[1ー4]とってもうれしいお話

 それからの数日間、リューの部屋のカーテンはしめられたままだった。薄暗い部屋はまるで秘密基地のようで、ベッドで横になってるリューにナイショ話をするみたいに顔を近づけてお話しするのはなんだかとてもワクワクして楽しかった。


「当分リューの部屋に行くのは禁止。いいね?」


 仁王立ちで両手を腰にやったアンに言われたのは確か三日目くらいだったと思う。そのころにはもうリューも起き上がれるようにはなっていた。だからぼくは「もう元気になったってリューが言ってたよ」「ベッドのそばでしずかにしてるから」って一生懸命おねがいした。なのに、それでもダメなんだって。はぁ、つまんないな。

 リューは少しずつ歩けるようになって、ごはんの量もふえて、そうしてやっと前みたいにふつうにすごせるようになった。ぼくのプチ家出から軽く一ヶ月がすぎていた。


「俺くらいの年になるとただの風邪でもなかなか治らないんだよね。ほんと、ウィルの回復力が羨ましいよ」


 やれやれとため息をつきながらぼやくリューに、アンは「身体が弱すぎる。まだ三十でしょ」とツッコミを入れていた。ぼくは、えいやーってだきついて元気をわけてあげたりした。




 しばらくねこんでたせいか、リューの肌はかなり青白くなって見えた。ちょっとは陽に当たった方がいいんじゃないかなと思って、お天気の日はお外で遊ぼうよってさそってみた。でもリューはあんまり外に出たがらなかった。読書じゃなくてお昼寝しようってさそったらいっしょに行ってくれるかな?

 たまに掃き出し窓を開けて、小さなお友だちを招待することもあった。リューはにこにこ笑ってみんなとじゃれ合ってた。小さなお友だちはみんなアンのことが一番すきだと思っていたのに、いつの間にかリューともなかよしになっていたからビックリした。ぼくがあんまりなかよくなれてない灰色ネコもすっかりリューとなかよしになっていて、いつもひざの上をひとりじめしてくつろいでいた。





 その日、リューの話はトツゼンだった。


「そろそろ行こうと思うんだ」


 部屋の真ん中にある丸テーブルに、ぼく用の足の高いイスをおいてもらって、いつものようにみんなでお昼ごはんを食べてるときだった。一瞬意味がわからなくて、ぼくはベーコンをさしたフォークをくわえたまま小首をかしげた。リューはいつものにこにこ笑顔でぼくを見ていた。


「ウィルは学校から戻ってきたし、俺の体調もだいぶ良くなったし。……近いうちに出ていこうかと思ってさ」


 カシャンと甲高い音がひびいて、それでフォークが落ちたことに気づいた。気づいたけどそんなことはどうでもよかった。


「なんで!? ずっといるんじゃなかったの!?」

「元々長居するつもりじゃなかったんだよ。今までひとつの場所にこんなに長くいたことないんだ」

「だってぼく……リューはずっとずっといっしょなんだと思ってたのに。……ここがキライになっちゃったの……?」


 リューはこまったように笑って首を横にふった。


「まさか。ここは今まで行ったどこよりも楽しくて大好きな場所になったよ。……でも、それよりまた旅に出たくなっちゃったんだ。ごめんね」

「リュー……。ねえ、アンも何か言ってよ!」


 泣きそうになりながらアンを見る。アンもリューといっしょは楽しいって言ってたもん。だからきっとリューを引き止めてくれる。そう思ったのに、アンはぼくとリューの顔を交互に見たあと、「あのね」とぼくの方を見た。アンのこまったような顔はめずらしい。


「リューはね、あんたのお母さんが赤ちゃんを産むまでの間、ここにいるって約束だったの。赤ちゃんが生まれてくるお手伝いをするためにね」


 アンが言ったのはぼくのほしかった言葉じゃなかった。ぼくはそんな理由を聞きたいんじゃなかった。


「――イヤだ!」


 イスを下りて急いでアンに駆け寄った。


「ねえ、ぼくおねがいするから、リューにいてもいいよって言って!?」

「……ウィル」

「いいでしょ!? アンがいてもいいよって言ったらここにいられるって、リューが言ってたもん! ねえ、赤ちゃんもまた来るよ! わすれ物さがしに行っただけだから、見つかったらまた来るよね!? だからリューもいていいよね!?」


