第20話

「だから言ったろ、中坊のときほど甘くないって」


「……なんか用かよ」



 間違いなく、蛍さんが来たお陰で助かったはずなのに、雲雀くんは不遜ふそんな態度だった。でも蛍さんは気にした素振りはなく「相変わらず無愛想だねえ、可愛いのは顔だけ」と白い歯を見せて笑う。どうやら雲雀くんの女顔は、雲雀くんを知っている人からするとからかいの鉄板ネタらしい。



「ちょっとな、海岸の煙草が目についたもんで」



 ちらと、ピンクブラウンの髪の隙間から、蛍さんはゴリラを睨む。ゴリラはひるんだように数歩後ずさった。



「……桜井と雲雀は、群青ブルー・フロックじゃねーだろ。なんでアンタが出て来る」


「だから言ってんだろ、ちょっと煙草が目についたんだ、ってな!」



 学ランがひるがえるのとその足がゴリラを吹っ飛ばすのと、どちらが早かったか。少なくとも私には分からなかったし、ゴリラが倒れる横では、桜井くんと雲雀くんも我に返ったようにゴリラの仲間を吹っ飛ばしていた。


 私と荒神くんの前では、ゴリラが呻いていた。蛍さんがゴリラを蹴っ飛ばした衝撃で、そのポケットからは携帯電話やら煙草のケースやらが落ちて砂浜の上に転がり、無残に波に襲われている。


 波が引くのと一緒に、黒い携帯電話とエメラルドグリーンの煙草の箱が海にさらわれてしまいそうになったところを、蛍さんはなぜか煙草の箱だけを拾い上げた。更に吸殻すいがらを拾い上げると――倒れているゴリラの口に砂ごと押し込んだ。



「モガッ……」


「おーし、ちゃんと灰皿に入ったな」



 煙草の箱は親のかたきかと思うほど強く握りしめ――いやもはや握り潰し、蛍さんは桜井くんと雲雀くんに視線を遣る。2人の近くにはゴリラの仲間が2、3人が転がっていたし、残りの仲間は、歩道に残っていた人も含めて逃げ出していた。



「……んで、お前らなにやってんだ。特に桜井、上半身裸で。夏じゃねーんだぞ


「ビーチバレーやってたの!」


「なんの答えにもなってねーよ」



 蛍さん達が話している間に、荒神くんの背中から歩道を見上げた。蛍さんとやってきたもう一人はバイクに跨(またが)ったままで、顔がよく見えない。ただ蛍さんより背が高く、髪は黒かった。



「……そういうアンタこそ、何しにきたんだ」


「本当に可愛くねーな、コイツ。休日のお出かけだよ、お出かけ」


「No.1とNo.2が揃って? デートでもしてんのか?」



 雲雀くんが示したのは、歩道の上のバイクの人だった。No.2――ということは、この間荒神くんが言っていた「能勢のせ芳喜よしき」だろう。そうだとすれば、背が高いというのは聞いているとおりだ。


「そういうこともある。なあ、三国英凜?」



 蛍さんの目が私を見た。この間、1年5組の教室で話したときの私の回答を反芻はんすうされているのは分かったけれど、それが何を意味するのかは分からなかった。なんなら名前を伝えた覚えはなかったのだけれど、それくらいは誰かに聞けば分かることだろうし、特に気にする要素ではなかった。



