第82話


 でも、そんな苛立ちに似た色はすぐに消えた。くしゃくしゃっと金髪を掻き混ぜて「……分かった!」と自分を納得させるようにハキッとした声を出す。


「そんならいい。もう俺も聞かないし。てかこっからはブルー・フロックにいるわけだから、新庄も簡単に手出してこないだろ。ブルー・フロックディープ・スカーレットがぶつかるのはマズイってことくらい分かるだろうし」

「まずいの? だって仲が悪いってことはもともとぶつかり合ってるんでしょ?」

「そうだけど、新庄もディープ・スカーレットの中じゃ新入りだぜ」


 それこそ、手土産に桜井くんと雲雀くんを誘おうとするくらいには、か。


「よっぽどディープ・スカーレットのトップ――山崎やまざきって名前だったかな、山崎に気に入られてるなら別だけどさ、1年が喧嘩売りに行って尻拭しりぬぐいしてくれるような人じゃないぜえ、つかそんなこと誰もしねーよ」

「……そういえば蛍さんくらいだって言ってたっけ」

「まあ。でもって、俺らはどこのチームにも入ってないからさ、尻拭いつってもちょっと違うんだよね。チームに喧嘩売るんだったら『この間はうちの1年がごめんねー』じゃ済まないじゃん?」


 まあ、それはそうか……。入学式の一件も、桜井くん達が単体で喧嘩を売られただけであって、私は巻き込まれていないし……。


「だからまあ……蛍さんが三国をブルー・フロックのメンツに誘ってくれたのは、ありがたかったかな。そうすれば新庄が三国に手出しにくくなるし、手出されたときにブルー・フロックで助けやすいし……」


 そう考えると、蛍さんが私をブルー・フロックに誘ったのは妙だった。蛍さんはくちっぱく、自分に得のないことはしないかのようなことを言い続けた。私をブルー・フロックに入れて何の得があるのだろう。


「……不良チームに女の子がいることって、何か意味あるの?」

「意味? いやないんじゃない? レディースの暴走族じゃあるまいし、女子がいる意味なんてないって」

「……じゃあ私はなんでブルー・フロックに誘われたんだろ」

「さあー。舜が言ってたじゃん、蛍さんの死んだ姉貴に三国が似てんじゃないのって。それなんじゃね?」

「……そんな理由で誘うかな」


 いくらブルー・フロックのあらゆる決定権限が蛍さんにあると言ったって、そんな理由で誘うだろうか……。もしそうだとしたら相当似ているはずだけれど、少なくとも私と蛍さんの顔は当然のことながらちっとも似ていない。誰が見たって他人だ。


「あ、てかいけね、侑生にメールするんだった」

「……もう1時だけど、大丈夫?」

「……電話借りていい?」

「もちろん」


 桜井くんは居間の固定電話から雲雀くんを呼びだす。待っていたのか、たった2、3回のコール音の後「《おい昴夜、お前どこいんの》」と雲雀くんの苛立った声が聞こえてきた。桜井くんは見るからに焦って「あー、えっとねー、家にいない」「《見りゃ分かるそんなの》」私に視線を寄越す。


「……えっと、色々あって三国の家」

「《は?》」


 雲雀くんの声は呆気あっけに取られていた、というよりは怒気をはらんでいた。


「《色々ってなんだ? また新庄か?》」

「あー、違う違う! 全然関係ない! でも話すと長い!」


 カツアゲされてるお年寄りを助けたらそれが私のおばあちゃんだった、とたった一言説明すれば済む気はしたけど「《とりあえず、お前は家にいないし、三国にもなんもねーってことでいいな》」雲雀くんも桜井くんにそんな要領のいい説明は期待していないのだろう。


「うん、それでおっけー。あ、あと明日もバイトあるけど昼はいる」

「《聞いてねーよ。早くケータイ買えよな、じゃ》」


 逆に雲雀くんは要件さえ伝わればいいとばかりに電話を切った。桜井くんは受話器を持ったまま眉間に皺を寄せる。


「……なんだよ、うちに来るほど俺に会いたかったくせに、素っ気ないヤツ」

「意外と照れ屋だよね、雲雀くん」

「あー、そうそう。アイツかっこつけだからね、そういうとこある」桜井くんは受話器を置きながら「つか三国の家にいるつっても何も言われなかったなあ。怒られるかなって思ったんだけど」

