(5)選択

第64話

ゴールデンウィーク明けの学校は、なんとなく気が重かった。のろのろと玄関でローファーを履いていると、おばあちゃんに「英凜ちゃん、忘れ物よ」と紙袋を差し出された。中身は雲雀くんのジャケットだ。



「あー……うん」


「早く持って行かんと、雲雀くんがこまろう」


「……どうなんだろう」



 ただの私服のひとつだから困りはしないだろうけど、借りたものは早く返したほうがいい。ただ、蛍さんの忠告を考えると、結局学校で雲雀くんと桜井くんとどう接すればいいのか分からない。


 ぽりぽりと頬を掻いた。本当は、桜井くんが家の近くまで送ってくれたときにそのまま桜井くんに預ければよかったのだけれど、うっかりしていた。



「うちに取りに来させてもいけんし、早く持って行きなさい」


「まあ、それはうん、もちろんそうだから、うん……」



 仕方なくその紙袋を受け取った。どこかの知らない和菓子屋さんの大きな紙袋で、これと雲雀くんがそこはかとなく似合わない。……なんて言い訳をしていないで、早く返そう。


 そんな私の微妙な気分を天気にしたように、今日の空は曇天で、初夏の爽やかさには欠けている。うーん、とひとり首をかたむけながらバスに揺られた。



「おう、三国」



 そんな気分で学校へ行った私を迎えてくれたのは、よりによって蛍さんだった。


 数日前と同じ安っぽい白いイヤホンを首に引っ掛け、しかも学校の顔ともいうべき正門前の大きな木の下で、カバンに肘をついて、レンガ風花壇の上に器用に寝転んでいる。正直、腰が痛そうだった。



「……先日はお世話になりました」


「お前ら、結局何して遊んでたんだ?」



 まだ怒ってるのかな……、と少し様子を伺おうとしたけれど、蛍さんは最初に会ったときと変わらなかった。表情も注意深く観察するけれど、特に「怒り」の要素は見当たらない。



「……桜井くんが言ったとおり、ビーチバレーをしていたんですが。ボールが海に入ったことをきっかけに次々と海へ落ちる遊びになりまして」


「やべーな、頭悪いな」



 私もそう思う。蛍さんは起き上がってピンクブラウンの髪をくしゃくしゃと混ぜた。



「……蛍さん、何していらっしゃるんですか?」


「あ? あー、今朝、寝覚め悪かったからとりあえず来て、んでも校舎開いてなかったから昼寝してたんだよ」



 全然意味が分からないし、その意味では桜井くんと同じくらい頭が悪い。寝覚めが悪かったから学校へ来て、しかも校舎が開いてない時間帯って一体いつだ。もしかしたら電車にもバスにも乗らず来たんじゃないかと考えた後でバイクという選択肢を思い付いた。


「んで、どうするか考えたか?」



 ……蛍さんがくれた紙切れは、部屋の引き出しの中にしまってある。電話番号の登録もまだしていない。



「……まだです」


「あそ。時間が経つと深みにはまるぞ」



 蛍さんは胡坐あぐらをかき、そのまま膝の上に肘をついた。そうやってコンパクトに収まる体を見ていると、とてもあのゴリラをぶっ飛ばした人には見えないのだけれど……。



「……こうやって蛍さんと話すことはいいんですか?」


「俺が話す女子くらいいくらでもいるっての」



 木を隠すなら森の中、か。そう言われると、雲雀くんと桜井くんは仲の良い特定の女子が私以外にはいないかもしれない。



「桜井くんと雲雀くんも、仲の良い女子を作ればいいんじゃないですかね」


「なんだ。アイツらがお前を気に入って連れまわしてんだと思ってたけど、お前がアイツらのこと好きなのか」



 細い眉が吊り上がり、目が丸くなる。そんなに意外なことを口にしたつもりはなかったので、つい首を傾げた。



「……まあ、クラスの男子の中では一番好きです。一緒にいて楽しいですし」


「……ふうん」


「……なんで蛍さんはあの2人と私を離したがるんですか? この間お会いしたときに言っていたとおり、あの2人と一緒にいると私が危ないとかそういうことだろうとは思うんですけど」



