[5ー3]ここは専攻科だからね?

 ザールグレン大学校はこのルイダーフレット領で最初に創設された歴史ある学校だ。初等科、中等科、高等科、専攻科の四コースがあり、図書館や博物館なども含めるとクラレットの街の実に半分の土地に学校の関連施設が建っていることになる。


 夏生まれのアデレードは七歳を迎えた年の秋から初等科に入学していた。その二年後にはアッシュも姉にならい、初等科の一員として籍を置くことになった。

 クラム姉弟との会話は必然的に学校関連の内容が多くなった。それでも学校がどんなに楽しくてどんなに大変か、どんなイベントがあってどう過ごしているのかなど話の種になっているうちはよかった。翌年アデレードが中等科に上がると途端に学校生活が忙しくなったらしい。姉弟が遊びに来る頻度はぐっと減った。

 一度友だちと遊ぶことを覚えてしまうとひとり遊びはつまらない。


「オレも学校に行ってみたい!」


 セイルが訴えるのは当然の流れだったと思う。

 だけど母さんは俺たちが学校に行く必要性はあまりないと思っていたようだ。俺は以前から先生を迎えて勉強していたし、七歳を迎えたセイルも同じように教わっていたから。すぐに集中力が切れるセイルは基礎をにする傾向があって教師泣かせだった。そんなセイルはきっと学校に通わせるより一対一で教えた方が効果があると母さんは信じていたんだと思う。

 頑なな母さんの意思を覆したのはフィルさんの言葉だった。


「いいじゃない! セイルくんが来たらアッシュも喜ぶわ。勉強だけじゃなくていろんなことを学べるのが学校のいいところよ。あなたも知ってるでしょマリー?」

「それは……そうだけれど」

「クラレットにもお家があるんだもの。ちょうどいいわよ。みんなで移っていらっしゃいな」


 フィルさんが目を輝かせてパチンと手を鳴らす。対する母さんは明らかに困惑していた。

 母さんとフィルさんは同郷で同じ学園に通っていた仲だ。フィルさんの方が母さんよりひとつ年上で、偶然同じ授業を取っていたふたりはグループワークを通じて仲良くなったらしい。思い出話に花を咲かせるうち、母さんはセイルの入学に少しずつ前向きになっていった。


 その頃ザールグレン大学校の専攻科にはジール兄さんとファル兄さんが在籍していた。二学年の飛び級で進学し、なんの問題もなく教育課程を修めて卒業が決まったらしい。兄さんたちがフォルトレストに帰るのと入れ代わる形で、俺たちは数年暮らしたシアールト村を離れクラレットに移ることになった。





  * *





「あら、素敵なリボン」


 借りてきた本を机に置いたところで気怠けだるい声が俺の額を撫でた。

 窓辺に置かれた背もたれ付きの椅子に、臙脂えんじ色のフードケープをまとった女性が座っていた。高等科四年生のパウラだ。眠そうな目――もしかすると本当に午睡を貪っていたのかもしれない――は俺の目線より下の位置に向いていた。おそらく首の後ろで揺れるリボンを見ているのだろう。伸びてきた髪をひとつにまとめている藍色リボンを。

 細いリボンの結び目を、束ねた髪ごと上から片手で押さえた。


「よく見えたね」

「気づきますわ、初めて見る色ですもの」


 ゆっくり歩み寄ってきたパウラが俺の首の後ろをじっと見つめる。どうやら俺の手からを観察しているようだ。観念して手を離すと彼女の口から小さな溜息がこぼれた。


「素敵。石がついてますのね。ひと粒だけなんて洒落しゃれてますこと」

「ああ、そうだね」

「……贈り物かしら?」


 俺を窺うように彼女が小首を傾げた。背中に流した豊かな金の巻毛がふわりと肩を滑り落ちる。そのひと房を指に巻きつけながらパウラの視線はどこか確信に満ちていた。

 なんと返そうか言葉を探していると、


「答える必要はないよウィルトールくん」


 背後から声がした。途端にパウラがつまらなそうな顔になる。彼女の位置からだと俺の陰になってまだ顔が見えないはずだがその声でわかったのだろう。

 入室してきたは俺たちの脇を通り抜け、抱えてきた数冊の本を自身の机にドサリと下ろした。大きく肩で息をつくと「パウラ、」と振り返った。


「いつも言ってるよね。詮索は良くないって」

「ギード、あなたには関係ないことでしょう? 少し黙っててくださいます?」

「関係ないのはきみの方だ。わかってると思うけど、ここはだからね? 僕に用があるならともかく、入り浸っていい場所じゃない」


 押し黙ったままふたりはしばし睨み合う。

 先に戦意を喪失したのはパウラの方だった。視線を外した彼女はツンとあごを上げた。


「わたくしも男だったらよかったのに。男だったら、きっと進学を認めてもらえましたわ」


 耳にたこができるくらい何度も聞いている言葉だった。ギードは困ったように息をつく。彼と顔を見合わせれば目だけで「ごめんね」と謝られた。そうして俺が首を横に振るところまでがワンセット。

