第6話

「……そんな感じ」


「そっかー。ま、逆にいんじゃない、普通科と特別科ってテストも違うらしいし。英凜なら余裕でぶっちぎりの1番じゃん」


「……どうだろ」


「そうじゃない? だって代表挨拶してんだから」



 つい、雲雀くんを見た。銀髪、ピアスに赤いヘアピンのアクセント。人を見た目で判断してはいけないとは言うけれど、あの見た目で頭が良いなんて信じられない。ただ、頭が良いというのは桜井くんが言ってるだけだし、成績表を見せられたわけでもないし、桜井くんによる相対的・主観的な評価の問題かもしれない。とりあえずはそう納得した。


 教室に着いて座席表を見ると、「池田」の陽菜と「三国」の私の席は教室の端と真ん中に離れていた。陽菜は「マージか。弁当食べるときメンドイね」と呟いた。ただ、座席表にはそんなことより重大な問題があった。


 クラスの座席表には、「三国」と「雲雀」が隣同士で並んでいたからだ。


 ハ行の雲雀とマ行の三国……。自分の苗字を恨んだことなんてなかったし、今も恨みまではしないけれど、少なくとも困惑はした。



「……マジか、英凜。がんばれ」


「……うん」



 いや、雲雀くんは悪い人ではないと思う。入学式中の態度からして、少なくとも下手なことをしなければ危害を加えられることはないだろう。桜井くんもきっとそうだ。あんなに子犬みたいに人懐こい顔をした桜井くんが突然ブチ切れるなんて想像もつかない。


 座席を見れば、雲雀くんはすでに席に着いていた。桜井くんはその雲雀くんの机に座っている。お陰で二人の周りは静まり返っていた。


 その一角である雲雀くんの隣の席につけば、二人の目は揃って私を見た。本当に、二人に見られると、まるで野生の肉食獣に狙われているかのような気分になる。



「あれ、三国じゃん」


「そういえば隣に名前書いてあったな」



 そして、さも知り合いかのように話しかける、と……。いや、知り合いといえば知り合いではあるのだけれど、つい十数分前にちょっと話しただけの関係だ。それなのに、二人がそんな態度で話しかけると、クラスメイトには勘違いをされてしまう。実際、視界に入るだけでも片手を超える人数の目がこちらを向いた。当然、その中には陽菜も入っていた。


 でも二人は意にも介さず、桜井くんは「つか、マジで三国がこの教室にいるのって違和感あるなあ」なんて呑気にぼやく。雲雀くんも、頬杖をついて、式が始まる前にしていたように、じろじろと私を見ている。



「……三国、なんで普通科なんだ?」



 そういえば、桜井くんと雲雀くんは、なんで私が普通科なのか聞かなかったな――なんて考えていたことの伏線を回収するかのような質問だった。


「……特別か普通か、ってかれたら、まあ、普通だから」


「は?」



 とはいえ、返事を用意していたわけではなかったので、つい、素直な返事をしてしまった。そしてそれに対する短い返事と、それとは裏腹に大きな音量のお陰で、雲雀くんが呆気にとられたのが分かった。隣の桜井くんもその目を開いているから、予想外の返事だったのだろうことが伝わってくる。


 そして二人は――ちょっと顔を見合わせた後「ははは!」と明るい声と大きな口で笑った。



「それもそっか!」


「自分が特別か普通かって訊かれたら、そりゃ普通だな!」



 二人の爆笑する声に、目を白黒させてしまった。クラスメイトたちもこちらに視線を向けていて、何事かと言わんばかりだった。



「お前、真顔ですげー面白いこと言うな」


「先公たち、願書見て絶対つっこんだよなー。なんでこの成績で普通科なんだって」


「特別か普通か聞かれたので普通に丸つけました、って言われたら何も言えねーな」


「舜、三国のこと知ってんのかな」


「知ってたら絶対口説いてるだろ、アイツ。なあ、三国、お前、荒神あらがみ舜に口説かれたことあるか?」



 雲雀くんは、笑い過ぎて涙まで浮かべていた。ちなみにその名前には覚えがあって、2年生のときに同じクラスだった。



「……いや、ないけど」


「なんだ、ないのか」


「舜に口説かせたいなー。そんですげー斜めの方向にフラれてほしい」



 ゲラゲラと二人は笑い続けているけれど、なんとなく、馬鹿にされているわけではないことは分かった。お陰でどこかホッとした。“死ニ神”なんて呼ばれていて、二人が通った後はぺんぺん草も生えない焼野原と化すなんて噂はやっぱりただの噂だ。そんなに怖い人達じゃない――。


