第13話

「つか、侑生の家が雲雀病院って話、内緒な」



 桜井くんは、おもむろにそんなことを言った。それにしては随分と軽々しく私にバラしたような気がするけど。



「アイツ、家が病院なの気にしてんだよ。ほら、俺みたいなバカと遊んでるし、あんな恰好してるから。だから、アイツの成績が良いのって、ほら、なんつーんだろう、反抗? 好き勝手してっけどお前らが欲しいとこはちゃんと締めてんぞ、みたいな」



 お前ら、というのは誰のことを指すのだろう。一瞬疑問が過ったけれど、きっと両親や一族だろうとすぐに合点がいった。曾祖父の代から病院をやっているというのなら、医者一族でもおかしくない。



「俺とかは知ってるけど、意外とアイツが雲雀病院の跡取り息子だーみたいな話って知らないヤツの方が多いからさ。このまんま内緒な」


「……私に言ってよかったの?」


「え、いいだろ。アイツ、三国のこと気にってるじゃん」



 それは私にはさっぱり分からなかったけれど、確かに、電話番号を教えろなんて、嫌悪を抱く相手であれば申し出はしないだろう。雲雀くんの行動に矛盾した要素はなかった。



「ほら、ケー番とかさ、アイツの連絡先に入ってんの、家と妹と俺と舜くらいだぜ? 多分、三国は5番目。会って1週間とかそんなのにそれだぜ、めっちゃ気に入ってるじゃん」


「……そうなのかな」


「そうそう。普通に飯にも誘うし、チャリで後ろ乗せるし。アイツ、シスコンだけどすげーイイヤツだから、安心しろよな」



 シスコンとイイヤツは両立するし、どちらかといえば入学式の日の事件をフォローしてほしかった……。でも、そっか、雲雀くんはイイヤツ、か……。



「ま、頭良いからごちゃごちゃうっせーけどな。すーぐ俺のことバカにするし。仕方ねーけどさ、俺、頭悪いから」


「……桜井くんは頭悪くないでしょ」


「三国ィ、三国みたいな新入生代表に言われると嫌味なんだよー」


「や、本当に……」



 私は頭が悪いけれど、桜井くんも雲雀くんも、頭は悪くない。喋っていれば、そんなことはすぐに分かる。やっぱり、頭が悪いのは私だけだと。


 でも桜井くんは笑いながら「あ、そーだ、アイツのコーラにウーロン茶混ぜようぜ」といたずらを始める。「おいしくないよ」「でも色同じじゃん」「そういう話じゃないと思うんだけど……」と止めたのに、桜井くんは悠々とコーラとウーロン茶の混ぜ物を持って行き、でもそんな魂胆こんたんは雲雀くんにはお見通しで、雲雀くんは桜井くんのメロンソーダを奪い取った。桜井くんは「うぇ」なんて言いながらコーラ・ウーロン茶を飲む。



「なー、ケータイって買うのにどんくらい金かかるの」


「どうせ分割だろ。コンスタントにバイト入るなら大丈夫じゃね」


「朝だから土日にまとめて入ろうと思ってんだけど」


「大丈夫だろ、朝なら金いいんじゃねーの」


「やー、それが高校生は朝5時以降じゃないとだめって言われて、そんなに」



 桜井くんと雲雀くんの話は、あまりにも普通だった。陽菜やその友達がするような話と同じ。携帯電話を買うのにどのくらいお金が要るかとか、最近CDを買ったからそもそも金欠だとか。陽菜たちが化粧品の話をする代わりに、2人はバイクの話をする。その程度の違いしかなかった。



「三国って、なんで灰桜高校はいこうなんだ」



 そんな話の途中で、雲雀くんがそんなことを言った。もうフライドポテトのお皿は空で、夕飯のメニューでも選ぼうか、そんな時間だった。



「……なんでって」


「お前、いくらでも上行けたんじゃねーの」


「……行けたかもしれないけど」


「けど?」


「……灰桜高校だったら、うちから雲雀病院に行く通り道にあるんだよね。おばあちゃんが通ってるから、なにかあったらすぐ行けて便利かなって」



 雲雀くんの視線が一瞬逸らされ、すぐに戻ってきた。その眉もわずかに動くから、きっと聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったのだろう。



「……おばあちゃん、もう80歳だから。別に、体は全然悪くないし、むしろそこらの70歳より元気なんだけどね、何かあったら困るから」



 だから付け加えたのだけれど、雲雀くんは口を噤んでいた。代わりに桜井くんが小首を傾げる。



「……ばあちゃんと2人暮らしなの?」


「うん」


「そっか。じゃ、俺とあんま変わんないな」



 今度は私が首を傾げる番だ。桜井くんは一方の口角を吊り上げた。でも眉は八の字だった。



「俺、じーちゃんの家に1人暮らしなんだ。もともとじーちゃんと一緒に住んでたんだけどさ、去年死んじゃったから。だから病院と家の間に通おうっての、なんか分かる」


「……そう、なんだ」



 そうか――。また1つ、2人の情報が増えた。同時にその情報を総合する。


 好き勝手してっけどお前らが欲しいとこはちゃんと締めてんぞ――雲雀くんの(桜井くんに言わせれば)反抗の対象にご両親が入っているのだとしたら。桜井くんは家に一人で、雲雀くんも家に独りだとしたら。2人の仲の良さが、互いに互いの欠落を埋め合わせているのかもしれない。