 アンのうでをつかんでふり回す。アンは何も言わなくて、テーブルの上の何かをじっと見ていた。なんにも返事してくれなくて、もう一回うでを引っぱろうとしたらアンが反対の手でぼくの手をおさえた。


「……」


 やっぱりアンは何も言わなかった。でもアンの目がまっすぐにぼくを見ていた。それでわかってしまった。

 ダメなんだ。

 ぼくがどんなに言ったって、このおねがいはダメなんだ。アンが一度言ったことは、ぜったいだから。

 リューは行ってしまう。この家からいなくなってしまう。




 じんわりと目が熱くなった。鼻のおくがツンとした。

 ぼくはうつむいてくちびるをかんだ。泣くのは一生懸命ガマンしようとしたけど、悲しくて悲しくてどうしようもなかった。


「……リュヴァルト」


 ぽつりとアンがつぶやいた。


「これはあたしの我儘なんだけど……あともう少しだけ、延ばせない? 来週、この子の誕生日なの。あんたにはいろいろ世話になったし、望む通りにしてあげたいって、それは本当に心から思ってるんだよ。でももしよかったら最後に一緒に祝ってあげてほしくて。……どう?」


 アンの言葉を聞いて、ぼくは目を丸くした。そうだ、もうすぐぼくの誕生日だ。ぼく八歳になるんだ。わすれてた。

 顔を上げてリューを見るとリューはちょっと考えてたみたいだったけど、しばらくしてにこって笑った。


「……じゃあ、もうちょっと厄介になろうかな。ウィルの誕生日、俺にもお祝いさせて」


 うすむらさき色のやさしい目がぼくに向けられた。ぼくは走っていってリューに飛びついた。





  * *





 リューの出発の日はぼくの誕生日の次の日になった。


「泣いても笑ってもリューと一緒にいられる時間は変わらないよ。ウィルはどんな顔を覚えていてほしいの?」


 それはベッドの上でひざをかかえてすわっていたときアンに言われた言葉だった。そんなの考えなくても決まってる。ウィルはいい子だったな、いっしょに住んでて楽しかったなって思い出してほしい。もしぼくのことを「最後まで泣きべそかいてた男の子だったな」なんて思い出されたらはずかしくてたまらないもん。

 ぼくはおわかれを考えるのはやめることにした。ぜったい考えないようにして、にこにこ笑ってすごした。アンも今までとおんなじように毎日笑ったりおこったりしていた。こんな日がずっとずっとつづけばいいのにって思った。




 誕生日の日はお昼ごはんをアンとリューといっしょに食べて、夜ごはんとお祝いのケーキはお母さんといっしょに食べることになっていた。

 お母さんはぼくがかぜを引いたあとからちょっとやさしくなった。とてもキレイな絵のついたご本を見せてくれて、にこにこ顔で読んで聞かせてくれたりした。悪い竜にさらわれたお姫さまをとなりの国の王子さまが助けるお話だった。お母さんが「あなたくらいの年頃からこのお話が大好きで何度も読んだのよ」って笑ってくれた。それがうれしくて、ぼくも大すきなお話になった。暗唱できるくらい、何回も聞いた。




 誕生日の前の日になって、お父さんもちょっとだけ時間が取れることを教えてもらった。

 お父さんはとてもいそがしい。だからあんまり家には帰ってこない。

 お父さんは夜はお客さまに会わなくちゃいけないから、ぼくとはお昼ごはんをいっしょに食べることになった。





「アン! リュー! ただいまーっ」


 誕生日の日。

 ひさしぶりに家族みんなでお昼ごはんを食べて、ぼくはスキップしながらリューの部屋にもどった。そして出むかえてくれたふたりに飛びついた。「楽しかった?」って聞いてきたアンは、次にぼくの頭を指してへんな顔をした。