 その時だ。ズン、ズン、と廊下から地響きのような足音が聞こえ始めたのは。


 笑いながら喋り続けているのは、桜井くんと雲雀くんだけだ。教室内を観察すると、まるで恐ろしいものの登場を察知しているかのように、みんなは口をつぐんでいた。


 ぬっと廊下に現れたのは、長身で大柄、坊主頭にりこみを入れた男子だった。学ランのえりについたバッジを見れば、3年生だった。その学ランはやっぱりたけが短くて、その人のお腹より上のあたりで切り落とされている。屈強くっきょうな体には窮屈きゅうくつそうだった。


 そして更にその後ろに、それなりに体の大きい3年生が二人いた。両方とも金髪で、でも片方はプリンのように脳天だけ黒かった。


 その三人のうち、坊主頭の3年生が教室内を覗き込んだ。ぎょろりなんて形容が似合う大きな目で、分厚い唇や坊主頭も相俟あいまってまさしくゴリラのような顔だった。


 クラスメイト達は、まるで怪物に見られているかのような反応をしていた。みんなお行儀よく机につき、何もない机の上を凝視ぎょうししている。目を合わせたらあの怪物に殺される、そう思っているかのように。


 何も反応しないのは、二人だけだ。それどころか桜井くんと雲雀くんは「そういや俺アイツに500円貸したままなんだけど」「それ去年から言ってね?」「言ってる、そろそろ時効かも」なんてくだらない話を続けている。


 あの怪物は、多分桜井くんと雲雀くんに用があるんだと思うんだけどな……? そう思っていたのは私だけではないはずだ。


 廊下の外から、怪物は舌打ちした。舌打ちにしては大きすぎて、ボディパーカッションかと思うくらいだった。



「おい、桜井、雲雀」



 やっぱりこの二人だった……。呼ばれたのは私ではないのに、そのうなるような声にちぢみ上がってしまった。


 それなのに、当の二人は知らん顔だ。雲雀くんは椅子に座ったまま、桜井くんは雲雀くんの机に座ったまま、横柄おうへいな態度で振り返る。



「……なんですかァ?」



 桜井くんのその返事は、まだ声変わり前の甲高い声だったせいで、セリフ以上に煽り強く聞こえた。当然、怪物のこめかみには青筋が浮かび――ズンズンと二人の舎弟を従えたまま教室の中に入ってきた。



「なんですかァ、じゃねーんだよ」



 二人がいるのは、教室のど真ん中。怪物1人に、その手下二人も、教室のど真ん中で桜井くんと雲雀くんを囲んだ。


 桜井くんと雲雀くんの目つきが、少し変わる。桜井くんの顔からは、あどけない子供っぽさが消え、まるでエサを奪い合う野良犬のような顔つきになった。雲雀くんは、まるで狩場に来た狼のようだった。


「……3年が雁首がんくび揃えて何の用だ?」



 さながら、その問いかけは威嚇いかく



「何の用だもクソもねーだろ」手下その1も威嚇し返すように首を鳴らし「オメー、灰桜高校はいこうに入ったのに群青ブルー・フロックに挨拶もなしか?」


「俺、代わりに挨拶したぜ」と桜井くんは事もなげに頷いて「入学式前にお前ら裏門に溜まってただろ?」


「ああそうだな、テメーが随分な挨拶してくれたんだよな」



 その所業と態度が怪物の怒りを買ったらしく、怪物は強さを見せつけるように腕を組んだ。



「聞いたぜぇ、急に来て、友達と待ち合わせしてるから退けだァ? 礼儀がなってねー、分かるよな?」


「それ嘘だぜ。俺が侑生ゆうきを待ってたら、2年だか3年だか知らねーけど、何人かが西中の桜井だ!つって襲ってきたんだよ」


「言い訳は聞いてねーんだよ」



 怪物がドン、と足を踏み鳴らした。やって来たときと同じく、地響きがした。



「テメェが手出したのは群青ブルー・フロックの2年だ。どうなるか分かってんだろうな」



 バキボキと怪物が指を鳴らす。ありがちな威圧なのに、その体格と顔つきと態度のせいで、鬼婆おにばばも裸足で逃げ出す威圧感があった。そんな怪物の体の半分しかなさそうな桜井くんは、鬼婆にさえ食われてしまいそうな少年にしか見えなかった。つまり力関係は歴然としていた。