 少なくとも先月まではこうじゃなかった。パウラは勤勉な生徒だった。わからない単元があれば婚約者であるギードに教えを乞い、着実に知識を身につけていた。おかげで優秀な成績を修めることができ、このたび一学年の飛び級――本来は五年次で受ける専攻科への進学試験に一年早く挑戦する許可が下りた。

 だがパウラは試験を受けられなかった。彼女の父親がこれ以上の勉学は不要と一蹴したらしい。進学どころか卒業が一年早まることになった。

 ギードがパウラの肩に手を置いた。


「そろそろ授業が始まるよ。ほら、行こう」

「……結構よ」


 彼の手をパウラはすげなく振り払う。え、と小さく目を見張ったギードを彼女はまっすぐ見返した。


「午後の授業はありません。今日は試験だけですもの」

「あ、そうか。……それじゃあ」

「ギードはこれから資料の読みこみですわね。わたくし帰ります。ごきげんよう」


 パウラは一方的に会話を切り上げ出ていった。

 ギードが疲れたように腰を下ろした。なんとなく声をかけづらい。俺も黙って自分の机につく。持参した本を開いてみるがあまり頭に入ってこない。




 セイルがどうにか試験に合格し、無事初等科の三年次に編入することが決まった。母さんは俺にも一緒に通ってほしかったようだ。専攻科の入学試験の話をウキウキと持ってきた。

 始めは断ろうとした。だが学校施設の話を聞いて興味が湧いた。学校の創設時に作られた図書館には多岐にわたる書物が所蔵されているらしい。図書館なんてシアールト村にはなかったし、実際に足を運んでみればますます心が揺らいだ。五階建てのそこには各フロアに本がぎっしり詰まった書架が整然と並んでいた。

 俺の足はある棚の前で止まった。雪花人せっかびとについての書物だ。能力についてまとめたものや歴史の表舞台に立った人物についてのものなど幾つもある。珍しいことに雪花人本人が書いたらしい自伝まであった。貸し出し不可となっていたが閲覧するだけならば特に許可は要らないようだ。


 ――リューの他にどんな人がいるんだろう。


 真っ先に思ったのはそれだった。

 雪花人についてはフォルトレストにいた頃から気になっていた。自分で調べられる範囲のことは調べた。でも一般書の内容はどれも似通っていて浅い。

 図書館は学生であればいつでも自由に利用できるという。研究したい題材があるなら尚さら専攻科に入るべきと説かれ、あっという間に俺の入学も決まった。


「……あれ」


 俺は本を持ち上げた。机上に何もないことを確かめて、今度はぱらぱらページをめくった。逆さまにして振ってもみた。だが求めるものは見当たらない。

 横から「どうした」と届いた声に顔を上げた。


「メモがなくて」

「メモ?」

「気になる用語を控えてたんだ。あとで調べようと思って」

「大事なやつか? 人に見られたらまずいとか」


 真顔のギードに緩く首を横に振る。機密的なものではない。けれど、なくしたとなるとまたイチから読み直しだ。

 一体どこに落としてきたのか。

 一番可能性が高いのは図書館だった。行ったのは昨日の午後。ただの紙切れが果たしてそのまま残っているかといえば望みはかなり薄い気がする。けど、一応探した方がいいだろう。

 「図書館に行ってくる」と俺が席を立つと、ギードも腰を浮かせた。


「僕も行こうか」

「いや、いい。無駄足になる確率の方が高いし、ひとりで行くよ」

「じゃあ尚のこと行った方がいいな。ふたりで手分けすれば早く済む。さっさと探して戻ってこよう」


 すぐには言葉が出てこなかった。だってギードにはなんの得にもならない。

 声を失った俺に彼はにやりと口角を持ち上げ「僕が外に出たい気分なんだ」と述べた。

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