(2)告知

第83話


「おい桜井!」


 昼休み、大声で2人の名前を呼びながら扉を開けたのは蛍さんだった。


 灰桜高校はいこうで蛍さんを知らない人はいない。教室に残ってお昼を食べていた人の目は一斉に蛍さんに向いたし、当然のことながら教室内は水を打ったように静まり返った。ちなみに桜井くんは不在だった。


 5組の金髪は桜井くんだけなので、蛍さんは一見して桜井くん(と、なんなら雲雀くん)がいないと気付いたらしい。その綺麗な眉を吊り上げて「おい、桜井いねーじゃねーか」とぼやくと、背後からひょいと能勢さんも顔を出した。


「あれま、本当だ。ね、桜井くんは?」

「えっ? お、俺?」桜井くんと全く話したこともない男子が、扉近くというだけで話しかけられ「いや知らないです……すみません……」とボソボソ答える。


「おい、三国いんじゃねーか」


 そして当然、蛍さんは私に気が付く、と……。3年生の先輩なので、立ち上がって「……お久しぶりです」と軽く会釈えしゃくした。蛍さんは能勢さんを連れて教室に入ってきて「お前みたいな礼儀正しさが桜井と雲雀にもあればな……」とどこか呆れた顔をした。


「や、三国ちゃん、久しぶり」

「……お久しぶりです」


 そして能勢さんは今日もイケメンだ。陽菜は能勢さんに見惚れて硬直している。もうすぐそのお箸から卵焼きが落ちそう――いや落ちた。でも陽菜は能勢さんから視線を外さない。そっと周囲を見回したけれど、大体の女子は軒並み能勢さんに目を奪われていた。


「おい三国、桜井はどこだよ」


 ただ、能勢さんみたいな色気がないとはいえ、蛍さんも負けず劣らずの綺麗な顔立ちだ。少し離れた席で「え……あの2人やばくない……?」「ブルー・フロックのトップ2でしょ……」と噂するのが聞こえた。


「……桜井くんと雲雀くんなら、いつもコンビニでパン買って、そのまま外で食べてますよ」

「チッ。あのなあ、桜井にケータイ買えって言っとけ! なるはやで!」


 ああ、連絡がつかないのね……。この間も雲雀くんに待ちぼうけを食らわせる羽目になったことだし、確かに買ったほうがいいんじゃない、とは私自身も思っていた。


「でも雲雀くんと一緒にいるじゃないですか。雲雀くんに電話かければいるんじゃないですか?」

「面倒くせーだろ、なんでいちいち雲雀に連絡しないといけないんだよ」

「まあそれはそうですね」

「で、三国、今日集会すっから放課後あけときな」


 ……集会? 意味がよく分からずに首を傾げた。全校集会なら月1でやってるけど、蛍さんのいう集会とはなんだ。


 まさかブルー・フロックの集会? 眉をひそめただけで、能勢さんには私の思考が読めたのだろう、「永人さん、それじゃ三国ちゃんは分かんないですよ」とちょっと笑った。


「あのね、大体月に1回、集会やってるんだ。っていっても、やり始めたのは永人さんだけどね」

「……いや、そうだとして、何するんですか? 風紀検査するわけでもないのに……」

「んなことしたら、お前と芳喜以外は全員アウトだな。月1で報告会やってるってだけだ、1ヶ月も経てばどこが喧嘩売ってきただの、新しいチームができただの、なんか報告することはあるからな」


 確かに、学校の全校集会だってそんなに毎月話すことなんてないはずなのに毎月あるし、そしていざ開催していみると、自分とは関係がないとはいえ、部活動だの学校行事だの、なんらか報告することはあるものだ。ブルー・フロックの集会というのもそんなものかもしれない。


「……その集会ってどこでやってるんですか?」

青海おうみ神社」

「……神社?」

「神社ってほら、神聖な感じすんじゃん。神に守ってもらえそうな」


 ……だから、なんなんだ? むしろそんなところに不良がたむろしているなんて罰当たりな気がした。喧嘩に勝てますようにとお祈りしたって、まともな神様なら喧嘩両成敗だと一蹴いっしゅうしてしまうような……。


 蛍さんはそのまま空いている椅子に腰かけ「つか三国、お前、頭良いんだよな?」とおもむろに妙なことを言う。なんなら、それだけ切り取れば“妙なこと”でしかないのだけれど、蛍さんに不信感にも似たものを抱いてしまっている今、そう聞くことが何の意味を持つのか考えてしまう。


「……急になんですか」

「いや、確認しとこうと思って。中間どうだった」

「1番でしたけど普通科と特別科が別れてるのでそれ自体に意味はないかと」

「よし、問題ねーな」


 何が……? 話が通じたのか通じなかったのか、中間試験の順位が蛍さんにどんな意味を持つのかも分からない。


「……それがどうかしたんですか――」

「ねー、昴夜ぁ」


 尋ねようとしたところに、また教室の扉が開いた。なんだか桜井くんがよく呼ばれる日だ。


 桜井くんを名前で呼ぶ女の子なんて牧落さんしかいない。入ってきた牧落さんは、この教室に入るのが許されないはずがないと言わんばかりの存在感を放ちながら入ってくる。その存在感自体は蛍さんと同じなのだけれど、蛍さんが「なんか文句あっか」とでも聞こえてきそうな態度で入ってくるのとはまた違って、牧落さんが歩いていると「むしろ歓迎されてるよね!」と聞こえてきそうだった。