「どうなるか、ねえ」それなのに桜井くんはニヤニヤ笑って「群青ブルー・フロックからのラブコールがもっと増えるのかな?」



 群青ブルー・フロックは2人を欲しがっている――ついさっき陽菜から聞いた話は本当らしい。



「調子乗ってンじゃねぇぞ」手下その1がすごみながら「永人えいとさんがお前らを誘ってんのは、群青おれたち灰桜高校ハイコーで好き勝手されちゃ迷惑だからだ」


「ま、“死ニ神”なんて所詮しょせん中坊ちゅうぼうのガキにつけられたダッセェ名前だ。お前らに本当に実力があんのか、俺らは知らねぇけどなぁ」



 怪物のセリフは、だから確かめに来たんだとでも聞こえてきそうだった。それでも、桜井くんと雲雀くんは顔色ひとつ変えない。代わりに動きもしなかった。


 それをおびえていると勘違いしたのか「雲雀、お前、近くで見ると細っこいなあ」手下その2はドン、と馬鹿にしたように雲雀くんの肩を叩いて下卑げびた笑みを浮かべながら「女みたいな顔してるしよぉ、脱がせて確かめてやろうか?」



 次の瞬間、手下その2の顔面には雲雀くんの手の甲が叩きつけられた。



「ンガッ……」



 バンだかパンだか、言語化はできないけどとにかく鋭くも鈍い音だった。手下のうめき声も上手く言語化できなかった。まさしく言葉にならない呻き声だった。


 いつの間にか、桜井くんも雲雀くんも立ち上がっていた。手下その1が身構えれば、雲雀くんはクールダウンでもするかのように、手下その2を殴った手を広げたり握ったりしてみせた。



「先輩よぉ、挨拶ってのは、用事があるほうがしにくるもんなんだぜ?」



 そして、構えも虚しく、手下その1の頭は雲雀くんの足に蹴っ飛ばされた。


 ズダンだかガタンだか、大きな音を立ててその1人は転がった。転がる際に体当たりされた不幸な机とその主は「ヒッ」と短い悲鳴を上げながら教室の隅まで避難した。彼を皮切りに、雲雀くんの席周辺の人はみんな一斉に教室の端に避難した。


 私は、恐怖で足がすくんで動けなかった。


 手下その1は瀕死ひんし、その2は鼻血を出してへたり込んでいる。無傷なのは怪物だけだ。その怪物は余裕そうに、そして挑発するように下手な口笛を吹く。



「へえ、まあ、顔のわりにデキんじゃねーの。いいぜ、俺に勝てば――」



 その怪物は、舌の根も乾かぬうちに桜井くんの蹴りをあごに食らった。


 ズン、と怪物は床に沈んだ。意識はあるみたいだったけれど、体は動いてないし、口からは血も出てるし、まるで死体のようだった。それを見ていた手下その2は「ヤベェ、ヤベェよ、マジのやつだ!」と血まみれの鼻を押さえながら脱兎だっとのごとく逃げ出した。


 桜井くんと雲雀くんはといえば、一瞬で沈んだ3年生を眼下がんかに見下ろして「やっぱ、よく喋るヤツって弱いよなあ。少年漫画でもお約束だもんなあ」なんて呟いた。



「つか、結局コイツら何しに来たの?」


「お前が裏門で相手した連中が群青ブルー・フロックのメンバーだったんだろ。何人やったか知らねーけど、メンツが潰れたってことなんじゃねーの」



 雲雀くんは3年生を足蹴にして退かせ、自分の机と椅子を正した。桜井くんは自分の席へ向かい、大人しく座り込んだ。



「あ、先生、もう終わったから。ホームルーム、始めていいぜ」



 そしていつの間にか教室の入口にやって来て呆然と立ち尽くしていた担任の先生に、まるで一仕事終えた後であるかのように平然と声を掛けた。教室には依然として3年生が2人のびているにも関わらず、だ。


 桜井くんと雲雀くんが通った後は死屍しし累々るいるいどころかぺんぺん草も生えないほどの焼け野原になる、そんなことからついたあだ名が“死二神しにがみ”――その噂が誇張こちょうでもなんでもないことを目の当たりにし、私は幸先さいさきの悪さに震えた。


 この教室はいつか焦土しょうどと化すのではないか、と。

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