[2ー4]……行っても、いい?

 リューの身体は雪花人せっかびとの人だけのお墓にいった。お別れしたくなかったのに、うちにだってお墓はあるのに、お父さんは何も聞いてくれなかった。あとでファル兄さんが、雪花人は他の人とはちがうからふつうのお墓には入れられないんだって教えてくれた。

 リューの荷物はカバンひとつ分だけだったけど、お父さんはそれもお墓に持っていこうとした。でもアンがイヤだって言ってわたさなかった。アンはどこかにかくしちゃって、ぼくにも教えてくれなくて、最後はお父さんもあきらめたみたいだった。

 リューの部屋はすっかりかたづけられて、あっという間にリューが来る前の状態にもどった。


 お母さんと赤ちゃんはもう心配ないよってアンから教えてもらった。お母さんはまだちょっと元気がなかったけど、ぼくがいつも泣いてるって聞いたって、たくさん心配してくれた。

 アンにも「ウィルが元気じゃないとリューは嬉しくないと思うよ」って言われた。だからがんばって泣かないようにするんだけど、ふとしたことですぐ涙が出てきて悲しくてたまらなかった。

 そういえば、前にリューが「アンは泣き虫」って言ってたことがあった。アンが泣いてるところなんてぼくは一度も見たことがなかったし、このときもついに見なかった。

 ただ、あんまり外に出なくなった。お母さんの体調が少しでも悪くなるとすぐに飛んでいってるみたいだった。それ以外は静かにぼんやりしていることが多くて、ぼくはちょっと心配になった。

 だってさ、静かなアンなんて変な感じしかしないもの。

 だけど一度アンに言ってみたら「あんたが気にすることじゃない」っておこられた。それでそのあとは言わないようにした。

 白くなってたアンの髪の毛はいつの間にかわからなくなっていた。そめたのってたずねたらアンはまあねって言った。




 リューがちょうどこの家に来たころの季節がまためぐってきた。お母さんのおなかはなくらい大きくなった。

 あったかくてふんわり晴れたある日、うちに新しい家族がふえた。ぼくに弟ができた。

 お母さんは赤ちゃんにセイラルダという名前をつけた。本当はもっと長い名前なんだけど、ぼくには長すぎて覚えられなかった。でもアンは全部覚えたんじゃないかな。いつか髪を結われたぼくを見たときみたいに変な顔をしてたけれど。

 アンは弟をセイルってよぶようになった。ぼくもそっちの方がよびやすかったから、アンといっしょにセイルってよんだ。

 セイルは小さかった。お乳をあんまり飲まなかったし、飲んでも吐いちゃうし、よく熱を出した。顔中にブツブツができて、ひどくかゆがったりもした。


「セイラルダを他人に触らせたくないの」


 お母さんはセイルが泣くと一生懸命あやしてお世話をがんばってた。だけどセイルは一度火がついたように泣き出すと、それを泣き止ませるのはすごく大変だった。やっと泣き止んだと思ってもまたすぐに泣いちゃうし、もうどうしていいのかわからないってお母さんもいっしょに泣いてることが多かった。


「そういうものなんだよ。赤ん坊は泣くのが仕事」


 アンがそう言ったけど、お母さんは「子どもを産んでいない人にわたくしの苦しみはわからないわ」ってやっぱり泣いた。

 何かあればアンをよんで泣いていた。そういうとき、ぼくはよくアンにたのまれてお母さんと散歩に出たりした。アンが言うには気分転換が一番なんだって。


 セイルは女の子みたいにかわいい顔をしていた。お母さんはセイルにかわいい服をいっぱい着せてうれしそうだった。

 そのころにはセイルがグズグズし出すとすぐにアンにあずけるようになっていた。ご飯を食べる練習もおしめをかえるのもアンにまかせるようになった。

 いつの間にかセイルのお世話はほとんどアンがするようになっていた。


「アン、大変じゃない?」

「もう慣れたよ。赤ちゃん育てるのは二人目だからね」


 セイルのおしめをかえていたアンは、小さなため息をついたあとにぼくの鼻をつついた。ぼくがえへへって笑うとアンもにっこりしてくれた。「ぼくにできることがあったら言ってね」ってアンに言った。ぼくはお兄ちゃんだからね。お手伝いもいっぱいするし、セイルのお世話もいっぱいするんだ。

 セイル、早く大きくならないかな。早くいっしょに遊べるようになったらいいのにな。





 セイルが無事に一歳の誕生日をむかえた。身体が小さく、すぐ熱を出してぜーぜー言うところは相変わらずだった。でも生まれた直後とくらべればかなりしっかりしたと思う。

 そのころからか、もしかするともっと前からだったのか、ぼくがセイルと遊ぶそばでアンは何か考えてることが多くなった。名前をよんでも一回では気づかなかったり、ぼくたちを見ているようで遠い目をしていたり。