 その牧落さんは「あれっ、いない。ねー、三国さん」と私に近寄ってきて、蛍さん達の存在に気が付き目を丸くした。


「……なんで2年と3年? 知り合い?」

「まあ……」

「なんだ、桜井のヤツ、彼女いんの? 生意気だなアイツ」


 蛍さんが眉を吊り上げれば、牧落さんは「違いますー、ただの幼馴染ですう」と蛍さんに向かってまでいつもの親しげな口調で返事をした。蛍さんが泣く子も黙る不良集団のトップだなんて知らないのか、なんなら能勢さんのことも無視して、そのまま私に向き直る。


「ね、三国さん、昴夜どこ行ったか知らない?」

「……雲雀くんとコンビニに行ってそのまま外で食べると思うけど」


 なにか用事だったの? と聞く前に、牧落さんは腰に手を当てながら「昨日晩ご飯持って行ってあげたのにいなかったから。早くケータイ買ってよって話しに来たの」と。今日は桜井くんがよく呼ばれる日、そしてなにより携帯電話を買えと急かされる日だ。


 というか、晩ご飯を持っていく仲なんだ、この2人。幼馴染だから家も近いのだろうか。


「すげーな、アイツ、彼女でもないのに幼馴染に晩飯作らせんのか」


 蛍さんの感想はおおむね私が抱いたものと同じだった。牧落さんは小首を傾げる。


「……すみません、ところでどちら様ですか? 三国さんの先輩?」

ブルー・フロックの蛍だよ」

「あ! 知ってます、蛍永人さん!」牧落さんは丸く開いた口を手で押さえて「え、ていうか昴夜もブルー・フロックのメンバーになったんですよね? えーっといつもお世話になってます? とか言うべきですか?」

「完全に彼女ポジじゃん。いーな、アイツ」


 そう言うわりに、蛍さんは牧落さんにあまり興味がなさそうだった。いかんせん、他の男子と違って牧落さんに視線を向けず「三国、さっき話しかけたことだけどさあ」なんて私に向かって話を続けるのだ。


「お前、バイトとかしてるか? 基本暇か?」

「……まあ、暇、ですけど」


 今度は一体何の情報だ……と警戒していると、蛍さんは「実はなあ……」と俄然がぜん真剣な顔になった。


群青うちのバカどもに勉強教えてやってくんねーかと思ってな」

「……はい?」


 予想の斜め上をいく返事に素っ頓狂な声が出た。でも蛍さんの顔つきはさっきまでと変わらない。


「勉強……を……?」

「まあいつものことなんだけどな、今のメンツもどうにもバカばっかなんだよ。中間の結果がひでえのなんの」

「赤点だらけでね。このままだと2年も3年も留年する危機なんだよ」


 能勢さんがにこやかに付け加える。でも能勢さんは頭がいいと荒神くんが話していたような……と考えていると「あ、俺はね、もちろん全く問題ないけどね」とのことだった。


留年するダブリなんてだせーだろ。だから勉強しろつってんだけど、しろっていってできるならこんな酷いことなってねーんだよな」

「……でも、その、じゃあ能勢さんが教えればいいんじゃないでしょうか……。あと雲雀くんも勉強できますし……」

「あのバカども、20代の女教師かせめて女子にしか教わりたくねえとか抜かしやがる」


 ああ、なんて欲望に忠実なのだろう……。思わず苦笑いしてしまった。なるほど、それで私に白羽の矢が立ったと。


「だからお前が教えてやってくんねーかと思ってな。ブルー・フロックの紅一点だし」


 能勢さんばかり見ていた陽菜の目が、後半を聞いた瞬間に私に向いた。そういえばブルー・フロックのメンバーになっただのなんだのの話はしていない。


「もしかして私が誘われたのって、ブルー・フロックの人達に勉強を教えるためですか?」


 それはほんの、ほんの冗談だったのだけれど、蛍さんと能勢さんは顔を見合わせた。


「まあ、半分そうだな」

「いや俺は知らないですよ」

「半分……」


 もう半分は一体なんなのだろう。群青のメンバーに勉強を教えるなんてふざけた理由だし、それと釣り合う理由と考えると大した理由ではないように思えるけど、本当にそうだろうか。


 考えられる理由としては、やっぱり桜井くんと雲雀くんを引き入れるためだけど、それならこの間の拉致で事足りた話だし……。釈然とはしないけれど、ただその疑問をここで口には出せなかった。


「いまの2年にも留年して2回目の2年やってるやついるんだけど、まー、腫れ物扱いだよね。特に群青の3年なんて、先輩中の先輩だから。2年にとっては居心地悪いのなんの」

「お前特別科なんだから群青のダブりはいねーだろ」

「だから俺は関係ないですよ。他の2年がやりづらいって話してて」


 確かに一般論として教室内に留年した人がいると気まずいか……。まさしく能勢さんのいう腫れ物扱いをしてしまう人がいるのは理解できる。しかもそれが群青、体育会系以上に上下関係がはっきりしていそうな団体となると猶更かもしれない。


「……別に、いいといえばいいですけど……私、教えるの大して上手くないと思いますよ……」

「えー、三国は教えるの上手かったよ」


 桜井くんの声に振り返ると、カフェオレを飲みながら戻ってきたところだった。そのまま「こんにちはー」「……こんにちは」と背後の雲雀くんと揃って蛍さんと能勢さんに挨拶する。

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