第一話 渡辺風花は園芸部の部長である ⑦


    ◇


「だから、去年の菊祭りの表彰のときからずっと、渡辺さんのことが好きだなって思いながら学校に来てました」

「あ、あう……そ、そうだったんですか……」



 行人も渡辺風花も、もはやお互いの顔を見ることができず、ゆだったタコのように顔を真っ赤にして自分の膝だけを見ていた。



「だ、だからね! 魅力がどうとか、写真のモデルになった人にみんなにそんなこと言ってるんじゃないかってさっき言ってたけど、ある意味正しくて、渡辺さんにしか言ってないというか、渡辺さんだから言ってたというか」

「あう、分かったから、その、あんまり恥ずかしいこと言わないでください~」

「いや、その、俺は聞かれたことを答えてるだけで」

「で、でも今の話のどこで、私のことをす、す、好きになったって……」

「だから言ったじゃないか。表彰されたときと、写真を受け取ってくれたときの笑顔がきっかけだって」

「は、はううう……」



 渡辺風花は強い光に当てられたかのように顔を覆って背けてしまう。



「ただ、もちろんそのときはこんなこ、こ、告白、しようだなんて大それたこと考えてなくて、でも、その後……渡辺さん、園芸同好会を園芸部に昇格させたでしょ。それで何というか、より好きになってしまったというか」

「え? どうして部活が関係あるの?」

「その頃、写真部の三年生が引退して俺一人になったから」



 恥ずかしがっているなりに真剣な行人の声色に、渡辺風花もはっとなる。



「写真部には俺の一個上の先輩がいなくて、一年生も俺一人だった。写真部は去年の冬には俺一人の部活になってたんだ。でも……」



 園芸同好会は、現役高校生が地域の伝統行事に貢献したという実績でもって園芸部に昇格し、渡辺風花はその部長となったのだ。



「何もできずに流されるまま一人部長になった俺と違って、同好会を実績で部に昇格させて、部長になった渡辺さんは、本当に眩しくて……本気で尊敬もしてるんだ!」

「わ、分かりました! 分かりましたから! ふー、ふー、ふー……」



 全力疾走した後のように上がった息を整えながら、渡辺風花は上目遣いで行人を見た。



「そ、それであの……それで終わり……ですか?」

「っ!」



 促されている。間違いなく。

 行人はごくりと唾を呑み込み、意を決すると制服の膝を握りしめ、緊張で吐き気すら催しながらそれをこらえて全力で言った。



「つっ……つっ……付き合ってほしいって、俺のかかっ、彼女になってもらえませんか!」

「へ、へぁあぁぁ……」



 事ここに至り、渡辺風花は急に足腰から力が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。

 そして、あたふたと周囲を見回し、意味も無く首に掛けたタオルで口の周りを吹いたりしてから、たっぷり何十秒も沈黙した。


 その時間が、行人にとっては何十時間にも、ほんの一瞬にも感じる。

 行人の本気の覚悟から来た言葉を、ようやく頭の中で咀嚼できたのだろう。


 渡辺は上目遣いになりながら聴き返した。



「わわわ、私なんて暗くておしゃれじゃないし人見知りで、それに……」

「そ、そういうとこも好きなんだよ!」

「へぁっ!」

「あ、いやその。悪く言うつもりじゃなくて、でもその、こういう言い方は変かもだけど、外見で好きになったわけじゃないんだ! でも好きになると外見含めて全部好きになっちゃったんだから仕方ないんだ!」

「えっと、うう、えっと、その……」



 無様に過ぎる告白だ。だが、それでも嘘は一切ない。



「あの、あのね、変な声出してばっかりでごめんね……い、嫌なわけじゃなくて、ただ、ど、どうしたらいいか、何て言っていいか分からなくなっちゃってて……」



 それはそうだろうと思う。

 好意的に接してもらっていたという自負はあるが、それも学校に限った話であり、お互い知ってることが多いとは言えない間柄だ。

 そのことに思い至り、微かに冷静さと自己嫌悪が湧き上がるが、もはや時は戻せない。


 そしてまたしばらくの沈黙。

 言葉を探している様子が、もしかしたら拒否の言葉を探しているようにも見えた行人の方が沈黙に耐え切れなくなった。



「グリーンフィンガーズ、って言うんでしょ?」

「えっ?」

「園芸が得意な人の事を英語でも日本語でも『緑の指』って。俺、渡辺さんの力と生き方を尊敬してるんだ。園芸のことを話したりやったりしてるときの笑顔が好きなんだ!」



 口が勢いで動き、何だか血圧が上がって、視界も歪んできているように思う。

 それでも、今この瞬間告白しきらねば一生後悔するという思いが行人を動かしていた。



「お、落ち着いて。分かりました。分かりましたから……」

「ご、ごめん……!」



 勢いよく行きすぎて、がっついていると思われてしまっただろうか。引っ込み思案な部分のある渡辺を、怖がらせてしまっただろうか。

 思わず目を伏せてしまった行人に、震えるが、それでも明るい声がかかる。



「驚いたけど……嬉しいです。大木くんの、気持ち」

「えっ……!」

「でも……私達、まだお互い、知らないことが沢山あると思うんです。だから……」



 でも、BUT HOWEVER、逆接の接続詞。俯く行人の心に、暗い影が落ち、ついでに地面に冷や汗が落ちる。



「あ……」

「ゆっくり少しずつ、お互いを知りながらお付き合いをしていくので、いいですか?」



「……………………………………………………………………………………え」



 拒否の言葉が飛んでくると思った。

 だが、続いた言葉は、これから少しずつお互いのことを深く知って行こうという前向きな言葉のように思えた。



「そ、それって……」



 声が、震える。

 心に一瞬さした闇が、急激に光に満ち、晴れ渡る。



「大木くん……これから、よろしくお願いします」



 天地開闢。

 その瞬間の行人の心の中を表現するに最もふさわしい言葉は『天地開闢』を於いて他になかった。

 人生に新たな地平が開けた音がした。五感全てが研ぎ澄まされて世界全てと同化し、それでいて今正面にいる渡辺風花の全てに集中しているような不思議な感覚。


 そして、今や杞憂であった暗い予感に俯いたままだった行人の視界に、渡辺の小さく愛らしい右手が差し出された。

 それは、好きになった人に想いを受け止めてもらえた、奇跡と幸運の象徴だ。

 行人は、乱暴にならないようにその手を取り、握り返した。

 小さくて、暖かくて、優しくて、強い手だった。



「あ、ありがとう渡辺さん!」



 そして、顔を上げた。



「これからよろし…………!」



 その時起こったことを、どう説明すればよいのか、行人は分からなかった。

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