「どうしたの、それ」

「お母さんがやってくれたの。プレゼントだよ。キレイな色でしょ?」


 ぼくはくるりと回ってみせる。肩上の長さのぼくの髪は後ろでひとつに編まれ、すみれ色のベルベットリボンでむすんであった。アンは苦笑いにもしかめっ面にも取れる微妙な顔つきで、うで組みをしてた。


「……ヘンかな? ファル兄さんは、似合う似合うって笑ってたんだけどな」


 返ってきたのが思ってたような反応じゃなくて、ちらりとふり返る。むーってしかめっ面のアンのとなりで、リューは「ファル兄さん?」って首をかしげてた。

 ――あれ、なんでリューまでヘンな顔してるんだろう? やっぱりこれ、似合わないのかな。


「ああ、リューは知らなかったっけ? ウィルには兄がいるんだよ。双子の」


 アンがそう言ったらリューはすごくビックリしたみたいだった。そういえばリューとは兄弟の話をしたことなかったかもしれない。


「てっきり一人っ子なんだと思ってたなあ……」


 すっかり放心した感じで言ってくるから、ぼくは「そんな感じだよ」ってくちびるをとがらせた。


「だって兄さんたち、学校に行ってるからずっと家にいないんだもん。お父さんのお仕事手伝うお勉強してるんだって」


 リューはあごに手をやって、ぼくの話を興味深そうに聞いていた。

 そこでぼくは思い出した。「あっ」とリューに向き直る。ふたりに言わなきゃいけない話があるんだった。


「あのねっ、あとねっ、お母さんがね、これを話したらきっとリューは旅に出るのやめるよってお話教えてくれたの!」

「へぇ、そんな話があるのかい?」

「うん! ふたりともぜったいビックリするよ~。あのね、お母さんのおなかに赤ちゃんが来たんだって!」


 ぼくはウキウキと打ち明けた。みんなから誕生日おめでとうって言ってもらったあと、お母さんが「今日はもうひとつ、とってもうれしいお話があるのよ」って教えてくれたんだ。

 お母さんのにこにこ顔を思い出すとうれしくて、それに赤ちゃんが帰ってきたのも本当にうれしくて、ぼくもにこにこしていた。だからアンとリューが一瞬こわい顔をしたことはぜんぜん気づかなかった。

 アンがぼくの肩をつかんで、身体の向きをアンの方にくるっと向けた。


「ウィル、それ本当なの? お母さん、本当に赤ちゃんが来たって言った?」

「本当だよ。お父さんも言ってたし、ジール兄さんとファル兄さんもおめでとうって言ったもん。ね? ステキなお話でしょ? 今度はわすれ物しないで生まれてくるよね!」


 ぼくはワクワクしてふたりを見上げた。リューは何か考え事をしてるみたいな顔をしていて、アンはぼうっとしていた。

 ……ちょっと心配になった。赤ちゃんが来たこと、ふたりともうれしくないのかな。それともぼくの言葉、何かまちがってたかな。

 しばらくしてアンはくるりと背中を向けた。


「兄さんのとこに行ってくる」

「アン!」


 リューがすばやくアンのうでをつかんだ。


「アン、ちょっと待って」

「だって確かめなきゃ! もし本当だったら……本当なら、義姉さんはまたあんたのことを当てにして」

「今は駄目だ。今は……だってこれからウィルの誕生日のお祝いをするんだろう?」


 リューがちらりとぼくを見て、それからアンの顔をのぞきこんだ。アンはハッとしてぼくを見下ろした。ふたりと目が合って、ぼくは首をかしげた。


「アンもリューも、さっきから何の話してるの?」


 ふたりとも、ヘンだ。なんでそんなにこわい顔をしてるのか、なんの話をしてるのか、ぼくにはさっぱりわからない。


「……そうだったね」


 アンはぼくの前にかがんで目線を合わせた。アンの両手がぼくのほっぺたをつつみこんで、やさしくなでてくれる。そうしてにっこり笑ってくれた。


「ごめんねウィル。さあ、誕生日のお祝いをしよう」

「――うん!」


 ぼくもにこにこ笑顔でうなずいた。

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