「……アンタへの貸しは1つだとしても、俺らは群青に入んねーぞ」



 体を包んでいる泥を払い落としながら、雲雀くんはかたくなに拒絶する。隣の桜井くんは、同じく頭から泥を落としながら「うん、まーねー」と曖昧あいまいな返事をした。



「そう。んじゃ黒鴉レイブン・クロウからの誘いは断ったのか?」


「んじゃ、ってわけじゃないけど、うん、まあ。だって急に来て殴るとかヤバイじゃん、暴力反対」


「お前らには言われたくねーだろうけどな」



 蛍さんの目がもう一度私を見た。つい、荒神くんの背中に隠れる。悪い人ではなさそう、というのは最初の印象のとおりだけれど、それでも知らない人には変わりない。



「三国英凛、お前はここで何してんだ?」


「……なに、って」


「俺らが呼んだんだよ、あそぼーって」


「お前本気か?」



 私を庇うようなセリフに、蛍さんの目が不意に鋭く細められた。私がその目を向けられたわけでもないのに、つい、体が震えてしまう。



「お前らみたいに目立つヤツが、女連れまわしてんじゃねえ。お前らがやられるのは勝手だ、けどな、お前らがやられたら女がやられるってことくらい分かっとけ。大体、三国英凛のこの恰好はなんだ?」



 なぜかサッと荒神くんが動いて私を隠した。でももう遅い、蛍さんはとがめるように私のことを親指で示している。



「襲ってくれって言ってるようなもんじゃねーか。何して遊んでたか知らねーけど、お前らのせいで三国が襲われて、お前らが責任とれんのか?」



 前回会ったときとは打って変わって、蛍さんの声は冷たかった。その物言いから――表情からも、妙に真に迫る厳しさが伝わってくる。桜井くんと雲雀くんも、その指摘を正しいと感じているのか、いつもの軽口を叩くことはなく、じっと黙り込んでいる。



「おい三国英凛」


「えっあ、はい」



 急に矛先が私に向けられて戸惑えば「お前、俺が何でお前の名前知ってるか、分かってるか?」なんて妙な問いかけをされた。


 名前を伝えた覚えはなかったのだけれど、それくらいは誰かに聞けば分かることだろうし、特に気にする要素ではない――そんな自分の考えが間違っていると指摘された気分だった。


 誰かに聞けば分かる。――なにをどう聞く?


 桜井くんと雲雀くんが仲良くしてる女子のことを知らないか。――誰に聞く?


 2人は1年5組だから、1年5組の人に聞く。――その必要がある?


 入学気の桜井くんと雲雀くんの所業は次の日には学校に知れ渡っていた。当然、そんな2人が仲良くしている特定の相手がいれば、目立つ。それは1年5組のクラス内外を問わない。つまり、あえて1年5組の人間に聞く必要はない。――そもそも、2人が女子と仲良くしている女子には、特殊な情報がなかったか?


 入学式、フルネームで名前を呼ばれ、例年は特別科からしか出ない新入生代表挨拶をした。――ということは?


 三国英凜が桜井昴夜と雲雀侑生と仲良くしているという情報は、いわば公知の事実であって、わざわざ探るまでもないことだ。



「なあ三国英凜、気を付けな」



 蛍さんの声が、不気味に忠告する。



「俺は、今年の新入生代表の三国英凜が、桜井と雲雀と仲良くやってるって話を、まったく求めてもないのに聞かされた」


「……桜井くんと雲雀くんのことを知ってる人は、それと同じくらい私の存在を――ご丁寧にフルネームまで含めて、認識しているってことですよね」


「そういうこと。んで、どこのチームも桜井と雲雀をこぞって欲しがってる」



 お前は絶好のエサだ。――そう告げられ、心臓が鷲掴みにされたような恐怖が全身に走る。



「分かったら、コイツらとは早いうちに縁を切りな。今ならまだ、脅されてましたで済む話だ」



 ぽろりと、蛍さんの手から煙草の箱が落ちた。ゴリラの胸の上でころりと転がったそれを、蛍さんはもう一度踏みつける。呻くゴリラに構わず、蛍さんはポケットから1枚の紙きれを取り出した。


 なんなのか分からず、ただ緊張感で首を傾げることもできずに固まっていると、受け取れとでもいうように顎を動かされた。おそるおそる受け取ったそこには、11桁の電話番号が書いてある。



