第67話

 教室へ行くと、雲雀くんは席に着いていた。でも教室内の状態は、中学生のときのそれと変わらない。みんな桜井くんと雲雀くんの存在にはすっかり慣れたというか、触らぬ神にたたりなし、なんならその神は意外と周囲に無関心らしいと分かったらしい。お陰で、一時期2人のことを気にして大人しくしていた他の不良くん達は思い思いに騒ぐようになった。結局、入学式に小耳にはさんだ通り、5組はすっかり動物園と化している。



「……雲雀くん、おはよ」


「……おう」



 席に着きながら声をかけると、雲雀くんは少し視線を上げた。いつもならもう少し顔を上げるので、きっと蛍さんに言われたことを気にしているのだろう。



「これ、借りてたパーカー。ありがとう」


「…………ああ」



 雲雀くんの返事が一拍どころか二拍は遅れた。眉間には若干の皺が寄ったし、なんなら視線は何かを探るように素早く動いた。



「英凜! おはよーっ」



 それを遮るように、陽菜に横から突進された。そのまま抱きかかえられるように机を立たされ「え、なになに」と窓際まで連れていかれる。陽菜は妙に真に迫った顔で「なにじゃねーよ!」と小声で怒鳴るなんて器用なことをした。



「雲雀にパーカー借りてたってなに? なに!?」


「……ゴールデンウィークに一緒に海で遊んだんだけど、服が濡れたから雲雀くんが貸してくれてた」


「いやツッコミどころしかねーわ。まずなんで雲雀と遊んでんだよ!」


「桜井くんと荒神くんも一緒だったよ」


「荒神……荒神舜? 知ってるわソイツ、ユカと付き合ってるヤツだろ?」


「いやそれは知らないけど」



 荒神くんの様子からは特定の彼女がいるようには到底見えなかったけど、要らない情報なのでその真偽に興味はない。



「で、なんで5月に海だよ!」


「それは私に聞かれても。多分桜井くんの思考だと、荒神くんがバイクの免許を取った、遠出ができる、じゃあ海に行こう、くらいだったんだと」


「全然意味分かんねーわ……」



 我ながら桜井くんの思考過程を上手にトレースできた気がする。でもそれが陽菜を納得させることができるかというと、それはまた別の話になる。



「で……なんでパーカー借りたんだよ」


「桜井くんにふざけて海に落とされて服が濡れたから貸してくれた」


「エロいわ」


「むしろ逆では? 濡れた服を隠してくれるわけだし」


「つか、あたしも雲雀のパーカー着せられたい。“彼パーカー”やりたい!」



 陽菜は今日も欲望に忠実だ。くぅー、と陽菜は羨ましそうにぎゅっと目をつむる。陽菜から聞かされて「彼シャツ」という概念は知っていたので、それのパーカー版だろう。でも雲雀くんは彼氏でもなんでもないのでその表現は不適切だ。


「つか英凜、マジで完全に桜井と雲雀の仲良しだよなあ」



 陽菜は窓枠に腰かけながら、興味半分、心配半分みたいな表情で呟いた。



「っていっても、最初ほど心配じゃないんだけど。桜井と雲雀、入学式のあの日以来、別に暴れてないし」


「……まあ無暗むやみに暴れる人じゃないよ」


「でもさあ、なんか群青ブルー・フロックのメンバーだっていう人に聞かれたんだよ。5組に三国英凛っているだろ、桜井と仲良いヤツみたいな。あ、大丈夫、桜井と仲良いかどうかは答えなかったから! 知らないって言っといた!」



 もうすっかり噂になっていることだろうから構わなかったのだけれど、陽菜は律儀な反応をしてくれたらしい。



「でもそうやって噂になってんのさあ、やばくない? ほら、中学のときのアイツ覚えてる? 名前忘れちゃったけど、ずっと金髪だったのに夏休み明けに急に茶髪になってたヤツ」


「ああ、うん」


「アイツ、彼女できたから不良やめるんだーって言ってたらしいんだよね。そういう感じなんじゃないの?」


「あー……うん、多分……」



 そういう感じ、というのは、正確にいえば雲雀くんや蛍さんが言っていたことと同じで、彼らにとっては自分にとっての特別な女子が弱味になる、つまりその特別な女子の身に危険が及んでしまうということだろう。


