第二話 渡辺風花はそわそわしている ⑦
「あぅ……あの、これは、ね」
一瞬で魔法が解けてしまったことにエルフの渡辺は大きく動揺しているようだ。
金髪のエルフは顔を真っ赤にして、長い髪をかき集めて顔を隠そうとする。
「ど、どうして解けちゃったんだろ。魔力同調のためにいっぱい食べたはずなのに、あの、ごめんね大木くん、元の姿に戻れば写真も撮り続けてもらえるかなって、それで……」
言葉が少しずつ尻すぼみになり、エルフの渡辺は重箱の向こうで小さくなってしまう。
その姿を見て、行人はまた昨日とは違う罪悪感に襲われた。
重箱の向こうからは髪と長い耳の端しか見えない。
顔が見えないから、分かることがある。
「渡辺さん」
行人は顔を赤くして隠れるエルフの名を呼んだ。
「……なぁに。大木、くん」
消え入りそうな返事が、それでも返ってくる。
「俺の中学の音楽の先生がさ、コーラス部の顧問で人間の喉、声帯に詳しかったんだよ」
唐突に変わった話題に、エルフの渡辺が戸惑うが、構わず行人は話し続けた。
「だからなんかやたら歌のテストとかやりたがってさ。俺、歌が苦手なのと、その頃声変わりが始まって声がなんか変になって、人前で声出すの嫌な時期だったんだ」
「そうなんだ」
話の着地点がどこにあるのか分からないエルフの渡辺は、相槌だけ。
「実際音楽で習ったことなんかほとんど覚えてないんだけどさ、一個だけ、すごく印象に残ってる雑学みたいな知識があってさ。いやまぁ、あれもきっと音楽的に重要なんだろうけど」
そう言うと、行人は自分の喉に手を当てる。
「歌を歌うとき、高音は鍛えると伸びるけど、低音の限界は決まってるんだって」
「どういうこと?」
「精密に限界まで声帯を絞れれば、高音は理論上鍛え方次第でいくらでも伸びる。でも、低音は持って生まれた声帯以上に低くはならないんだって。だからさ」
行人は少し身を乗り出した。
「俺、渡辺さんの声だけは、聴き間違えない自信があるんだ」
「ふぇっ⁉」
机の向こうでうずくまっていたエルフの渡辺は、しゃがんだ状態で行人を見上げて目を見開く。
「さっき言ったでしょ。渡辺さんの声の解像度だけは、高い自信があるって」
「う、あ、うん」
「まださ、渡辺さんの言う『魔法』っていうのが何なのかよく分からないし、何で渡辺さんがエルフなのかも分からないけど、声のおかげで、見た目が変わっても、渡辺さんが渡辺さんだってことだけは、ぎりぎり受け入れられてるんだ」
「大木、くん……」
「で、さ。多分だけど、渡辺さん、さすがに普段からこんなに食べる人じゃなかったでしょ」
これは確認するまでもないことだが、フードファイターでもなければ一人で三段重箱なんて量を食べるはずがない。
「この量、どうやって用意したの?」
「それは普通に、早起きして自分で作ったの。唐揚げは前の晩から仕込んでね」
普通に手料理だという事実に思わず心がときめいてしまった。
だがそれこそ魔法とやらでなんとかならなかったものなのだろうかとも思う。
エルフの外見から受ける印象を裏切るちぐはぐさに、行人は微笑んでしまう。
「まぁとにかく、魔法なんてものが本当にあるとして、昨日の花壇と教室とそれとここでも、渡辺さんの魔法はその見た目を誤魔化すもので形を変えてるわけじゃない。だって顔付きが変われば、骨格も変わる。骨格が変われば筋肉や声帯だって変わるでしょ」
「う、うん」
「でも、声は変わってない。ていうことは」
行人は重箱を避けながら更に身を乗り出して手を差し出した。
「今俺に見えている渡辺さんの顔が、本物の渡辺さんの顔なんでしょ」
「…………はい」
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