「やーっほーう」



 そんな話をしている最中に、桜井くんの肩がドン、と揺らされた。桜井くんが振り向くより先に、雲雀くんが顔を上げる。なんとなく、そのときの微妙な表情の変化は、狼の耳がパタパタと動いたかのようだった。



「なんだ、舜か」


「飯食うの? 俺も俺もー」



 そんな雲雀くんを奥へ押しやりながら、彼はテーブルについた。


 おそらく荒神くんだ。記憶の中の荒神くんと全く同じく、茶色い髪にはオレンジ色のメッシュが入っているし、笑むとその八重歯が覗く。まるで小動物の牙のようで、雲雀くんが狼だというのなら荒神くんは猫だった。


 その荒神くんは、テーブルについて初めて私を認識したらしい。一瞬目をぱちくりさせた後に「……あれっ、三国じゃね?」と声を出した。まん丸な目と無遠慮に指さす手を見れば、意外なメンバーに対する驚きが充分に読み取れる。



「三国……三国英凜だよな? 中2の時に同じクラスだった……」


「……どうも」


「なんでこいつらと一緒に飯食ってんの? てか代表挨拶してんのに普通科だよな? なんで? お前、ナントカ大学附属高校に行くって噂あったけどあれは? てか髪型変えた? 中学の時って短くなかったっけ? あ、でも長いほうが似合うと思う、グッジョブ」


「……お前うるせーな」



 私の心を雲雀くんが代弁してくれた。まるで立て板に水のごとく疑問を投げかけ続けていた荒神くんは「だってツッコミどころ満載だもん」と。それはまあ、そうかもしれない。



「えーと、んで、え? なに? ……とりあえず俺もドリンクバー頼む」


「騒がしいヤツだな」


「三国、いいか、舜はこういうヤツなんだ」



 桜井くんに言われるまでもなく、荒神くんの分類はわりとできているので問題はない。「なんだよー」と頬を膨らませる様子からも分かるとおり、喜怒哀楽をはっきりと顔に出す。ただ問題は、荒神くんの顔に“怒”は出たことがないということだ。そこは意識して誤魔化されているのかもしれない。



「え、つかマジでなんで? まさか拉致……!」


「人聞きの悪いやつだな」


「えー、んじゃなに、昴夜の彼女?」


「え、そう見える?」



 桜井くんが悪ふざけで肩に手を回す。学ラン越しに、私と大差ない細い腕が肩に乗っかったせいでちょっとだけ緊張したけれど「昴夜が世話になってるから飯に誘った」「あ、そう。お前、昴夜の保護者なの?」完全に無視され、桜井くんはすぐに腕を外した。


「三国かー、いや三国かぁ……。……三国、俺のこと分かる?」


「分かるけど」


「話したことないよな?」


「1回だけ、文化祭準備のときにメモ渡してよろしくって話した」


「……マジか」



 全く覚えていないらしく、荒神くんは眉間にしっかりとしわを寄せ、なんなら顎にもしっかり手を当てる。桜井くんは「舜が女子と喋って覚えてないなんて珍しいな」とコーラを啜る。今はもうコーラ・ウーロン茶ではなくただのコーラだ。



「いや……三国のことは、さあ……名前は覚えてるんだよ。顔も。2年のとき同じクラスだったし、そのクラスの女子ランキングで2位だったし……」



 中2のクラスで何かのランキングが行われた記憶はないから、おそらく男子が勝手にやっていたのだろう。桜井くんは「へー、三国人気じゃん」と明るい声だけれど、雲雀くんは表情を変えずに「お前の周りは類友たな」と言うので多分呆れている。



「でも喋ったかなあ……」


「ただの事務連絡だったし、覚えてないことも全然有り得ると思うよ」



 むしろ普通は覚えてないはずだし……と言いかけて飲み込んだ。



「まー、三国、すげー記憶力いいんだもんな」


「あーね。それは有名だった」荒神くんは笑いながら「だって先公が三国に聞くんだもんな、前回なんつったっけ、って」



 ドキリと、心臓が揺れる。ついさっき飲み込んだばかりの言葉が姿を変えて跳ね返ってきたように思えた。


 桜井くんと雲雀くんは、それをおかしいと感じただろうか? つい視線を彷徨わせる。



「ま、代表挨拶して入るんだもんな。そんくらい覚えてるよなあ」



 でも、桜井くんはそんなことを言うだけで、特段気にした素振りはなかった。慌てて雲雀くんを見たけれど、雲雀くんなんて「つか飯食わね」なんてメニューを捲っている有様だ。


 ほ……と胸を撫で下ろす。同時に、今日だけでも何度崖っぷちに立たされたか分からないことに気づいてしまい、ほんの少し動悸がし始めた。

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