「さっきも言ってたけど、なんでうちにいたら雲雀くんが怒るの?」

「誰かに見られたら、三国って俺と仲良いんだなってなっちゃうじゃん」

「……もうなってるから新庄は私を拉致したのでは?」


 桜井くんがハッとした顔をした。桜井くんは愛すべきおバカだ。


「ていうか、雲雀くんと遊ぶ約束……とまで言わなくても、なんとなく遊ぼうかみたいに言ってたんでしょ? うちに呼べばよかったのに」

「……確かに。まあでも、三国のばーちゃんも頭が銀ギラのヤツが来たら腰抜かすだろ。いーよいーよ、アイツは」


 自分も金髪のくせに、こんなにも華麗な棚上げは初めて見た。いや、桜井くんはハーフだけど。いやそれでも地毛は金ではないけど。


「つか昼の片づけしないと」

「いいよ別に、置いてて」

「さすがに飯食わせてもらって片付けしないほど非常識じゃねーよ、俺」


 でも私も桜井くんとご飯食べるの楽しかったし、ギブアンドテイクは成立してるよ――と口にしようとして、なんだか照れ臭かったのでやめた。


 食器を洗うと、桜井くんは「なんか三国のばーちゃん帰ってきたら晩飯まで世話になりそうだから帰る」と帰り支度をし始めてしまった。


「別に、いいのに。おばあちゃんもにぎやかなほうがいいだろうし」

「そんなこと言ったらマジで来るよ、俺」

「え、だから別にいいよ。しいて言うならスーパーに一緒に行ってくれると助かるけど」


 桜井くんを養うわけでもあるまいし、家計にはそんなに響かないはずだ。せいぜいおばあちゃんに買い物の負担をさせるのが悪いくらいなので、それさえはぶければ問題はない。


 そんなことだけを考えて口にしたのだけれど、桜井くんは何度かその長い睫毛を上下させ、子供っぽく笑った。


「んじゃまた来る。誰かと飯食うほうがいいし」


 ……そういえば、桜井くんはいま一人暮らしだっけ。


「……うん、私も桜井くんが来てくれたほうが楽しい」


 どうせ、桜井くん達と関わらないなんてできないし。おばあちゃんも気に入ったみたいだし、うちに出入りしてたって何の問題もない。


 だから変なことを言ったつもりはなかったのだけれど、桜井くんはちょっとだけ閉口した。


「……いま私、変なこと言った?」

「……三国、もっと笑えばいいのにさ」


 ほんの少し、ドキリとした。表情にとぼしいことはバレているだろうとは思っていたけど、そこからそれに結び付けられるのは怖かった。


 私が黙りこんでしまったのを、桜井くんはどう思ったのかは分からなかった。ただ桜井くんはいたずらっぽく口角を吊り上げる。


「じゃな。明日、侑生に三国の飯美味かったって自慢しとく!」

「え、あ……」


 いつもおばあちゃんが出ていくのばかりを見ているせいか、桜井くんが出ていく足取りは妙に軽く見えた。


 その背中を見送ろうと顔を出すと、桜井くんは自転車に乗って「また月曜なー」と私がろくに返事もしないうちに走り去ってしまった。


 何を食べるでもないのに、台所に戻って、いつもの席に座った。向かい側は当然空っぽだ。


 さっきまで、ここに桜井くんがいた。目を閉じるまでもなく、その光景は脳裏に焼き付いていた。


『これなに?』

『……小松菜と鶏むね肉を豆板醤とうばんじゃんで炒めたもの。名前はない』

『なにそれ、じゃあ三国シェフの気まぐれランチだ。気まぐれランチうまいな』


 他にも、おまんじゅうを頬張りながら髪を引っ張る桜井くん、嬉しそうに楽譜を捲る桜井くん、ソファでうたた寝をする桜井くん、中華スープを作る桜井くん、洗い物をする桜井くん……。頭にはたくさんの写真が保存されている。


 新庄の写真を上書きすることはできないけれど、新庄が私の心臓に冷や水を浴びせ続けたのだとしたら、桜井くんは暖かい毛布で包んでくれた。半分合わせた両手で、鼻と口をおおう。


 このまま、休日のお昼にたまに桜井くんと雲雀くんと一緒にご飯を食べるだけのような、そんな日ばっかりならいい。


『続きはまた今度ねえ』


 続きも今度も、来なければいい。

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