第70話

「みーくにっ」


 飛び跳ねるような声のかけ方は荒神くんだ。振り向くと荒神くんは「やほー」と八重歯を見せながら笑い、隣に並んだ。


「帰り? 電車?」

「ううん、バス。荒神くんは?」

「俺もー。昴夜と侑生は? 一緒じゃねーの?」


 荒神くんがそう言いながら辺りを見回すと、額の前に水平に掲げられた手のせいでまるで冒険でもしているみたいだ。


「あの2人とは逆方向だよ」

「あー、まあそうか。そーだ三国、連絡先教えて。やっとケータイ手に入れたから」


 じゃーん、と荒神くんは効果音付きで携帯電話を取り出した。黄緑色の、女子が持っていてもおかしくなさそうなデザインのものだった。


 それにしても、出会いがしらに連絡先を聞くあたり、荒神くんはブレない。


「……いいけど」

「けど?」

「……いやいいんだけど、なんでかなって思って」

「いーじゃん、友達じゃん」


 その定義を考えてしまいそうになったけれど、まあ、ゴールデンウィークに一緒に遊んだからいいか……と考えるのをやめた。電話番号を告げると、荒神くんは「昴夜が羨ましがりそう」と目を細めながら頷いた。


「つか気になってたんだけど、三国、ゴールデンウィークなんともなかった?」


 なんのことやらと首を傾げると「ほら、昴夜のせいで海で転んだじゃん?」とますますよく分からない指摘をされた。


「……風邪は引かなかったけど」

「あー、うーん、そうじゃなくて。体なんともなかったのかなってか、それだと風邪と同じか……」


 荒神くんは指でオレンジ色のメッシュをくるくるとからめた。体調というよりもう少し広い意味を含意がんいするような言い方と、一方ではっきりと口にすることは避けたそうなその態度に加えて、荒神くんが中学2年生の同級生だと考えれば、その言いたいことに思い至る。


「体はなんともないよ。別に、心臓とか悪いわけじゃないし」

「あ、そう?」


 正解だったらしく、荒神くんの声のトーンは明るくなった。同時に、その声の変わり方で当初の声が少しかたかったことに気が付く。


「そっか、そんならよかった。いや、あの時はうっかりしてたんだけどさ、極寒の海に飛び込んだらマズイんじゃないかと思って」

「全然。むしろ頭が冴えそう」

「うん?」

「ごめんなんでもない」


 ついポロッと口にしてしまって慌てて首を振った。桜井くんと雲雀くんと仲良くしているせいで荒神くんの前でも油断してしまった。


「……聞いていいことか分かんないんだけど、聞いていい?」

「体のこと?」


 文脈と一拍置かれた呼吸とをあわせて考えれば、さすがに何を聞こうとしているのかは分かる。荒神くんは視線を彷徨さまよわせるから、図星とか面食らうとかはこういう表情をいうのだろう。


「……昴夜と侑生は知ってんの?」

「知らないんじゃないかな。荒神くんとか東中の人が話してたら知ってるかも」

「あー、そういうこと……。知らないんじゃね? ほら、俺はこんなんだから覚えてるけど、普通そんなん覚えてないし。学校で倒れたことがあるとかなら別の話だけどさ」


 確かに、中学の最初に担任の先生からちょっと口にされたことなんて、みんな覚えてなんかいないだろう。それこそ陽菜みたいにずっと仲がいい子を除けば、私の名前を聞いても連想しないほうが自然だ。そんなことよりも、荒神くんが「俺はこんなんだから」と自分で自分のことを女子情報屋みたいに話していることはなんだか可笑おかしかった。


「だろうね」

「てか、最初に話したときもそれ思ったんだよね。アイツらと一緒にいると心臓に悪くない?」

「あ、それはそうかも」

「だろ?」私が笑ってしまったからか、荒神くんも少し頬を緩めて「アイツらと一緒にいるとすぐドンパチ喧嘩始まるから。いつ巻き込まれるかヒヤヒヤ」

「この間とか、まさしくね」

「そそ。だから……なんか発作とかあるんだったらマズイんじゃないかなって。なんか条件あんの?」

「条件……」


 そんな考え方はしたことがなかったので、少し考え込んでしまった。


「特にないかな。いつもといえばいつもだし」

「いつも?」

「うん。そもそも私には全然、自覚症状ってヤツがないんだけどね」


 荒神くんは少しわざとらしいくらいに首を捻った。意味が分からん、一体どういう意味なんだ、首の角度からはそう聞こえてきそうだった。


「……つかもう聞いていい? なんの病気なの?」


 三国さんは病気なので、みなさん気を遣ってあげてくださいね――そう話した中学1年生のときの担任の先生を思い出す。転校生でもなんでもないのに、わざわざそんなことを口にするなんて、先生のほうがよっぽどおかしいじゃないか――その感想は、今でもあまり変わっていない。


「さあ。私にも分かんない――」


 その、時だった。私と荒神くんが並んで歩いてる横に、黒いスモークガラスのワゴン車が停まった。


 私は何の気なしに車を見ていたのだけれど、荒神くんは「……マズくね?」と小さく呟いた。


「え、なに?」


 一体何事――なんて尋ねる間もなく、大きな扉がスライドして男が2人降りてきた。


 そこまでくれば、さすがの私も状況を理解した。蛍さんから、そして陽菜から散々に指摘されたことは、どうやらフラグだった。フラグだけに白旗を揚げたいくらい、どうしようもない状況だった。


「三国さんだよねえ?」


 1人が、片手の携帯電話と私の顔を見比べる。きっとその携帯電話にあるのは私の顔写真だ。


「ちょっとさあ、来てくんない」


 いくら私でもこの「ちょっと来て」が相当危険なニュアンスを持っていることくらい分かる。ぶんぶん首を横に振りたい気持ちでいっぱいだった。あまりの身の危険に、相手男子のグレーのスエットは私の墓石のように思えてきた。


 途端、荒神くんが私の肩を抱いた。


「えーっと、もしかして桜井と雲雀になんか用すか?」


 まるで庇おうとするような、連れていかれるにしても私を1人では行かせまいとするような、そんな抱き方だった。


「なんか用なら、2人に直接お願いします。三国と俺、デート中なんで」

「お前、荒神だっけ? よくアイツらにくっついてるよな。ちょうどいいや、三国はこっち、お前は桜井ら連れてきて」


 そりゃそうだ、そりゃ無視だ。庇ってくれようとしたのは分かるけど、そんなことで見逃してもらえるわけがない。走って人通りのあるところまで逃げるほうがまだ望みがあったかもしれないけれど、車から2人降りてきたこの状態じゃもう無理だ。


 そうやって頭の動きは平常運転なのに、体の動きは畏縮戦慄しているといっても過言ではない。体は硬直しきっていて全く動こうとしない。荒神くんの口から出まかせが全く役に立たないとしても、何も言えない、何もできない私よりはずっとマシだった。


 ぎゅ、と荒神くんの手に力が籠る。


「……この子、体弱いんで、俺も一緒に行きます」

「え、そうなの? そういう話、あったっけ?」

「いや全然、知らん」

「でも荒神連れてったら誰に呼びに行かせんの」


 ああ、本当にあまりにも綺麗で分かりやすいフラグ回収だ。蛍さんのいうとおり、私は桜井くんと雲雀くんを呼びだすための非常に都合のいいエサらしい。

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