第一話 渡辺風花は園芸部の部長である ⑨

「あ、あのさ。魔法で姿を変えてたって、言ってたよね、さっき」

「え、あ、うん……アンパンと大トロ……?」

「ならその魔法で元の姿に戻れないの? 俺が知ってる、渡辺さんの姿に」



 震える声で現実を受け入れようとする行人のその提案への回答は、残酷だった。



「それは私には無理なの。私もまさか大木くんに見えちゃうなんて思わなかったから……」

「そんな……」

「……でも、嬉しかった。本当に嬉しかったんだ。大木くんが、私のこと、好きだって言ってくれて。だって私も……」


「え?」



 渡辺風花の声で、渡辺風花と違う姿の人間がもじもじと胸の前で両手を組む。



「私ね、実は去年の菊祭りでの後に仲良くなるよりも前、一年生で同じクラスになったときからずっと大木くんのこと、気になってたの」


「えっ?」


「大きな木で行人、ゆくと、ユクト……。すごく、ユグドラシルっぽい名前だな、って!」


「顔赤らめて何をワケの分かんないこと言ってるの」


「言われたこと……ない?」

「空前絶後だよ。もじもじしながら溜めて聞くほど予想できないことじゃないでしょ」



 ユグドラシルという名詞はもちろんエルフと同じ程度には知っているが、原典でどういう存在なのかきちんと調べたことはなかったし、自分の名前と関連づけたこともない。



「それじゃあ大木くん……もう私のことは、好きじゃなくなった、ってことなの……かな」



 このときばかりは、真剣に言葉に詰まった。

 渡辺風花のことが好きな気持ちに変わりはない。そして今目の前で起こったことと、目の前にいるエルフが言うことを総合すると、信じがたいことだがこのエルフが渡辺風花であることを否定する材料は、無いと言えば無い。


 だが……。



「本当にエルフだって言うなら、分かってほしい。正体がエルフだなんて信じるか信じないかって言われたらやっぱり信じられないし、信じたとしても訳が分からな過ぎて……」

「大木……くん」

「ごめん。自分から告白しておいて申し訳ないけど、落ち着く時間が欲しいんだ……」



 普通ならば、告白した側が保留を要求するなど非難されてしかるべき言動だが、仕方がないではないか。

 行人は地面に置いたカメラを手に取り力なく立ち上がるが、渡辺風花を名乗るエルフは悲し気な様子で行人を見あげ、そして目を伏せ頷いた。



「そう……だよね」



 その悲し気な声に、行人は耐えられなかった。



「今日の写真……現像、するから」



 そしてそのまま、返事も聞かずに駆けだした。逃げたのだ。

 仕方がないじゃないか。エルフだぞ。好きな人の顔が、何の心の準備も無く全く違う顔になったのに、平静でいられる方がおかしいじゃないか。


 あれ以上、何が出来たのか、何を言えたのか。

 考えても考えても何も分かるはずがない。

 告白は大成功だったはずなのに、どうしてこんな訳の分からない気持ちになるんだ。

 行人は呆然自失のまま帰路につき、途中、いつも利用している大手カメラ店のある交差点で立ち止まる。


 手に握ったままのカメラを見下ろすと、フィルムを撮り切っていないがそのまま現像に出した。

 一時間ほどして仕上がった写真の中では、行人が好きになった『渡辺風花』が笑顔を輝かせていた。

 行人は泣きそうになりながらカメラ店を飛び出し、帰宅すると写真を勉強机の上に放り出して、着替えもせずにベッドに飛び込み、頭を抱え膝を抱え、夕食も食べずに意識を失うように眠りについた。

 夢は見なかった。これでもし渡辺風花が夢に出てきてくれたら、夢の中だけでも幸せな気分に戻れたのだろうか。

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