[5ー5]また明日。



  * *





 山際に沈もうとする太陽が最後の輝きを投げかけていた。頭上に広がる朱色から藍へのグラデーションと、その色を寸分違わず写し取った湖の風景は圧巻だった。隣から漏れ聞こえた感嘆の声につられて俺の口角も上がる。


「話って?」


 軽い調子で覗きこむとアデレードはあっと姿勢を正した。慌てて鞄から取り出したのは隅に花の絵があしらわれた、いかにも彼女好みの白い封筒だ。


「プレゼント。来週誕生日でしょ。ちょっと早いかなって思ったけど、……あっここで開けないで!」


 裏返した瞬間少女の手が伸びてきた。その頬は朱い光に照らされているせいかほんのり紅潮して見える。


「あとで、ひとりのときに見て」

「……少しだけ覗くのは?」

「目の前で見られたらはずかしいんだもん。お願い」


 一体何が入っているのやら――封筒に厚みはないが指の腹は何か小さな物が入っている事実を伝えてくる。もしかすると手作りの品かもしれない。

 彼女の手仕事は割と大味だ。先日うちの母さんに教わりながら仕上げた刺繍などなかなかの芸術品だった。セイルが笑い飛ばしたことからいつもの大喧嘩に発展し、アッシュとふたりがかりで仲裁した件はまだ記憶に新しい。

 ここは了承しておくのがよさそうだ。頷いてみせればアデレードは目に見えてほっと安堵の息をついた。


「ありがとう。大事にするよ」

「本当?」

「ほら、何よりの証拠が」


 俺は首の後ろを示した。髪をひとつに結わえている藍色のリボンは去年貰った物だ。

 嬉しそうに口の端を上げたアデレードはおもむろに背を向けた。


「帰るわ」

「送るよ。じきに暗くなる」

「今日はひとりで帰りたいの」


 大丈夫か? そう目で問いかければアデレードは両腕を腰に当て頬を膨らませる。


「もう。いつまでも子どもあつかいしないで」


 その態度がかえって幼さを主張していると思うのだが……。

 とはいえ彼女の言にも一理ある気がした。

 出会ってからもう六年。あの頃は飛び跳ねて遊んでいたアデレードも来年には高等科に進学する。すっかり一人前の気分でいるところにわざわざ水を差すこともないかもしれない。




 見晴らしのいい丘を後にした俺たちは途中まで肩を並べて歩いた。分かれ道までくるとアデレードは「あっ」と向き直った。


「アッシュを連れて帰らなきゃ」

「アッシュ?」

「多分水遊びしてると思う。昨日もおそくて怒られたのに」


 少女の視線は一点に向けられている。すなわち、ヴィーナ湖に流れこむ小川の方へ。最近の弟たちは綺麗な石探しに夢中なのだった。湖底に沈む小石のほとんどはただの石ころなのだが稀に魔石といって精霊の力エレメントが宿った石が見つかることがある。ふたりはそれを授業で習ったらしい。今日はめぼしい石を見つけただろうか。


「俺が行くよ」

「え、でも」

「俺が行った方が早いだろう? どうせ我儘を言うのはセイルだし。それとも、みんなで一緒に帰ろうか?」


 一向に帰ろうとしない場合はふたりをどう言いくるめるか――頭の中ではそんなことを考えながら彼女の顔を窺う。アデレードは唇を引き結び思案していたが、結局は首を横に振った。決意は固そうだ。


「じゃあ拾ったら送っていくから。フィルさんにはそう伝えておいて」

「わかったわ。またねウィルトール」

「また明日」


 俺が手を上げるとアデレードも軽く手を振った。彼女の姿が消えるまで見送り、それから水辺へと足を向けた。




 風が少しずつ夜を運んでくる。茜色の空の下、影絵のような山の稜線を目でなぞりながら歩いた。

 前方からとぼとぼと小さな人影がやってきた。どうやら説得せずに済みそうだな。俺は安堵の息をつき、片手を上げた。


「偉いぞアッシュ。今日はちゃんと自分で帰る気になったか」

「あ、ウィルトールさん。セイルに、ぼくが怒ってたって伝えてくれませんか」

「え? 何があったんだ」

「先に帰っちゃったんです。帰るなら帰るって言ってくれたらよかったのに」


 アッシュがむっと唇を尖らせる。石探しに夢中のあまり、いつの間にかひとりになっていたことに気づかなかったらしい。俺は溜息をつくと軽く屈んで彼の顔を覗きこんだ。


「ごめんな。あいつにはちゃんと言っとく。アッシュも帰ろう」


 小柄な肩を軽く叩くと回れ右をした。それから今日見つけた綺麗な石や、川辺にいた虫の話をしながら帰途についた。

 クラムの屋敷に着くとフィルさんが出迎えてくれた。俺たちを待っていたのは笑顔のアデレードではなく、彼女がまだ帰宅していないという事実だった。




 ――もっと早くアッシュを連れ帰れていれば、未来は少しでも変わっただろうか。

 あるいはアデレードをひとりにしなければ――。




 この先も連綿と続いていくと信じて疑わなかった楽しい日々。

 そのときの俺が描き望んでいた〝明日〟は、決して訪れることはなかった。










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