第一話 渡辺風花は園芸部の部長である ⑤

 朝礼が終わってから一時間目が始まるまでのわずかな時間。


 何となく行人は渡辺風花とつかず離れずの距離で歩いて教室まで戻る。

 そして渡辺風花の席に手招きされた行人は、彼女が机の中から取り出したパンフレットを差し出され、



「どうぞ。座ってください」



 何故か渡辺風花の席の椅子に座らされた。


 誰かの席で話し込む場合、席の主が自分の椅子に座り、他のメンバーは前や横の席を借りるか立ったまま話すものだと思うのだが、行人は賓客の如く渡辺風花の席に座らされ、その傍らに立った彼女から覗き込まれる形になった。



「まずこれが、今回の菊祭りの出品者向けの応募概要です」



 そう言って彼女が取り出したのは本人の言う通り菊祭りの出展者に向けたパンフレット。

 ちなみに、出品者向けの解説と概要しか書いていないため写真はなく、細かい字だけ。


「板橋区菊祭りは今年で六十年目を迎え、毎年区外からも沢山の応募がある歴史あるお祭りです。出品できる花のカテゴリーはいくつかあって、切り花、福助ふくすけ盆養ぼんよう、だるまあたりは、花の本数は少ないけどどっしりとした大菊を使います」


 応募の締め切り日や主催者や事務局の問い合わせ先、そして出展するカテゴリーとレギュレーションの説明だった。



「は、はあ……」



 高校に入って以来最も女子と接近しているシチュエーションなのだが、この立ち位置と書類は完全に応募者と案内の係員であり、このままでは行人が次回の菊祭りに出品させられてしまうし、多分授業が始まるまでに『アツモノキリバナ』が何なのか分からない。



「ここまでで何か質問はありますか?」

「その、渡辺さんの作品の『アツモノキリバナ』のことなんだけど……」


「え? あっ!」


「え?」

「そ、そうだよね! そういう話だったよね! ごめんなさい、大木君が菊祭りに興味を持ってくれたのが嬉しくて、しっかり解説しなきゃって思っちゃって!」



 アツモノという聞き慣れない単語の詳細を尋ねただけで、まさか祭りの概要と出品手続きの解説から始まるとは思わなかった。



「えっと、えっとね、私が出品した切り花はこういう厚物って呼ばれる丸くて大きい『大菊』を既定の高さに切って筒に挿すの」



 そう言って渡辺風花が差し出してきたスマートフォンには、ひな壇のような場所に並ぶ色とりどりの菊の写真が表示されていたが、行人が見た巴錦ではなく別の展示スペースにあった菊だった。



「右の丸いのが厚物。この傘みたいに広がってるのが管物。奥にある鉢はまた違うものなの」

「そうだったんだ」



 菊祭りのときには、分厚い花びらと細い花びらは同じ花なのだろうかと疑問に思ったものだが、なるほどこうして解説されると菊には行人が知らない多様な品種があったということらしい。



「何かあれだね、全然違うかもしれないけど、花火みたいだ」

「っ! そ、そうなの!」



 行人が写真について素直な比喩をすると、渡辺風花はまた目を見開きスマホを握りつぶさんばかりに意気込んで、ぐっと行人に顔を近づけてきた。

 間違いなく人生で最も女子と顔が近づいた瞬間で、行人の心拍数と血圧が急上昇する。



「私も初めて見たとき、花火みたいって思ったの! 実際に花火には『菊』とか『八重芯菊やえしんぎく』って名前のものがあって、菊ってそれくらい日本人の心に親和性のある美しさでそれで……あっ! あれ? えーと、えーと! あれっ⁉」



 そこで渡辺風花はスマートフォンを取り出したのだが、画面を凝視したまま慌てた表情になる。



「どうしたの?」

「わ、私の出品した菊の写真を見てもらおうと思ったのに、充電できてなかったみたいで」



 淡い緑色のカバーがかかったスマートフォンをこちらに向けると、そこには真っ暗な画面に無情に表示される電池切れのマーク。


 行人もたまにスマホの充電を忘れることはあるが、今時のスマホはよほど長時間動画を見たりゲームをしたりしなければ、丸二日くらい電池が持つものだ。

 それが充電を一度忘れたくらいでこんな朝早くに電池切れを起こすとは、意外にもスマホのヘビーユーザーだったりするのだろうか。



「これで二日連続なの……充電忘れたの」



 するとそんな行人のちょっとした疑問を先回りしたように、渡辺風花はしょげ返った声で言った。



「そ、それはなかなかのうっかりだね」



 一日充電を忘れたら、翌日はバッテリー残量にヒリついた一日の末に一も二もなく充電をすると思うのだが、こうなると逆に今時の女子高生らしくなく普通よりもずっとスマホを使わない人なのかもしれない。



「あ、でもこんなときのために予備バッテリーを持たされててね……!」



 ここで今時の高校生らしくきちんとセーフガードを用意していた。


 だがここで行人は未来を予知する。

 二日連続でスマホの充電を忘れる女子高生の予備バッテリーが、果たしてこの非常事態に即応できるほどしっかり充電されているものだろうか。



「あれ? お、おかしいな。充電始まらない」



 案の定というか、取り出された予備バッテリーの充電残量はゼロだったようだ。

 先ほどまでの誇らしげな様子はどこへやら、意気消沈した渡辺風花は消え入りそうな声で言った。



「ごめんなさい。折角興味持ってもらえたのに、菊、見せられなくて……」



 消沈のあまりそのまま床を突き破って物理的に沈んでいきそうに見えたので、



「あ、あのさ、実はこれ!」



 行人は慌てて『それ』を差し出した。

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