 そう言われるのだろうと思って先手を打てば、蛍さんは一度開きかけた口を閉じた。どうやら正解らしい。



「そんなこと言ってたら、群青ブルー・フロックのメンバーってみんな彼女がいないことになりません?」


「……まあな。アイツらは特別さ」


「どこのチームもこぞって欲しがってるから、特定のチームが彼らを手に入れるまでは危ないってことですか?」


「そうだな。どこのチームも、手段は選ばねーだろ」


「でも蛍さんは選んでるんですね、手段」


「当たり前だろ。ほーらお前らが入らないと三国誘拐すんぞー、なんてダセェだろ」



 その言葉の選び方に、桜井くんとか荒神くんにある男っぽいあらさが欠けているような気がした。欠けているというか、抑えているというか。それが異性の視線や感性への気遣いからくる配慮だと考えると、蛍さんにお姉さんがいるという噂は本当かもしれない。



「……チームに入った後はどうなんですか? 仲の良い女子って危なくないんですか?」


「危ないは危ないな。桜井と雲雀でいえば、アイツらがチーム内で重宝されればされるほど、その女もチーム内で重要な位置に立つ」


「……まあ王の寵姫ちょうきみたいなものですね」


「あ?」


「いえ、まあ、要人ようじんとその奥さんって同視されますよねって話です」



 頭の中に浮かんだのは小説で読んだラブファンタジーだったけれど、要はそういう話だろう。そんなものが高校生の喧嘩でまかりとおるなんておかしな話ではあるけれど、理論上理解できない話ではなかった。


「物語だと、要人……偉くなればなるほど警護も厚くなりますけど、現実のチームでも、たとえば蛍さんの彼女は誰かが守ってるんですか?」


「俺に彼女はいないから誰も守ってねーけど、ま、メンバーの女がさらわれたつったら、全勢力挙げてぶっ潰しに行ってやるな。俺、外道げどうって煙草吸うヤツよりキライなんだよ」



 こんなに綺麗な顔してるのに彼女いないんだ……なんて感想はさておき、桜井くんと雲雀くんの「蛍さんはカッコイイ人」という話を思い出してしまった。歯が浮くようなセリフとまでは言わないけど、こんなに堂々とそんな宣言をできる人はいないだろう。


 同時に、そんな人がトップに立つチームというものの存在に、興味に似た疑問が湧く。



「……群青ブルー・フロックって、なんなんですか?」



 青の群れブルー・フロック。誰がそう名付けたのかは知らないけれど、小粋こいきなネーミングだとは思った。なんならちょっぴり気に入った。その意味では、桜井くんの教えてくれた深緋ディープ・スカーレットも気に入ったけど、群青のほうが気に入ってしまうのは、もしかしたらこの蛍さんを知っているからなのかもしれない。



「なにって。ただ俺みたいなヤツが群れてるだけだ」



 それは、何のヒントでもなかった。



「だから、俺は桜井も雲雀も群青ブルー・フロック相応ふさわしいと思ってるし」



 桜井くんと雲雀くんと、蛍さんの共通点を考える。もし、蛍さんの噂が本当なら、ある程度抽象化すれば、3人の共通点は見つけられる。何より、蛍さんが荒神くんの名前を挙げていないことがひとつのヒントだった。



「三国英凜、お前も、男だったら群青ブルー・フロックに誘いたかった」



 ……そういえば、この人は、噂を聞いて私の名前を知ったのだとは、一言も言わなかったな。



「……残念です、自分が男じゃなくて」


「ああ、俺も残念だよ」



 奇妙な沈黙が落ちた。私にはその奇妙さを理解することができなかったし、普段なら使える方法も、蛍さんを前には使えなかった。



「……じゃあ、私はこれで」


「ああ。桜井と雲雀と縁切りたくなったらいつでも連絡しな」


「……あれは蛍さんの携帯電話番号ということでいいんですよね?」


「ああ。ちゃんと登録したか?」


「いえ、今のところ必要ないので」


「あ、そう」


「……では」


 ぺこりと頭を下げて踵を返した後、蛍さんのいた場所を振り返れば、蛍さんはいなくなっていた。


 あの人、やっぱり私が来るのを待ってたんだろうな。

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