第4話 気が付く

 お枝と名乗る大豆と会ったナザト。彼女は旅館が提供する「ハグサービス」を注文していた。


 お枝はいきなりハグをするのではなく、まずは対話を試みる。

「お客様はどちらからいらしたのですか?」

「日東からです」

「奇遇ですね。私の故郷がそこなんですよ」

「そうなんですね。でも私日東にいた期間がほぼなくて、あんまり話せることとかないんですよね」

「日東はいい場所ですよ。平和ですし、食べ物は美味しく、景色が綺麗です」

「配達が終わったら、もう少し歩き回ってみようかなぁ」

「是非そうしてみてください。ではお客様、両手を広げてください」

 ああ、そうだ。ハグのサービスだった。思わず会話に意識が向いてしまったナザトだったが、その一言で思い出した。

 両の手を広げると、お枝が間に入って抱き着いてくる。その瞬間、セロトニンが湧き出てくる。心が落ち着く一方で、気持ちが前向きになり、士気が高まる。

 ――これがハグの力⁉ いや、そんなわけはない。母さんや妹たちと抱き合ったときはこんなことにはならなかった。魔物や魔道具由来なことは同じなのに。これは間違いなく彼女の特殊能力だ。


「はい。お終い」

 サービス提供人はハグをやめる。

「いかがでしたか?」

「良かったです。とても」

 客人はすこし恍惚とした表情を浮かべる。

「ご満足いただけたようで何よりです。では私は失礼しますね」

 彼女は部屋を出ていこうとした。ナザトはハッとし、自分の頬をぺちぺちと叩く。

「待ってください。ダイズさん!」

「なぜその名で?」

 彼女は先ほどの柔らかい表情から一変し、少し眉をひそめ、若干鋭い目つきをする。

 ナザトは一瞬、しまったと思ったが、ここはもう面倒な駆け引きなどは無くし、正直に話そうと、顔を引き締める。

「先ほどの"配達"ですが、貴女もその受取人の1人なんですよ」

「聞きましょう」

 彼女は一言かけてから椅子に座る。


 客人は、セレカレスから手紙を預かっていること、人になった植物を戻すことを依頼されたこと、そしてコムギから、植物は何かしらの問題を抱えていることを聞き、自分はそれの解決に協力したいことを話した。

「なるほど。そうでしたか。じゃあ、ハグ代として相談しましょうかね」

 事情を知ったお枝は緊張を解く。

「私はダイズですが、大豆未満の存在です」

「どういうことですか?」

「大豆は窒素固定という能力が使えます。それによって地力を回復させることが出来るのです」

「素晴らしい能力ですね」

「ですが、私はその能力が使えないのです」

「なんと」

「現在ニコナンでは連作によって土が痩せてきています。このままでは近いうちに作物が取れなくなってしまう。それを回避するために、私は能力を使えるようにならないといけないんです」

「分かりました。ではまず今の土の状況を教えてください」

 2人は許可を得て、実際に畑の土を持って帰ることにした。


「とりあえず土を持ち帰りましたけど、どうしましょう」

 ナザトは土の入った袋を前に首をひねる。

「土における三大栄養素は窒素、リン、カリウムです。たい肥などの有機物の存在も肥沃な土には必要です。栄養状態を確かめましょう」

「具体的には?」

「実際に作物を植えてみます」

 そう言ってダイズは手から大豆の種を生み出す。

 植物を人間にしたってことだったけど、そんなこと出来るんだ。と感心した。

「植えたのはいいですけど、これだと実るまで何か月かかかりますよね?」

「安心してください。小さな植木鉢1つ分くらいなら、時間を加速させることが出来ます」

「便利なものですね」

 ものの数秒で芽が出た。しかし1つだけだ。植木鉢に植えた量からすれば、もう2、3個は芽が出てもいい。

 葉は小さく、茎も細い。さらに葉が黄色くなり、根腐れも起こしている。

「全体的に栄養が足りていませんね。たい肥は既に使われているようですが、それでも足りていないようです」

「どうすればいいんですか?」

「そもそも土地が痩せたのは連作をやりすぎたからです。それをやめたうえで、継続的に栄養を与えないと……。そしてそれに適しているのが、窒素固定が出来る大豆なのですが……」

