第一話 渡辺風花は園芸部の部長である ⑧
「え、誰?」
目の前にいたはずの渡辺風花が消え、代わりに見たことのない『顔』があった。
ジャージの胸には『渡辺』と刺繍が入っている。
目を逸らしこそしたが、目の前でへたりこんだ渡辺の膝はずっと見えていた。
声だって、ずっと渡辺風花の声しか聞こえていない。
それなのに、行人が顔を上げたら、そこには朴訥で愛らしい渡辺風花の顔ではなく、風になびく絹糸のような金髪と、翠緑の瞳、透き通るような肌、そして長い耳介を持つ女性の顔に変わっていたのだ。
「「え?」」
タオルもそのままだ。
だが、顔がもう、見間違いようもなく違う。
いや、顔というかもう、首から上の何もかもが違う。
だから、一度言ったことをもう一度言った。
「え、誰?」
「お、大木くん、どうしたの?」
「いや、いやいやいや、え、え⁉ わ、渡辺、さん⁉ 渡辺さんっ⁉」
「な、なぁに?」
なぁにじゃない。こんなドッキリマジックがあってたまるか。
渡辺風花はどこに消えたんだ。いや、違う。渡辺風花の声はここにある。
首から上、顔と髪が変わってしまっているのだ。
全く見覚えのない顔から渡辺の声が聞こえるが、顔が違うと声まで違って聞こえるような錯覚に陥る。
いや、本当に見覚えはないか?
顔そのものに見覚えはないが、この顔を構成する要素には、覚えがある。
この世の者とは思えぬ美しい面差し、エメラルドグリーンの髪、エメラルドの瞳、そして最も特徴的な、長い耳。
「エルフ……だ」
長い寿命。それ故の知識と魔力。他種族から一線を画す美貌。自然を愛し人界から距離を置く、長い耳を持つ人型の異種族、或いは妖精、或いは神の眷属。
現代日本に生きる人間なら、アニメ、漫画、ゲーム、映画、小説などで一度はその概念に触れ、ビジュアルを見たことがあるであろう、架空の種族。
「もしかして私の……見えちゃった?」
好きな女の子に恋の告白をしてOKをもらえたと思ったら、不測の事態でパンツを見た男みたいなことを言われた。
この説明だけで行人の目の前で起きた事態を全て把握できる人間がいたら、きっとそれは神かこの悪質なドッキリの首謀者だ。
「いや……いやこれ、何が起こったの? 渡辺さんはどこに行ったんだ?」
「混乱させちゃってごめんなさい。でも……私が渡辺風花です。これが私の本当の姿なの」
「いや、本当の姿も何も……渡辺さんは日本人なので、どんなマジック使ったのか分からな……分かりませんけど、渡辺さんはどこに行ったんですか」
見知らぬ顔相手なのでつい敬語になってしまう。
「だから私が渡辺風花なの! 大木くん! 顔を見ずに、私の声を聞いて!」
「うわああああああ渡辺さんの声ぇ‼」
足元にあった植木鉢が唐突に持ち上げられて一瞬目の前の顔が隠れ、告白の緊張で研ぎ澄まされた行人の耳ははっきりと渡辺風花の声を捉えたのだ。
だが目を開くとそこには植木鉢で隠しきれない金髪と長い耳。
行人の混乱は頂点に達する。
「いやいやいや! いやいやいやいやいや! 信じられないって! エルフなんているわけないだろ⁉ 渡辺さんはどこ行ったんだ⁉」
「どうしたら信じてくれるの!」
植木鉢の陰から恥ずかしげに顔を出した絶世の美女にそんな悲し気な顔と声で言われて、行人は悪くないはずなのに謂れのない罪悪感を覚えてしまう。
だが、想い人に告白をOKしてもらえたと思ったらエルフに変身された行人にも大いに同情の余地はある。
好きになった女子の正体がお忍びのアイドルだったとか、幼い頃に別れた幼馴染だったというのなら、飼っていた子猫が大きくなったらライオンでした、程度の衝撃で納得できる。
だが好きになった女子の正体がエルフでした、は、飼っていた子猫が大きくなったらプテラノドンでしたというレベルに、言葉通り次元が違う事象なのだ。
「だ、だって、どう見たって別人だし……」
「いつも魔法で姿を変えているの! でも大木くんが今見ているのがきっと私の本当の姿で、だから私が去年の秋からずっと、園芸や写真のことで楽しくお話しした渡辺風花なの!」
「いや……でも……」
「大木くん……言ってくれたよね。外見で好きになってくれたわけじゃない……って」
「っ!」
行人は思わず息を呑み、改めて目の前のエルフを見、歯を食いしばって俯いてしまう。
いくら外見を好きになったわけではないといっても、物には限度がある! 普通とは違う意味で!
「確かに……そうは言ったけども!」
だがそれでも渡辺風花を好きになった入り口はあの素朴な笑顔で、園芸を通じて触れた渡辺の素朴な心を経て、外見もまた恋の対象になったのだ。
だが、ここまで見た目が別の人間(かどうかも分からない存在)になってしまうと、『大切なのは外見ではなく中身』とかいう言葉で収めることなどできはしない。
元の面影が一切合切消失した、完全なる別人の顔なのだ。
例えば、頭がアンパンでできている子ども達のヒーローがいたとしよう。
アンパンの頭を更新してパワーを回復し続けることで長年子ども達に愛されてきたのに、あるときから何の説明もなく頭が大トロ握りになったら、同じキャラクターとしてこれまで通り子ども達に愛されるだろうか。絶対に無理だろう。
アンパンも美味しいし大トロ握りも美味しいが競技の土俵が違いすぎるし、お腹が空いてアンパンを食べたがっている子どもに大トロ握りを与えたら、食べるかもしれないが、これじゃないと言われることは必定だ。
「もちろんアンパンも大トロも愛しているけども!」
「えっ⁉ な、何? アンパンと大トロ?」
渡辺風花を名乗るエルフは、パニックに陥っている行人の目にもはっきり美人だと分かる。
街中で男がこのエルフとすれ違えば、耳介の形状の違和感すらさて置いて十人が十人、その美貌に振り返るだろう。
だが行人は、エルフを美人だと思っても好きにはならない。
好きになったのは、誰もが振り返るような万人受けする美貌ではなく、それでも行人にとって唯一無二の魅力に満ちたあの笑顔なのだ。
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