[5ー4]まっすぐな瞳

 階段を降りたところで足を止めた。視線を辿れば建物の出入口にほっそりとした人影が見えた。逆光だけどギードにはすぐわかったようだ。


「帰ったんじゃなかったのか」

「あらギード。ウィルトールさんも」 


 帰ったはずのパウラだった。壁に貼られていた大学祭の告知を見ていたらしい。

 一年に一度、学生主体で催される大学祭。自分たちで企画から販売まで全てやる模擬店や講堂を使った演劇に発表などなど、文字通りお祭り騒ぎのイベントだ。

 そして最終日には後夜祭がある。高等科の三年生以上つ男女ペアでの参加が条件になっていて、ダンスやゲームを楽しむものらしい。その案内の貼り紙が少し前から校内のあちこちに見られるようになっていた。

 パウラは俺の前にやってくるとにっこり微笑んだ。


「ウィルトールさん、後夜祭は参加しますわよね。お相手はもう決まってますの?」


 え、と目を見開く。視界の端ではギードが目を剥いていた。魚のように口をパクパクさせ、動揺しているのがはっきりと見て取れる。


「パウラ……、僕の前でよくそんなこと」

「勘違いしないでくださる? わたくしではありませんわ」


 むっと眉間に力を込め、パウラは至極嫌そうな顔をする。そのままギードに詰め寄ると下から彼を覗きこんだ。


「ご存じないでしょうからお教えいたしますわね。が、ウィルトールさんと同じクラスなんですの。そのおかげでわたくしも面識がありますのよ。ウィルトールさんはわたくしのことも〝お友だち〟だと言ってくださいましたもの」

「おともだち……?」

「ええ。ですからクラスの子にお願いされたのですわ。ウィルトールさんが後夜祭はどうなさるのかお伺いできないものかと」

「……そういうことか」

「ギードは、わたくしがギード以外の人を選ぶとお思いですの?」


 彼女が上目遣いにギードを睨んだ。ホッと気を抜いていたギードはすぐには反応できなかった。数秒の後に慌てて首と両手を横に振った。


「思ってないよ! あ、いや、でも、もし……僕に嫌だなと思うことがあるなら、全部教えてほしいかな……」


 彼の両手が力なく下ろされた。ギードは目を伏せたけどパウラの瞳はキッと彼を見据えていた。その強い視線のまま真正面に向き直った。


「わたくしが嫌なのは、ギードがわたくしのことを何もわかっていないところですわ。それからわたくしを信じてくれないところも」

「パウラ、それは……」

「本当に不満だらけですのよ。だって、わたくしがギードをどんなに好きかご存じないでしょう? 悔しい……わたくしばかりが好きみたいで」

「……え?」


 まるでこの世の終わりとでもいうように青くなっていたギードの顔がきょとんと瞬いた。今度はパウラの目線が落ち、まさに白状するといった形容がぴったりな面持ちで唇を尖らせている。


「――わたくしが進学したかったのはギードのお手伝いがしたかったから。少しでも支えられるようになりたかったからですわ。何もできないお飾りにはなりたくありませんもの」

「パウラ……」


 それっきりパウラもギードも黙りこんでしまった。

 ――何も進学だけが全てじゃない。

 同じクラスでともに学べたらそれは素晴らしいことかもしれないけど、彼を支えるのが目的ならば専攻科に進むことは必須ではない。

 だけどこれは俺の考えだ。ふたりの問題に部外者が口を出すべきじゃない。とはいえこのまま固まってるようなら口を挟んだ方がいい気もする。

 躊躇ためらっていたのはほんの数秒だったと思う。俺が行動に移すより早く、


「きみこそわかってない!」


 ギードが叫んだ。突然のことに俺もパウラもハッと顔を上げた。


「僕だって……。僕がどんなにきみを大事に思っているか、全然知らないだろう!」

「……え?」

「ずっと黙ってたけど、本当は専攻科棟ここには極力来ないでほしいと思ってる。こんなに魅力的なきみを他のヤツらに見せたくないからね。だけど部屋に入ってきみの姿があるとホッとする自分がいるんだ。矛盾してるよ……未熟で嫌になる」

「ギード……」


 ギードが目許を覆う。そんな彼をパウラは両手を拳の形に組み合わせてじっと見つめていた。おそるおそる伸ばされた彼女の右手がギードの腕にそっと触れた。

 彼はおもむろに腕を下ろした。反射的に引っ込めようとしたパウラの手を捕まえると両手で包みこんだ。引っ張られた彼女の足が一歩前に出た。

 手を取り合いまっすぐ見つめ合うふたりを前に俺はいよいよ息ができなくなった。

 ――まずいな、完全にふたりの世界だ。

 ふたりとも、俺がここにいるってわかってるかな。忘れてる?


 邪魔はしたくなかったけど黙って消えれば後で心配をかけるだろう。結局は咳払いをすることにした。

 瞬時にふたりが離れた。ギードの口からハハハと乾いた笑いがこぼれる。


「そうだ、図書館だったよな。ごめんウィルトールくん。行こう」

「パウラを送っていってあげたら。俺は大丈夫だから」

「パウラを?」


 頷いた俺は返事を待たずに「じゃあ」と片手を上げた。

 三歩ほど離れたところでパウラの「あっ」という声が耳朶じだを撫でた。忘れてた、そういえば質問されてたんだった。


「ウィルトールさん、あの」

「後夜祭だよね。誰とも約束してないよ。行くかどうかも考えてなかった」

「まあ本当ですの?」

「ウィルトールくんならすぐに相手決まりそうだけどな」


 不思議そうなふたりの声に俺は微苦笑で返事に代え、その場をあとにした。




 通用門へ向かう途中、掲示板の前に小柄な人影があった。身にまとう白いフードケープは中等科の証だ。それ以前に見覚えのありすぎる赤いおさげ髪がもはや自己紹介になっていた。

