第2話
「
秘書の岡本さんの声に顔を上げた。私の手元にある紙を、岡本さんはそっと覗き込む。そこにあるのは、週刊誌の見開き1ページ。10年以上前の記事をそのまま保管しているので、掴むだけで千切れそうなほど紙は劣化していた。
「……あ、この事件!」
読者どころか、一見しただけの通りすがりの人の目すら引くようにつけられている強いタイトルは、編集者の読み通り、こうして読者を捕まえる。
「ご存知なんですか?」
「もちろん。だってこれ、結構話題になりましたよ」
岡本さんは激しく首を縦に振った。そういえば、一色市は岡本さんのお母さんのご実家があるんだと聞いたことがあった。そして、岡本さんは私と2つか3つしか年が変わらない。となれば、岡本さんが祖父母から、市内で孫と年の変わらない子が事件を起こしたなんて話すのは、ごく自然なことだった。
「この事件、祖母から電話で話を聞いたんで、よく覚えてるんですよ。確か、私の2つ下の男の子が、同い年の男の子をバッドで殴り殺したって。危ないから気をつけなさいって、祖母に注意されちゃいました、注意しろったって何をどうしろって話なんですけど」
あまりにも想定通りの反応で、やっぱりな、なんて感想を抱く。そんな岡本さんの口ぶりは他人事じみていて、身近にそんな事件があったことに興奮を覚えているような、少しミーハーじみた様子だった。
「そういえば、先生って一色市のご出身ですよね?」
「ええ、まあ」
「この犯人とか、知り合いだったりするんですか?」
岡本さんは私と2つか3つしか年が変わらない。そして岡本さんのお祖母さんは、岡本さんの2つ下の少年が人を殺したと話した……。
「……いえ、まあ、誰が犯人か、分かりませんから」
「あー、まあ、そうですよね。だってこれ、犯人、未成年だったんですもんね。実名報道されないから……。でも市内では誰なのかってちゃんと分かってたみたいですよ、祖母から聞きました」
でもさすがに名前までは覚えてないですね……、と岡本さんは顔をしかめた。
「ただ……市内でも有名な問題児っていうか、やっぱりちょっとおかしかったっていうか。万引きとかそういうレベルじゃなくて、傷害とか、その、強姦とか。そういうのも色々やってた子だったらしいんですよ。怖いですよね」
それに返事をせず、なんとか苦笑いだけを浮かべて記事を折り畳み、手帳に挟む。
「……じゃあ、すみません。今から
若い岡本さんに分かるよう、「接見」を「面会」に言い換えた。岡本さんは「あ、さっきかかってきてた電話の……」と思い出す仕草をする。刑事弁護の配点の電話を取ってくれたのは岡本さんだった。
「でも先生、珍しいですね。刑事事件なんて、うちでやってる人、あんまりいませんよ」
「まあ、そうですよね。でも今日のは当番ですから……」岡本さんが少しキョトンとしたので「刑事弁護の当番をしなきゃいけないって決まってる日があって。ここの警察署に逮捕されてるこの被疑者の弁護をしてあげてくださいって電話があったら、行かないといけないんですよ。今日はその日なんです」と簡単に説明した。
岡本さんは「ああ、そうなんですねえ……大変ですね……」と納得したような、そうでもないような微妙な返事をした。
「じゃあ、今から警察署なんですね。外、雨降ってますし、お気をつけて。いってらっしゃい、先生」
「ありがとうございます」
重たいコートを片手に、自分と年の変わらない秘書さんに見送られて事務所を出た。よくあるように、事務所の地下が地下鉄の駅と直結しているお陰で、事務所を出ても傘をさす必要はなかった。その代わり、地下鉄が地上に出れば、電車の音に負けないくらいの強い雨が窓を叩き始めた。普段ならデスクワークばかりで、事務所から出る必要なんてないのに、こんな日に限って当番だなんて、ついてない。
警察署で、被疑者――逮捕されている人と面会できる部屋は1つしかない。しかし、警察署に被疑者は大勢いるし、その被疑者一人一人に、面会を希望する人がいたり、いなかったりする。当然、面会室の手前のソファには順番待ちの人が何人も並ぶことはよくある。その人数は時と場合によるので、運が良ければ待たずに面会できるし、運が悪ければ何時間も待たされる羽目になる。
そしてどうやら、今日は運が悪い日らしい。濡れたコートと傘を片付けながら、静かに溜息を吐いた。面会室前のソファには、五人座っている。
その5人の様子を簡単に観察する。中年男性二人、若い男性一人、中年女性一人、若い女性一人……。中年女性と若い女性はコソコソと何かを喋っているので、きっと連れだろう。男性3人はそれぞれスマホを見たりパソコンを見たりしているので、きっと弁護士だ。
弁護人以外の面会は30分と限られている。女性二人はきっと一般面会だろうけれど、おそらく男性三人は弁護人だ。となると、今日の待ち時間は長そうだ……。午後1時を回ったばかりの時計をみながら、壁に
『この犯人とか、知り合いだったりするんですか?』
仕事をするスペースもないせいで、岡本さんの話を思い出してしまった。床におろしたカバンの中から、そっと手帳を取り出す。その手帳の中に挟んである、四つ折りの記事を取り出した。
年が変わる度に手帳を新調するけれど、その度に、この記事を古い手帳から新しい手帳へと入れ替える。そろそろ保存に良い、プラスチックのケースか何かに挟んだほうがいいんじゃないかと毎年思っているのに……なかなか、そんなことをする気が起きない。
本当は、年が変わるたびに捨てようと思っているから。
その記事を開くと、週刊誌の記事らしい、2頁に渡ったタイトルと写真とが目につく。『不良同士の抗争に犠牲者』という煽りの横には、死亡した新庄篤史の写真がある。ぬっ、という擬態語が似合いそうな顔立ちで、薄ら笑いを浮かべている顔写真だ。
更にその隣には、一色市にある
『「群青」のメンバーはK.Sくんが起こした事件について「普通、殺しまではしない」と口を揃えた。』
この部分を読むたびに、このマスゴミめ、とよく聞く
そんなことを思い出してしまったこともあり、まるでタイムトラベルでもするかのように、自分の思考が記憶の中へ吸い込まれ始めるのを感じた。
もう、10年以上前だ。この事件が起こったのは10年以上前。そして――私が
この事件の犯人とされている、
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