 こうも各方面から言われるとさすがに危機感も芽生めばえてこなくはない。とりあえず携帯電話は肌身離さずおくことに決めた。



「それで、その群青ブルー・フロックの人はなんて言ってたの」


「えー、なんだったかな。英凜がどんな人か聞かれて、めっちゃ真面目でめっちゃ頭が良いみたいな話はしといた」


「……それで納得されたの?」


「いや全然。なんか『桜井ってそういう女が好みだっけ?』って言いながらどっか行った。あとそうじゃない人からもなんか英凜の話聞かれて――」



 話の途中で担任の先生が入って来たので、陽菜は口を閉じ、私達は座席に戻る。私達は5組で辛うじて担任の先生というものに注意を払う生徒だ。


 その担任の先生は、席に着かない生徒に「ほら、座れー」と簡単に注意をした後、わいのわいのとまだ喋り続ける生徒を無視して「今週は松の木の剪定せんていがあるから正門を通るときに注意するように……」と連絡事項を口にする。



「最後、実力テストの結果が返ってきたから順番に取りにくるように」



 そういえばそんなのあったな。出席番号順に返されるので、序盤に返された陽菜が「うげっ!」と顔をゆがめている。でもみんなテストの結果なんてものに興味はないので、テストの結果は笑い声と一緒に早速紙飛行機になって飛んでいる。


 そんな中、桜井くんはテスト結果を暫く凝視ぎょうしした後、目を輝かせて――こちらを向いた。



「三国! 見て! 俺、数学ビリから50番目!」



 微妙……! いや悪いは悪いのだけれど、一方で桜井くんからしたらいいのかもしれないけど、ビリから50番目が一体どのくらいのレベルに位置づけられるのか分からない。少なくとも実力テストは中学数学の復習だったので、中学数学がろくに身についてないことは分かる。なんなら数学は50分間鉛筆を転がしていたと言っていたので、それはただの偶然の結果だ。



「よかっ……たね……?」


「よかったー! もー、父さんが俺の成績表見るたびにショック受けてたからさー」



 桜井くんはまるで子供のように私達のもとへやってきて結果を見せてくれた。実力テストは3科目だったので、その3科目の偏差値が三角形の図になり、一見して自分の習熟度が分かるようになっている。


 その三角形は、書こうとしてもそこまで不規則な形には作れないだろうと言いたくなるような妙な形で(なぜか英語の偏差値を示す点だけが突き出ているせいだ)、それでもって小さかった。


 でも桜井くんは嬉しいのだからそんなことを突っ込んではいけない……と思っていると「お前の脳のサイズか、これ」と雲雀くんの毒舌が考えられる限り最大の悪口を言った。



「よく見ろ! この数学の偏差値を! 40超えてるんだぞ!」


灰桜高校うちの校内偏差値で40超える程度って本当に大丈夫かよ」


「っていうか、桜井くん、英語だけなんで飛び出てるの?」



 そう、英語だけ突き出ているし、なんなら順位も5番と異様に突出している。いや、それ自体は大したことではないのだけれど、数学と国語の惨憺さんたんたる有様と比べると妙なくらいだ。



「あー、まーね。英語だけ結構頑張ってんの、俺」


「ふーん……?」



 つい、桜井くんが中学校の成績や入試がビリだと話していたことを思い出した。英語だけでもこれだけできればビリなんてことはないはずだけれど……。まあ、「ビリ」なんて本当に最下位だけを含む概念ではないし、そんなものか。


 ついでに英語だけ頑張る理由というのも少し気になったけれど、ちょうど雲雀くんが立ちあがったし、あえて詳しい理由を説明しないことにはそれこそ理由があるのだろうと考え、深入りはしないでおいた。


 その雲雀くんは、結果を受け取った途端にグシャッと紙を握りしめた。



「おい三国!」そして私を振り向き「お前だろ、1番! 2番じゃねーか、俺が!」

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ぼくらは群青を探している 篠月黎 / 神楽圭 @Anecdote810

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