第9話

「……これ、お前らどっちかの女か?」


「違う」素早く否定したのは雲雀くんで「ただ隣の席ってだけだ。見てのとおりな」


「あと新入生トップ」



 桜井くんの補足は蛇足に違いなかった。でもピンクブラウンの人は興味ありげに眉を吊り上げた。



「普通科なのに?」


「……そういうこともあります」



 2人が何も言わないので私が返事をする羽目になった。その人は「そういうこともある、か。まあそうかもな」とどこか面白そうに笑った。



「分かったら、勉強の邪魔しないでくんない? 来週、実力テストあるから」



 桜井くんは至極真面目な顔で教科書を叩いた。勉強をしようとしていたのは最初の1分もなかったのに何を言っているのか。



「勉強なんかしなくたって、西中のインテリヤンキーくんに勉強はいらねーだろ?」


「いるのは俺だよ!」



 雲雀くんが不良のくせに成績優秀なのは公知の事実、そして桜井くんは自分の勉強のできなさを包み隠さず……。素直な反応だったからか、ピンクブラウンの人はケラケラと軽快に笑った。



「そっかそっか、死二神の片方はバカだったか」


「うっさいな!」


「つか、ほたるさん、アンタ何の用があってきたんだ?」



 変わった苗字……いや名前? とにもかくにも知り合いではあるらしい、そのピンクブラウンの「蛍さん」は「そうカッカすんなよ、手負いの獣かお前は」と呆れながら、手近な机に腰を預けた。



「入学式、庄内しょうない達がちょっかい出しに来たって聞いてな。ブルー・フロックのトップとして、そこは一言謝りにきた。悪かったな」



 ……群青のトップ? もしかして2人の友達かもしれないと能天気なことを考えていたせいで、聞いた瞬間に鳥肌が立った。


 群青のトップってことは、昨日やってきていた怪物とその手下のボスだ。あの怪物のボスが、このアイドルみたいな顔をしたピンクブラウン? そのギャップに混乱すると同時に、小柄な見た目とは裏腹に凄まじい強さをその内に秘めているに違いないと思うと、身が竦む思いだった。


 ついでに、先週の怪物のセリフに出てきた「永人えいとさん」という名前を思い出した。もしかしたらこの人の名前は「ほたる永人えいと」なのかもしれない。



「……蛍さん、アンタのそういうところは嫌いじゃないんだけど」



 それなのに、雲雀くんの態度は同級生と話すときのそれだ。私に接する態度と、礼儀という意味では大差ない。


「どうせ、詫びは方便ほうべんで、ついでに誘いにきたんだろ?」


「もちろん。ああそうだ、灰桜高校に入学おめでとう」



 蛍さんはまるで心から祝福するかのように拍手をした。私は2人の横でただただ面食らう。



「どーも。でも蛍さん、言ったじゃん。俺らはそういうんじゃないって」



 桜井くんの態度も上級生と話すときのそれではなく、相変わらずゆらゆらと椅子の上で体を揺らしている。



「俺らは2人で楽しくやってんの。んでもって、チームとか組織とか、そういう上下関係があるもんは苦手なの」



 このとおり敬語も苦手だし、と桜井くんはぼやいた。桜井くんの敬語の苦手さが、他人への尊敬の念の欠如からきているのか、敬語の知識の不足からきているのか、この数学のレベルを見ていると本気でどちらなのか分からなかった。



「そういやお前ら、中1のときに揃って3年ぶっ飛ばしてたな」


「そういえばそんなこともあったな」


「あの辺りから死二神とか言われ始めたんだよなあ」


「高校で同じことが通用すると思わないほうがいいぞ」



 思い出話に花を咲かせようとしていたところを遮られ、2人は静かに蛍さんを見つめ返した。蛍さんは、にんまりと笑う。それが挑発なのか脅迫なのか、はたまたなにかたくらみを抱えているがゆえの怪しさなのかは分からない。



