第8話

「あるよ、普通に」


「あんの? 中学のとき彼氏とかいなかったじゃん?」


「それはいなかったけど……」


「英凜は可愛いんだけどさあ、男に興味なさそうな顔してるんだよな。だから彼氏いないんだよな」



 陽菜は中学3年生のときに彼氏がいて、卒業する前に別れていた。理由は「高校が違うから」。そんなところまで、陽菜は陽菜らしい。



「ないことはないんだけどなあ、興味を顔に出す方法が分からないというか……」


「お前マジで表情筋死んでるもんな」


「あ、私、実は陰で三国さんのことクールビューティーって呼んでた」



 何の気なしに校舎の外を見ると、桜井くんと雲雀くんが財布片手に外へと向かうのが見えた。春の日差しの下で、2人の髪色はそれぞれきらきらと輝いている。


 なんか、いいなあ、と。仲良さげな2人を見ながら、そんな漠然としたうらやましさを抱いた。


 桜井くんが「よろしく頼んだ!」と勉強を教えられに席までやってきたのは、週明けの月曜日の放課後だった。ちなみに、桜井くんがそんなことをしてくれたので、クラスメイト達は、なにか起こっては堪らない、と我先にと教室を出ていった。陽菜でさえ顔の前に手刀を掲げて出て行った。お陰で教室には私と桜井くんと雲雀くんしかいなかった。緊張のせいで、背中にはじんわりと冷や汗がにじんだ。


 でも桜井くんは意にも介さず、いそいそとカバンを持ってきて、私の前の机を私の机とくっつけた。その上には中学校の数学の教科書が載せられた。どこから突っ込めばいいのか分からなかった。



「……えっと」


「数学が一番無理、多分実力テストなんてされたら0点になる」


「マークシートだろ、理論値はとれるんじゃね」


「……100÷4?」


「25だバカ」



 割り算の計算の異常な遅さに、教える前からさじを投げたくなった。桜井くんは「あー、あー、つまり25点取れなきゃやばいのか」と眉を八の字にして教科書を広げる。



「とりあえずマイナスとプラスでどうやって計算すればいいのか分からん」



 ああ、やっぱり重症だ。でもひとたび引き受けてしまった以上、放り出すのは悪い気もした。仕方なく、広げたノートに数直線を書く。



「……概念として」


「ガイネン?」


「……この線を数直線って呼ぶんだけど」桜井くんの頭の程度を一生懸命推察しながら「このメモリひとつが1を意味してる。ここが4で、ここが0。その右に-1がくる」


「……ふーん?」



 あまり理解した様子はない。というか、いくら灰桜高校の普通科とはいえ、こんなんでどうやって入学してきたんだ……、と額を押さえていると、隣で机に足を投げ出している雲雀くんが「ほらな、駄目だって、コイツに教えたって」と笑った。


「……雲雀くん、桜井くんに勉強教えてたの?」


「あ? あー……」


「入学式のときも話したけどさあ、コイツ、こんなんだけど頭良いんだよ」



 桜井くんはシャーペンを放り出し、頭の後ろで両腕を組んだ。勉強をする気があるのかないのか分からない。



「西中でもずっと1番、でもずっとこの先公センコーどもも扱いに困ってさ」


「……中学のときから銀色で、耳もそうなの?」


「そうだよ」



 やっとこっちを見た目には、なんか文句あっか、とでも言われているような気がした。でもそんなつもりはなく、ただ、桜井くんの言う通りだったんだろうなと思っただけだ。



「なんだよ」


「いや……」



 入学式の日はじっくり見る余裕がなかったけど、その耳にはこれでもかというくらいピアスがついていた。いや、私が装飾品の種類を知らないだけで、もしかしたらピアスと呼ぶのは適切ではないのかもしれない。それこそ、耳の輪郭りんかくに沿ってるものはピアスではないだろう。耳の上部を貫くように刺さっている棒も、ピアスと呼ぶのは適切ではなさそうな気がした。



