第二話 渡辺風花はそわそわしている ③


    ◇


 ノックの回数には正しいマナーがあると、つい先ほど、スマホで調べた。

 ノックの回数は二回、三回、四回があり、国際基準では四回、日本のビジネスシーンでは三回が正しいとされ、二回はトイレや空室の確認をするものだから相応しくないらしい。


 元々ノックの回数など無駄に強い力でドアを殴ったり百回も間断なく打ち込むような極端なことさえしなければ、一般的な礼儀を備えていれば悩むことはないものだと思うのだが、それでもこんなことを調べたのは、エルフという種族が現実に存在するのかも、と改めて考えてしまったからだ。

 いや、実在はしているのだ。恐らく。きっと。自分のクラスに。まだ信じきれたわけではないが。


 ともかく仮に目に見える現実を全て無条件に信じた場合、エルフの文化が人間と違うケースにふと思い当たったのだ。

 日本では何の問題ない行動が別の国では逮捕される原因になることもある。逆も然り。

 もしかしたらこの世のどこかにあるエルフの世界では、ノック三回で扉を叩くのはその場で蛙に変身させられても文句の言えない大罪である可能性も否定できない。


 昼休み。園芸部部室。

 校舎の片隅の、渡辺風花が部を再興するまで倉庫として使われていた小さな部屋の、中の見えない金属扉を恐る恐る二回ノックすると。



「ぐぎゅるるるううううううううううううう……」



 海中で録音した鯨の鳴き声のような音が返ってきた。エルフ式の挨拶だろうか。

 金属扉越しなのにしばらくドタバタと慌ただしく動く音が聞こえてきて、それからすぐにドアが内側からこちら側に向けて開く。



「い、いらっしゃい大木くん。待ってたよ。どうぞ入って」



 何故か冷や汗をかいたエルフの渡辺が現れて、行人を中に招き入れた。

 同時に、先程の「ぐぎゅるるる」という重低音が響き渡る。



「どうぞ、好きなところに座って下さい」

「う、うん、お邪魔します。遅れてごめん。いつもは弁当なんだけど、今日は購買で」

「大丈夫だよ。こっちこそ急に誘ってごめんね」



 古いパイプ椅子に座るエルフの渡辺から、またぐぎゅるると重低音。



「ごめん、あの、大分待たせた? もしかして凄くお腹空い……」

「そ、そんなこと、な、ないよ! さ、さあとにかく食べよ!」

「あ、うん、いただきえっ⁉ デカっ‼」



 普通に考えれば、ランチでご一緒する女子にそんなことを言うのはデリカシーに欠けおよそ褒められたものではない。それでもつい口を突いて出てしまうくらい、エルフの渡辺が取り出した弁当は大きかったのだ。


 もはや重箱だ。弁当箱などという生易しいものではない。三段重ねの赤い漆塗りの重箱がテーブルに乗っているのだ。

 それだけでも圧巻なのに、更にエルフの渡辺は重量感のあるクラフトペーパーバッグを取り出してて、ごとりという音を立ててテーブルに置くのだ。



「あの、大木くん。あんまりじろじろ見ないでもらえると……」



 向かい合って食べるのに無茶な注文だ。だが行人が何か答える前にまたぐぎゅるるる音が鳴り響き、エルフの渡辺はそれをかき消すようにパチンと音を立てて手を合わせた。



「い、いただきまーす」



 明らかに一人で食べる量ではないので、行人はほんの一瞬だけ、もしかして自分の分もあるのではないかというお花畑な思考に支配されるが、次の一瞬でその夢想は儚く吹き飛ぶ。

 一段目、一面ののり弁。二段目、一面のポテトサラダ。三段目、一面の鶏から揚げ。


 コンビニのから揚げ弁当だってもう少し他のものが入っているだろうし、食い気優先の運動部ももう少し他の物を入れるのでなかろうか。

 ロカボがもてはやされる現代の感覚に真っ向から反逆する内容に行人が言葉を失っている間に、美貌のエルフは箸を構えると、全力で重箱に取り掛かり始めた。



「ち、ちなみにそっちの紙袋には何が入ってるの?」



 行人の問いに、エルフの渡辺は美しい頬を真っ赤にしながら、その頬よりも赤いリンゴを丸ごと一個取り出してみせた。

 まさかこの場で包丁やナイフを取り出してリンゴの皮剥きをするはずもなく、そうなるとこのリンゴは丸齧りされることになる。



「昼にいつも教室にいないから知らなかったけど、いつもそんなに食べてるの?」



 ついそんな疑問が口を突いて出た。

 エルフの渡辺も自分の昼食があまりに肉食系かつ豪速球過ぎる自覚はあるようで、消え入りそうになりながらも言葉を紡ぐ。



「魔法をかけ続けられるのって凄くお腹が減るの。私、普段から魔法で自分の姿をこの世界の人の姿に偽装してるから、これくらい食べないと途中でエネルギー切れ起こしちゃうの」



 思ったより切実かつ今の二人にとってはセンシティブな理由だった。

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