「……脅しか?」


「いや、ただの世間話みたいなもんだ」


「つかさあ、なんでそんなに俺らのこと誘うの。別に、俺達がいなくたって、群青ってめっちゃ強いんでしょ?」


「そこは、多分噂に聞いてるとおりだ。お前らは、お前らが思ってるよりずっと、チームの勢力を左右する」


「買いかぶりだ」


庄内しょうないを一発でやっただろ?」


「あんなのゴリラのハリボテみたいなもんじゃん。蹴ったら倒れた、そんだけだよ」



 吹けば飛んだ、それくらい簡単そうに聞こえるけれど、体格差を知っているとそうは思えない。


 蛍さんは「んー」と悩むように髪をかきまぜた。女子のように長い前髪が顔の半分を覆い隠す。



「デカさでいえば、庄内はまあまあなんだけどな」


「だからハリボテだって、ハリボテ」


「いくら口説いたって無駄だ、蛍さん。俺達は群青に入る気はねーよ」


「……思ったより頑固だな。もう1年近く口説いてんのに」


「あー、そういや、俺らも蛍さんの就任祝い言ってなかったや。おめでとうございました」



 ガタンと桜井くんは地に椅子の足をつけ、軽く頭を下げた。雲雀くんも会釈程度に頭を下げる。蛍さんは「どーも」と白い歯を見せて笑った。


「……ま、そうだな。また誘いにくる」


「返事は変わんねーよ」


「さあ、どうだか。状況が変わればあるいは、な?」



 意味深なセリフに2人が眉を顰めれば「さっき言ったとおりさ」と蛍さんは嘯いた。



「中坊のときほど、周りは甘くない。たった2人じゃどうしようもないことだってある。特に団体様に狙われたときは、2人どころか1人にさえなる。そういうとき、チームにいると素直に助かる」



 くるりと蛍さんは踵を返した。その背中には「8」の刺繍が施されていて、やっぱりこの人の名前はあの怪物が口にしていた「永人さん」なのだと確信した。



「選ぶなら、群青にしてくれると嬉しいよ、おふたりさん」



 あまりにも穏便な勧誘のみをして、蛍さんは出て行った。


 桜井くんはすっかり勉強のやる気をなくしたらしく、頭をらせながら「んあー、めんどい」と吠えた。



「……あの人が、ブルー・フロックで一番偉い人?」


「偉い人……まあ偉い、あれがいまの群青のNo.1」


「で、まあ、そこそこスゲェ。体格は昴夜と変わんねーけど、それこそ昨日来た庄内とかは蛍さん――ああ、蛍永人さんっていうんだけど、庄内は蛍さんの前だと頭も上げらんねーよ」



 ……全然そんな風には見えなかったけど、人は見かけによらない。あの見た目なら学生アイドルグループにいても特に違和感がないのに。ちなみに、その氏名は推測どおりらしかった。



「でもま、いい人」


「そう、いい人なんだよなあ」



 桜井くんは少し困ったように嘆息した。



「普通にいい人なんだよ。南中学にいた時から番張ってるんだけどさ、あの人。蛍さんが南中で番張ってから、南中の連中はマッジで大人しくなった。あと煙草吸う連中がめっちゃ減った」


「……なんで?」


「蛍さん、煙草嫌いなんだ」



 つまり、俺が煙草嫌いだからお前らも煙草を吸うな――と。そんなにも人のためになる我儘なんてなくて笑ってしまった。確かに、いい人だ。



「だから今の群青って煙草吸うヤツ少ないよな」


「あー、蛍さんが制服に煙草の臭いつくの嫌がるからな」


「2人とも、ブルー・フロックには詳しいのに入らないの? っていうか入るとか入らないとかってなに?」


「そりゃ、ブルー・フロックは1個のチームだから」



 それこそ概念として理解できていなかったのだけれど、桜井くんは勉強用に広げたノートに図を描き始めた。多分もうテスト勉強はしない。

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