第一話 渡辺風花は園芸部の部長である ②
それからしばらく時間が流れる。
カメラのファインダー越しに、土に汚れた渡辺風花の頬の汗が輝いている。
昼というには遅いが夕暮れというにはまだ早い、少し陰った日の光と校舎裏の日陰を渡る風が渡辺風花の前髪を軽くそよがせ、普段は前髪に隠れがちな穏やかな瞳を行人に見せた。
「渡辺さん」
行人の指が自然にシャッターを切り、そして、カメラを構えた手が少しずつ下がってゆく。
それと同時に渡辺風花は、傍らにあったいくつもの花の苗の一つを両手で持ち上げ、花壇に下ろそうとするところだった。
「え? なぁに?」
それは渡辺風花をモデルとして写真を撮ろうとする行人にとって、決して逃してはいけないシャッターチャンスだった。
ファインダーの中で、渡辺風花が輝いている。
ああ、やはり。
このカメラは、行人が本当に美しいと、素晴らしいと思える被写体をこうして教えてくれるのだ。
その瞬間は、図らずも今日一日の中でベストショットのタイミングだった。
「……」
「大木くん、写真はもういいの?」
だが、行人はシャッターを切らず、カメラをゆっくりと下ろしてしまった。
今まで好き放題撮りまくっていた行人が突然静かになってしまったので、その様子を渡辺風花は少し不思議そうに見てくる。
「俺……」
美しいものを全てカメラ越しに見ようとしてしまう現代に於いて、この一瞬だけは、自分自身の目だけで見なければならないものだと感じたからだった。
「好きだ。渡辺さんが」
時間が止まったようだった。
いや、そう思ったのは行人だけだった。
何故ならきょとんとした目で行人を見ていた渡辺風花の顔が、行人の言葉を頭で理解するとともに沸騰したように紅潮していったからだ。
行人自身の心臓の鼓動も、どんどん速くなっていく。
「えと、えっと……今、大木くん、好き、好きって……私のこ……と……ええええ⁉」
「あ……あれ⁉ い、いや、その、違っ! いや、違わ、違わないっ……んだけど、その、こんな風に言うつもりじゃ、あれ⁉ えっと、その‼ 渡辺さんっ!」
「ひゃいっ⁉」
渡辺風花の方も、唐突すぎる事態に目を見開いて全身を凝固させ呆然としている。
行人は大きく息を吸うと、渡辺に向き直りその場に膝を突いた。
「せ、制服の膝汚れちゃうよ⁉」
「い、今はそんなこといいんだ! その、聞いてもりゃえましゅかっ⁉」
派手に噛んだ行人は渡辺風花に負けず劣らず顔を真っ赤にし、
「おおおおおおちおちおち落ち着いてください大木きゅん!」
渡辺風花も比例するように慌て、そしてやたらと可愛く噛む。
「「え、えーと……!」」
二人でひとしきり慌てた後、とりあえず行人は大事なカメラを、渡辺風花は大事な花の苗を取り落とさないようにお互い地面に置いた。
そして一足早く、渡辺風花の方が落ち着きを取り戻し、いっぱいいっぱいになりながら言った。
「ふー……あ、あの……あのね、大木くん」
思わず下がりそうになった視線を、渡辺風花の声が引き留めた。
「大木くんは『こんな風に言うつもりじゃ』って言うくらいだからきっと……自分の理想の言い方は考えてて、少しは心の準備があったんだよね? でも……私は、違うんだよ?」
「そ、それは」
「すごく……すごくドキドキしてる。そんなこと言われるなんて、全然予想してなかったんだもの」
言いながら、渡辺風花は軍手をつけたままの両手で自分の顔を覆おうとする。
「だから……私の方が、きっと緊張してるよ」
「わ、渡辺さん……」
それでも渡辺風花は目を隠すことだけは堪えて、目だけはしっかり行人を見た。
「私……今まで、男の子にそんなこと、言われたことなくて……だから、頭ぐるぐるしてて、冷静じゃないかもしれない。だから……」
渡辺風花は強い意志で顔を隠そうとする手を下ろし、ジャージの膝が汚れるのも構わず地面に正座するように腰を下ろし、言った。
「聞かせてください。大木くんが、私のどんなところを好きになってくれたのか」
渡辺風花の声の微かな震えがどのような感情からくるものなのか、行人に判断することはできなかった。
それでも真っ直ぐ自分を見つめてくれる瞳は好意的なものであるように思えた。
「えっと……少し、長くなるんだけど、いい……?」
渡辺風花が小さく頷く。
二人で咲いたばかりのチューリップのように赤くなりながら、行人はぽつりぽつりと語り始めた。
それは今この時点から半年ほど前、二人が一年生だった昨年の十月に遡る。
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