[5ー2]運命の人

 いつもの時間、いつもの場所、いつもの顔ぶれ。

 そして起こったこともまたいつものこと――。




 変な発作のようにしゃくりあげていたアデレードはようやく落ち着いたようだ。俺の服の裾を握りしめ、時折鼻を他は静かにしていた。


「何があったんだ?」


 俺は腕組みをし、前に並ばせたふたりを順に見やった。アッシュは俯いてもじもじと両手指を組み合わせている。セイルはといえばムッとした顔で明後日の方を向いていた。

 こういうときの弟には何を聞いても無駄だ。俺は軽く屈んでアッシュの顔を覗きこんだ。名前を呼び、しばらく待っていると彼はちらとアデレードを一瞥いちべつして口を開いた。


「おねえちゃんが……ハナムグリってしってる? ってきいてきて」

「ハナムグリ?」


 眉を顰める。その瞬間アデレードの手に力がこもった気がしたが、ひとまず振り向くことはやめておく。

 小さく頷いたアッシュに「虫の?」と重ねて尋ねれば、彼は再度コクリと頷いた。


「どんなのかとか、見たことないっていわれて、セイルといっしょに、つかまえたんです。そしたら、おねえちゃんがおこって」

「だって! ワザと持ってきたでしょ!? わたしが虫キライなの知ってて!」

「きかれたから見せたんだろ! せっかくつかまえてやったのに」

「つかまえてなんて言ってないもん! あんな虫、セイルもアッシュも知ってたんだったらダメなのわかるでしょ! 意地悪!」

「はぁー!?」


 今にも取っ組み合いをし始めそうなセイルとアデレードを俺は慣れた手つきで引き離した。深く溜息をつき、アデレードを振り返った。


「『セイルが、虫を、顔にくっつけてきた』?」

「ウソじゃないもん! 顔につくくらい、近くに持ってきたの! セイル、すごくわらってた!」

「顔にはついてないんだね?」


 じっと見つめているとやがて少女は渋々頷いた。

 次はセイルに向き直る。


「――セイルも。アディが虫を苦手なのは知ってるだろう? わざわざ嫌がるようなことをするな。せっかくの親切が台無しだぞ」

「じゃあ、ほかのヤツにきけよ! アッシュ、いこうぜ!」

「あっ、まってセイル」


 捨て台詞を吐くとセイルはパッと駆けていった。そのあとをアッシュが追いかけていく。

 ――いつもいつもなんでこんなに喧嘩ばかりなんだろう。もうちょっと仲良くしてくれたらいいのに。

 そう考えて内心で首を横に振った。始めは三人仲良く遊んでいるのだ。そのうち些細なことで意見が食い違い、あっという間に大事おおごとになってしまう。そのたびに俺が仲裁に入るけどお互いを謝らせるところまではいけず、毎度同じことの繰り返しだった。


「ウィルトール、あの」

「うん?」

「あの……ごめんなさ……」


 裾を掴む手はそのままにアデレードはしゅんと項垂うなだれた。俺は彼女の前にしゃがんで目の高さを合わせた。


「何が?」

「あの、さっき、顔についてないのに……わたし」


 アデレードの目線は地面に縫い留められ、全然こちらを見てくれない。

 ――この半分でいいからセイルも悄気しょげる性格ならよかったな。そうだったら少しは違ったかもしれない。

 そんなことを思いながら、


「……アディは、どうしてハナムグリが気になったの?」


 俺は彼女の顔を覗きこんだ。

 アデレードは虫が大の苦手だ。甲虫はもちろん駄目だし、美しい蝶でさえ間近に飛んでこようものなら大騒ぎだ。そんな彼女がハナムグリとは。

 唇を真一文字に引き結んでいたアデレードは、俺の手を引っ張った。


 家の裏手のブランコに本が乗っていた。アデレードはそれを俺に渡してきた。これは俺が貸してあげた本だ。子ども向けの民話集で、先日読んであげたらアデレードが興味を持ったのだ。ちょうど文字を習い始めたから自分で読んでみたいと。


「みっつめのお話」

「みっつめ?」

「おひめさまがね、ためにに会いに行くの」

「ああ、お姫さまと王子さまが旅に出る話だ」

「でね、セイレイが『ハナムグリをつかまえて投げなさい』って。ハナムグリがとんでいったところに、運命の人がいて」

「それで気になったんだね」


 少女はコクンと頷いた。

 ――そういえばそういう話があったっけ。生まれたときに祝福ではなく呪いを貰ってしまった姫の話。ハナムグリが飛んでいった方角には別の呪いを持つ王子がいて、ふたりはお互いの呪いを解く術を求めて旅に出るのだ。最後は無事に呪いが解けてめでたしめでたしという物語。

 俺は旅のくだりが楽しかった覚えがある。呪いを解くための試練や知恵比べも面白かった。だがアデレードは〝ハナムグリ〟に興味が湧いたらしい。「もしかわいい虫だったらわたしでも投げれるかなと思った」とこぼした。


 本を再びブランコに預け、俺は少女の手を引いた。庭をうろうろ歩いてまわり、黄色の小花が固まって咲いている場所でやっと目当てのものを見つけた。


「見て、アディ。これがハナムグリ」

「えっ!? やっ……」

「大丈夫。刺したり、痛いことは何もしないよ」


 アデレードは後ずさろうとしたけど俺はその手をぐっと掴んだまま離さなかった。おいでと促して花の前に来させる。俺の指さした先には緑色の背に白い星を散らせた小さな虫がいた。花から花へ、薄い花弁の上を器用に渡り歩き、せわしなく花芯に頭を突っこんでいるハナムグリ。夢中で花粉や蜜を食べているようだ。

 食事の他には見向きもしないさまにアデレードも少し落ち着きを取り戻した。ほんの僅かだが距離を詰め、おっかなびっくり観察している。

 俺はごめんねと呟くと、空いた方の手でハナムグリをつまんだ。アデレードが再び逃げの体勢になったけど、手は繋いだままでハナムグリを彼女に見せてみた。


「投げてみる?」

「イヤ! むり! ウィルトールが投げて!」

「俺が投げるの?」


 ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いでアデレードは首を縦に振った。

 ――触るのはさすがに厳しいか。

 あっさり思い直した俺はハナムグリを軽く放り上げる。放物線を描いて落ちるかと思いきやそれは空中でサッとはねを広げ、ぶぶぶと低い音を響かせながら北の方角に消えた。


「とんでっちゃった……」

「そうだね。アディの運命の人は北の方にいるのかな」

「えっわたしの!?」

「もしかしたらね」


 頬を紅潮させて見上げてくるアデレードに笑みを返す。少女は目をキラキラ輝かせて「すごい! すごい!」とぴょんぴょん跳ねた。すっかり機嫌を直した様子に俺は安堵の息をつき、ハナムグリが飛んでいった空を眺めた。






 数日後、膨れっ面でやってきたアデレードに「ウィルトールが投げたんだから、北にいるのはウィルトールの運命の人よ!」「わたしの運命の人は!?」と迫られることになるなんて、このときの俺には知るよしもなかった。

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