 普通に歩いていって背後に立った。特に気配を消しているわけでもないのに全然俺に気づかない。何を真剣に見ているのかと思ったら後夜祭の告知だ。


「アディが行けるのは……四年後?」

「ウィルトール!」


 少女が弾かれたように振り向いた。微笑を返し掲示板に視線をやれば、アデレードも再度貼り紙に目を戻した。


「素敵だなぁと思って見ていたの。ウィルトールも行くんでしょ? あの、参加はペアでって書いてるけど、やっぱりクラスの人……?」

「そんなにみんな行くの? 俺は行かないつもりでいたんだけど」

「えっ、だって後夜祭よ!? 大学祭のメインよ!」


 鞄を胸に抱き締め、アデレードは一歩後ずさった。その目はまん丸になっている。変なことを言ったつもりはなかったんだけどな。どうも俺と他の人とでは認識に差があるようだ。


「ウィルトールといっしょに行きたい人、いっぱいいると思うわ」

「そうかな」

「そうよ! わたしだって、行けるなら行きたいもの……」

「じゃあ行く?」

「……ええっ!?」


 見る間に後ずさっていくアデレード。頬を紅潮させ口までぽかんと開けて、最終的には固まってしまった。

 つい吹き出した。そこまで驚かれるとかえって面白い。


「四年後は多分、学生最後の年だからさ。その頃、もしアディに相手がいなかったら付き合うよ。……あ、こんな言い方は失礼だね。ごめん」

「いいい行く行く行く! ウィルトールと行きたい!」


 アデレードがパタパタと駆け戻ってきた。まっすぐ見上げてくる瞳はキラキラ輝いている。こんなことで喜んでくれるなんて本当に可愛いし嬉しい。


「――で、わざわざどうしたんだ。今日は試験だけだろう?」


 落ち着いたところで尋ねた。鞄を持っているから帰るところなのはわかっていたけれど。

 ぱちりと目を瞬かせたアデレードは次の瞬間「あのね!」と意気込んで口を開いた。


「ウィルトールに教えてもらったところがそのまま出たの! わたし史上最高得点の予感よ。昨日図書館に行ってよかった。ウィルトールに会ってなかったら絶対、解けなかった!」

「それならよかった」


 満面の笑みで意気揚々と勝利ポーズを作るアデレードに俺も笑みを返す。

 だけどそれを言うためだけにここまで?

 俺は首を傾げ、中等科棟があるだろう方角を指さした。中等科の通用門は建物の向こう側だ。


「こっちは反対方向だよ。それだけなら別にいつでも」

「あっ、ウィルトールにわたしたいものがあって……。ちょっと待って」


 鞄を開け、アデレードの手はごそごそと中を探り出す。しばらくして「はい」と差し出されたものに俺は目を見開いた。見覚えのある、そしてまさに求めていた紙片がそこにあった。


「これ……。なんでアディが?」

「帰って復習しようと思ったら、間にはさまってたの。ほら、計算に使った紙があったでしょ? もしかしてウィルトールの大事なものかもって」

「今探しに行こうとしてたところだよ。半分諦めてたんだ。多分もうないだろうなと思ってた」

「わたしが持ってたわ」


 俺がホッと息をつくと少女はにっこり笑った。そのオリーブグリーンの双眸は次の瞬間「あ!」と輝いた。


「つけてくれたの!?」


 アデレードの視線が俺の首元に向いた。そう思うとパッと回りこんで首の後ろを見上げている。そこに揺れているであろうリボンを俺はした。


「せっかくの誕生日プレゼントだからね」

「思ってた通り! すごく似合ってる」

「さっき友だちが褒めてくれたよ。石が洒落しゃれてるって」

「あらウィルトールさん」


 斜め後ろから声が飛んできた。ちょうど引き合いに出したパウラが金の巻き毛を撫でながら歩いてくる。

 俺の目は彼女の周りを彷徨さまよった。あたりには誰も見当たらない。


「……ギードは?」

「戻っていただきましたわ」

「戻った?」

「彼の貴重な時間を奪うわけにいきませんもの」


 澄まして答えるパウラの顔はすっきりと明るかった。あのあと良い話し合いができたのだろう。

 彼女は口角を持ち上げ「ごきげんよう」と去っていった。


「ねえ、ウィルトール……あの」

「うん?」


 パウラの出ていった門をじっと見つめていたアデレードがおもむろに振り返った。


「今の人って高等科の人、よね? ……高等科に、知り合いがいるの」

「うん、友だちなんだ」

「ともだち……?」


 それだけ呟いてアデレードは黙りこんだ。やけに難しそうな顔をしている。

 ――そういえば以前「別のクラスとの行き来はほとんどない」って言ってたっけ。初等科と中等科はクラス単位での行動が多いから、交友関係も必然的に同じクラスの子になるようだ。そんなアデレードからするとクラスどころか学年を超えた友人がいるのは考えられないことなのかもしれない。

 ひとまず「送るよ」と声をかけた。彼女はぱっと顔を綻ばせ、すぐ八の字に眉根を寄せた。


「ウィルトールは授業あるんじゃないの?」

「少しなら大丈夫。自習みたいなものだから」

「自習?」


 俺は頷く。高等科までの授業と違って専攻科は自主的に学習していくスタイルだ。一応担当教員はいるけど定期的に進捗状況を確認するくらいで終始一緒にいるわけじゃない。

 んー、と考えこんでいたアデレードは「じゃあ、途中まで」と口を開いた。


「中等科の前までお願いしていい? あんまりこっちに来ないから、帰り道に自信がないの」


 恥ずかしそうに白状したアデレードに俺は勿論と微苦笑を返した。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る