「もし、縁を切るつもりなら、早めに言え。そのへんの噂は、ちゃんと流してやる」



 ……その気になったら、連絡しろ、ってことか。


 その紙きれをじっと見つめる。まるでずっと渡すのを待っていたかのように、その紙きれにはところどころ皺が寄っていた。



「……で、俺は群青ブルー・フロックのメンバーじゃないヤツらを助けはしない。お前らがどんな目に遭おうが、知ったことじゃない」



 ふい、と蛍さんは踵を返した。きゅ、きゅ、と砂浜が鳴く。



「分かったら、群青ブルー・フロックに入るかどうか、ちゃんと考えな」



 桜井くんと雲雀くんは、まるで保護者に怒られてしまったかのように黙り込んでいた。蛍さんはそのまま、おそらく能勢芳喜さんの隣のバイクに乗り、揃って走り去る。能勢芳喜さんはついぞ私達に対して一言も声を掛けなかった。


「――っはー! 怖かった!」



 一番最初に声を発したのは荒神くんだった。私は呆然と突っ立ってしまっていたので、荒神くんに手を引かれて我に返り「つかここ離れよ、足下にコイツいるのコワイ」なんて言われて慌てて足を動かす。桜井くんと雲雀くんは、再び泥を落とし始めながら石階段の荷物を回収しに行く。



「……蛍さん、めっちゃ怒ってたなあ」



 ぼそりと呟いた桜井くんは、目に見えてしょんぼりとしていた。雲雀くんはティシャツを脱ぎ、バサッバサッと振るって砂を落とす。



「……あの人の噂、本当かもな」


「噂?」


「蛍さん、どっかの抗争に巻き込まれて姉貴が死んでんだと」



 ティシャツを着直しながら、雲雀くんはなんでもなさそうに告げた。重さのわりに、その口調は重くはなかった。



「だから三国のことがだぶってんだろ」


「あーね、俺らに巻き込まれて三国が死んじゃうかもってね」


「……それにしたって、妙に肩入れされてた気がするんだけど」


「その姉貴に三国が似てるとかなんじゃねーの? 分かんねーけど」



 もう一度、手の中の紙切れを見つめた。やっぱり、ずっと渡すのを待っていたかのようなくたびれ方をしている。それこそ……、ちょうど、蛍さんに会ったあの日から、渡すタイミングを見計らっていたと言われてもしっくりくる。



「おい三国ィ、ぼーっとしてんなよ。帰るぞ」


「あ、うん……」



 でも蛍さんに肩入れされる理由はない。そうだとしたら、荒神くんのいうとおり、蛍さんの亡くなった(という噂の)お姉さんと私が似ている……のだろうか。首を捻りながら、石階段の荷物を拾い上げる。



「つか三国、なにで来たの? チャリ?」



 桜井くんはぐっしょり濡れたパーカーをかぶりながら「うへぇ、気持ち悪い」と顔をしかめた。



「うん……」


「昴夜、お前三国のこと送れ」


「えー、うーん、別にいいんだけどさ、俺と一緒に歩いてちゃまずいんじゃないの?」


「今は一人のほうがあぶねーだろ。いざとなったら三国だけチャリで逃げろ」


「俺は?」


「お前は知らねーよ」


「……雲雀くん、パーカー……」


「着とけ。帰り寒いだろ」



 それは2割も乾いていないティシャツを着ている雲雀くんのほうなのでは……バイクだし……。なんて思っていたけれど、駐車場へ行くと雲雀くんはバイクの中からジャケットを取り出した。バイクに収納スペースなんてあるんだ。



「え、まって、そんなんあるなら俺にくれればよくない? なんで俺、上半身裸でいたの?」


「忘れてた」


「ぜってー嘘じゃん! 濡れるのがイヤだったとかじゃん!」



 ギャンギャン喚く3人を見ながら、蛍さんの言葉を反芻はんすうする。コイツらとは早いうちに縁を切りな――その声は、表情と一緒に、音声付き写真として脳内に保存される。


 ただ、何も見えなかったときのあの体温も、記憶の中に残っていた。

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