 あるときアンがまどのそばにイスを運んでお外をながめていたから、ぼくもとなりに行っておんなじようにお外を見てみた。でもまどから見えるのはお母さんのお気に入りのお庭だけだった。だれかいるのかなと思ってよくさがしてみたけどだれのすがたも見えなかった。

 本当にどうしたんだろう。アンっぽくない。だけど聞いたらまたおこられるってわかってたからぼくは心配してることを伝えなかった。





  * *





 ある日の朝、いつも通りアンの部屋に行ったぼくは口をポカンと開けた。だれもいない部屋の中、セイルの物が一切見当たらない。セイルどころかアンの物もキレイにかたづけられて、どこかよそよそしい感じがしている。


 ――なんか変だ。


 セイルはどこだろう。いや、セイルよりまずはアンだ。アンはどこにいるのかな。ここで待ってたらセイルといっしょにもどってくるかな?

 とびらを見つめていたのはほんの少しの間だったと思う。なぜか、今すぐさがしに行かないと取り返しがつかなくなるような気がしてぼくは急いで部屋を飛び出した。

 ろうかを走っていくと階だんの下に使用人が見えた。あの顔はアンが一番にしていた使用人だ。きっと何か知っているはずだと思って駆け下りたら、やっぱり思った通りだった。言いにくそうに教えてくれた内容はぼくにとって全然歓迎できないものだった。

 全速力でろうかを走りぬけて、エントランスを飛び出す。行く手の先、ぼくのお気に入りの場所あたりを行く後ろすがたが見えた。


「アン待って!」


 必死でさけんだ。ゆっくりふり返ったアンの目がぼくをとらえてやわらかく細められる。ひとつに束ねた長い髪は一拍おくれてふわりと背中にすべり落ちた。


「ウィル」

「ねぇ、旅に出るって、ほんと!? なんで、言ってくれなかったの!?」


 追いついたぼくは肩で息をしながらアンの両うでをつかんだ。アンはほとんどかざりのついてない丈夫そうな服を着ていた。いつもだったらがひらひらしたドレスを着ているのに。そういうのが好きなはずなのに。動きやすそうで、少しのことではやぶれることもなさそうな、そんな格好のアンには全然なじみがなかったからぼくはどんどん不安になった。

 だけどアンの肩にかけられたカバンを見た瞬間、ああと思った。とても見覚えがあった。どんなにさがしても見つけられなかった、リューのカバンだ。


「――ずっと考えてたんだよ。行かなくちゃって。随分、遅くなっちゃったけどね」

「でも……でもさ、アンがいなくて、それでもしセイルが病気になったら、」

「あの子は大丈夫。どんどん強くなってきてるからね。しっかり面倒見るんだよ、お兄ちゃん」


 アンの手がぼくの頭をやさしくなでる。そのまま下がってほっぺたを包むとアンはぼくと目を合わせた。見なれた力強い笑顔がそこにあった。


 ――これが最後なんだ。


 もう笑顔も見られないし、だいじょうぶだよって言ってくれる人もいない。そう思ったら泣けてきた。目の前がゆらゆらぼやけていく。


「ぼく……ぼく、ひとりぼっちだ……」

「何言ってるの。お母さんもセイルも小さなお友だちも、みんないるじゃないの」

「だって……」

「ウィル聞いて。あたしね、約束したんだよ。リューが行こうとしていたところにね、代わりにあたしが行くからって。……リューを待ってる人がいるんだって。伝言預かってるし、何があったかも話さなくちゃいけない。だから……行っても、いい?」


 ぼくは何も言えなくなった。アンは一度決めたことはぜったいにやり通す。だれが何を言っても聞きやしないんだ。それがリューとの約束だっていうならなおさら、やぶるわけがない。

 肩にかけてるカバンだって、とても大事にしてただろうから。




 くちびるを引き結ぶ。鼻をすすって、服のそで口でごしごし涙をふいた。


「アン、ちょっとだけ待ってて。お願い」


 ぼくは大急ぎで自分の部屋にもどった。たなの中から小さな本を取り出して、表紙をそうっとなでてみる。何度も読んでは空想にふけった大好きな一冊だった。だけどこの本はきっと、ここでぼくに読まれているよりアンが持つ方がいいんだと思う。両手で大事にかかえると、ぼくはもう一度アンの元に走った。


「アンが持っていって」


 押しつけるようにしてわたしたらアンはビックリした顔になった。


「これ……あんたが大事にしてるやつでしょ? いいの?」

「だって、ガイドブックは旅をするときに見るものって言ってたでしょ。……でも、貸すだけだからね。ぜったい返しに帰ってきてよ。待ってるからね……!」


 涙をこらえてぐっとふんばる。その強い気持ちのままアンを見上げた。

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