「今の貴女にはそれが出来ないと。きっと何か見落としているんでしょうね」

「何かとは?」

「逆にこの土に足りている物を探しましょう」


 2人はさらに土を調べた。すると細菌や微生物は足りているようだった。

「この微生物こそが鍵になるような気がします」

 ナザトは提案する。

「なるほど。それらは土の栄養の高さの証明程度の認識でした。これらが窒素固定に必要とは考えてもみませんでした」

 それからダイズは細菌を分類して調べた。その結果、根粒菌こそが必要なものであると判明した。

「たった2日で分かるなんて、随分と熱心に調べたみたいですね」

「この町の未来が掛かっていますから」

「そうですか。それで、根粒菌をどう使うんですか?」

「……。私がこれに感染します」

「え?」

「根粒内部で根粒菌がニトロゲナーゼという酵素を生成します。ニトロゲナーゼが大気中の窒素ガスをアンモニアに変換します。変換されたアンモニアが植物に供給されます。これが窒素固定。私が根粒菌に感染するだけで土が回復するのなら安いものです」

 彼女は血管の思いっきりブッ刺した。


 一週間が経過した。

 根粒菌に感染した部位にコブが出来た。その見た目から、ハグサービスは継続出来なくなった。ダイズはそれを悲しく感じた。

 彼女にとっては、唯一人間と繋がれる方法だった。窒素固定が出来ないことを後ろめたく感じていた。その代わりに出来ることを探し、やっとのことで見つけたのがハグサービスだ。それを封じられた。

 ――苦しい。暑いのに寒い。コブが布団に擦れると痛い。髪も緑から白に変わっちゃった。老人みたい。自分の見た目には自信あったのになー。これじゃ、治ってもハグサービスは出来ないかも。いや、治ったら大豆に戻るからどの道復帰は出来ないか。あーあ。寂しいなぁ。

 薄っすら視界が滲む。そのとき部屋の戸が開く。

「ダイズちゃん。これ食べて」

 宿のオーナーが食べ物を持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

「ねえ、何があったのか、本当に聞かせてくれないの?」

「いづれ分かることですから」

「ならせめて病院に行こう?」

「大丈夫です。ちゃんと治るものですから」

「そう言ってから一週間よ。早く治療しないと、手遅れになるかもしれないじゃない」

「本当に大丈夫ですから。これでも初期に比べると大分良くなってるんです」

「でも――」

「あの、寝たいので一人にしてくれませんか」

「……分かったわ」

 オーナーは部屋を出る。


 それを外から見ていたナザトが窓から入って来る。

「良かったんですか? あんな言い方して」

「いいんです。どうせ分かれるんですから」

 フラつきながら布団から出る。

「ナザトさん。私を畑まで連れて行ってください」

「そんな状態の人は連れていけませんって」

「分かるんです。窒素固定ができるって」

「ならせめてそこのご飯を食べてからにしてください」

「そんな時間は――」

「あれは! 畑が痩せつつある中、貴重な食料を使って、貴女のために作ったものです。食べなさい」

 ナザトは語気を強める。

「分かりましたよ」

 ダイズは運ばれた料理を口にする。一口、また一口食べれば思い出す。

 自分がこの町に着いた時、自分は本当に何も出来なかった。何も知らなかった。それでもこの町は私を受け入れてくれた。働き口を探してくれた。自分に人を癒す力があると分かったときは、それをどう使えばいいのか教えてくれた。

 半分も食べるころには、涙で味が分からなくなった。愛されていることに気が付いてしまった。


 食べ終わると、彼女の体調は万全なものになった。

「ナザトさん。五分くらい待ってもらってもいいですか?」

「構いませんよ」

 彼女は思いのたけを手紙に綴った。

「オーナーテツ。今までお世話になりました。私はダイズ。畑の肉です。今からこの町の畑の糧になります。体調が悪化したのはそのための準備だったんです。心配かけてごめんなさい。ハグサービスは出来なくなるけど、この宿はそんなものがなくてもやっていけるほど、最高のサービスを提供出来ていると思います。我儘な私を許してください。それと、畑のことですが、連作はほどほどにして、栄養素の補給を行ってください。そうすれば、畑が痩せることはないはずです。 P.S.ご飯美味しかったです」


 ダイズが畑に手を着く。土が白い光を放つ。その光は町中に伝播していく。

「これで窒素固定が出来ました」

「綺麗ですね」

「私を戻したら、畑に埋めてください。そうしたら能力が固定され、今後も窒素不足になることはないはずです」

「そのまえに、セレカレスさんからの手紙を読んでください」

 ダイズは手紙を読む。

「そうですか。彼女らしいことを……。もう満足です。やってください」

 ナザトはダイズを包んだ。ただの植物に戻った少女を畑に植えた。

 ――彼女の愛が、この地に実りますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る