺の処遇はウィルに掛かってるぞー」


 リューの返事は軽かった。真面目な顔になったのは一瞬で、すぐに笑顔になってた。きっとそのくらい、あっという間なことなんだ。

 ぼくはホッとしてリューといっしょに笑った。





 ――リューの言葉は本当だった。はじめての学校生活にとまどいながらも友だちとすごす毎日はそれなりに楽しかった。長いと思った五ヶ月はまたたく間にすぎていった。

 ともに勉強していろんな知識を身につけて、五ヶ月がたったその日、ぼくはぼくの家にもどった。

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