「人の耳がそんな珍しいか?」


「ピアスって名前が色々違うのかなあって……」


「はあ?」



 私が何を考えていると思ったのか、雲雀くんは呆れ半分の声と一緒に笑った。雲雀くんは無愛想なわりによく笑う。



「耳に刺さってるもんは全部ピアスかってことか?」


「そう」


「まあ違うよな、これがトラガスだろ、んでこれがヘリックスで……」



 桜井くんが自分の耳を指差しながら呪文みたいなものを唱えた。雲雀くんは「お前、単細胞生物の名前はひとつも覚えらんねぇのにそういうのばっか覚えてんな」とやはり呆れ声だ。



「……それってお風呂入るときに外すの?」


「時々はずす」


「え、俺はずさない」


「はずせよ。化膿かのうすんぞ」


「でもしたことないもん」



 へえ……、と深々と頷いてしまった。2人の話すことは私にとっては知らないことばかりだ。



「……三国、お前変わってんなあ」



 不意に雲雀くんがそんなことを呟いた。ドキリと心臓が揺れたけれど、雲雀くんと桜井くんは多分気付いていない。



「……どこらへんが?」


「え? まあ、俺らに向かってピアスがどうだのこうだの聞いて面白そうにするヤツなんていねーし」


「つか俺らがつるむ女子って自分にピアス空いてるしな」


「確かに。三国は空いてねーもんな」



 髪を耳にかけているので、ピアスホールがないことは雲雀くんの位置から一見して明らかだった。


「てか、三国、マジでよく普通科なんか入ってきたよね」



 もう本当に勉強なんてどうでもよくなってしまったのか、桜井くんは机に膝をひっかけて、椅子をゆりかごのように揺らす。



「普通科っていったら、昨日の3年みたいなのがゴロゴロいるんだよ。なんか今年は少ないみたいだけど」



 君達が灰桜高校普通科に進学すると噂が広まっていたからその手の連中は避けてとおったのでは? と言いたかったけれど、さすがにそれを口に出すほど頭は悪くない。



「三国みたいな大人しめ優等生がボケーッと教室にいたら2年になる頃には処女喪失してんじゃん?」


「しょ……?」


「昴夜、ちょっと黙れ」



 雲雀くんの静かな諫言かんげんで桜井くんは一度口を閉じた。



「……まあともかく、今年はまだマシだったけど、普段だったら危なかったんじゃねーって話。てか親に反対されてないの?」


「……別になにも」



 治ってくれればそれでいい――とまでなまやさしいことは思われていないだろうけど、灰桜高校普通科というものに、両親の要望を左右する要素はない気がした。


 だから相談すらしていないし、連絡も寄越さないし、文句があれば手を回してくるだろうし、きっと問題はないのだろう。自分の中でそう納得した。



「ふーん。優等生の親って厳しいもんだと思ってたけど、意外と放任主義なんだな」



 頷く桜井くんとは違って、雲雀くんは黙ったままだった。


 そんな雑談をしていると、ペタンペタン、と廊下を歩く音が聞こえてきた。デジャヴだ。私は顔を上げたけれど、2人は顔を上げなかった。



「おーす。桜井、雲雀」



 扉から顔をのぞかせたのは、ピンクブラウンの髪をした男子だった。先週の訪問者が怪物だったのに対し、今度はちゃんと人間だ。しかも桜井くんと雲雀くんと変わらないような華奢きゃしゃな体つきで、品と甘さのある髪色によく似合う甘いマスクをしていた。学ランの丈は普通で、ただ同じ新入生にしては着方がこなれているから、多分上級生ではあるのだろう。


 平和的に声をかけられれば返事はするのか、2人も顔を上げた。ピンクブラウンの人はのんびりと教室に入ってきて、机の上に数学の教科書が広げてあるのを見て「ぶっ」と吹き出した。



「おいおい、桜井と雲雀で間違いないよな? なんで女子とお勉強会してんだ?」



 砕けた口調と態度からはいい人に見えた。桜井くんもそう感じているのか「うるせーな、関係ないだろ。なんか用?」と口を尖らせるだけだ。


 じっと見つめていると、その人もじろじろと私を見つめ返した。間近で見ると、その顔の綺麗さが余計に分かる。系統としては雲雀くんに近くて、アイドルみたいな顔をしていた。

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