第79話
桜井くんはおまんじゅうを呑んだ後の顔のまま、ぱちぱちと何度か
「……桜井くん、別に気にしないで。おばあちゃん、あと1時間くらいで出るから」
「……三国のばーちゃん、三国に似てんな」
「今までの流れでどこが?」
「え、なんかこう、人の話聞かないで自分の世界で話進んでるところ?」
「私そんなんじゃないじゃん!」
今までそういう風に見られていたなんて、ショックだ。というか、能天気な桜井くんがこれなのだ、雲雀くんにも同じようなことを思われているかもしれない。
「えー、そんなんだよ。侑生も言ってたし」
「言ってたの!?」
「なんか頭の回転早いのにボケーッとしてんなって」
まさしくその頭を金づちでガンガン叩かれている気がした。クラスの仲が良い男子にそんな風に見られてたなんて知りたくなかった。
「……っていうか、桜井くん、今朝なにしてたの?」
「なにって?」
「だって桜井くんの家、ここから遠いでしょ」
おばあちゃんが行ったスーパーは、家から自転車で10分程度の距離にある。桜井くんの家の場所は知らないけれど、桜井くんが西中出身でその校区内に住んでいるとすれば、スーパーの近くをふらっと通りかかるわけがない。
「ユアバスの隣にミセス・ドーナツあるじゃん? あそこで朝バイトしてたの。5時から9時」
「ああ、そういう……」
そういえばそんな話もあった。バイト先が遠いとは言っていたけれど、まさかうちの家の近くだとは。
「あ、てか三国、ピアノ!」
桜井くんはハッと思い出したような顔になった。いや、現に思い出したのだろう、そのワードと一緒に顔を輝かせた。
「ピアノ、あるんだよな? 聴きたい」
「……いいけど、この間話してたのは楽譜がないよ」
「それじゃなくてもいいからさ」
「……それならいいけど」
でも桜井くん、クラシックなんて分からないんじゃないのかな。「私の部屋だから、こっち」と部屋に案内した。
木目調のクローゼット、学習机、本棚そしてグレーのソファがある中で、黒いアップライトピアノが存在感を放つ。桜井くんは他の家具に目もくれず、そのアップライトピアノに心惹かれるように駆け寄った。
「へーっ、いいな、全然分かんねえけど!」
分からないのにいいなってなに。興味津々に楽譜を手に取るくせにあっけらかんとそう言ってのける桜井くんにツッコミを入れずにはいられなかった。本当は口に出したかった。
「どれ弾けるの?」
「どれ……っていうか、まあ、そうだね……どっちかいうとどれを聴きたいかってほうだと思うけど」
桜井くんの隣に立ち、楽譜を手に取る。ぱらりぱらりと
「……アメイジング・グレイスは?」
「あ、それがいい」
簡単だし、賛美歌だから桜井くんのいう「なんか優しい曲」だろう。椅子を引いて座って
「……そこに立たれると恥ずかしいから、ソファとか座ってよ」
「そう? そうするか」
背後でソファに座る気配がする。それはそれで観客がいる気がして少し緊張した。
それよりなにより緊張したのは、弾き始めて暫く、背後で小さく歌詞を
Amazing grace...how sweet the sound...――ボーイソプラノの優しい声だった。
つい、途中でやめて振り向いた。桜井くんは両手に体重をかけた座り方をして、急にやんだ音楽に驚いてこちらを見ていた。
「……なんでやめちゃうの」
「……いや……、上手くてびっくりしたから」
「あー、母さんがクリスチャンだったから、よく教会行ってたんだよね」
お母さんがクリスチャンだったことも、教会へ行っていたことも、過去形だった。
「あとよくピアノ弾いてた。多分三国ほど上手くないし、なんかちょっと違う曲だった気もするんだけど、Amazing graceは弾き語りもしてたし」
「……そう」
Amazing grace……と桜井くんはまた口遊んだ。ほんの少し目を伏せて、まるで思い出を懐かしむように。そういえば、英語だけは頑張って勉強してるんだなんて言っていたっけ。お母さんの母国語だから特別なのかな。
そんなことを思って、途中で演奏をやめて悪かったな、ともう一度ピアノに向き直る。
Amazing grace... how sweet the sound...ジョン・ニュートン作詞の讃美歌。私の中では、讃美歌の中で最も人気があるというか、讃美歌に対して人気があるという言い方がおかしいのであれば、最も
「……地毛、金じゃないけど、まあ普通に明るいんだよね」
弾き終えた後、桜井くんは不意に呟いた。
「お陰で小学生の頃よく言われた、髪の色が変だって」
「……中学生、高校生くらいになると途端に明るい髪は羨ましがられるのにね」
「そうなんだよな。でもちっちゃい頃はみんなから変だ変だって言われてイヤだったなあ。チビだったからハーフぽくもなかったし。俺も黒い髪がよかったって言ったら母さんに悲しい顔されちゃった、よく覚えてる」
なんと返せばいいのか分からなくて、曲を選んでるふりをして誤魔化した。パラリパラリと厚紙を捲る音が静かに響く。
「参観日とか、母さんがモロ外国人だから変だ変だって言われたし。俺もみんなと同じ普通の母親がよかったなって思ったね。別に、普通の母親だったんだけどさ」
「……お母さん、どうしたの」
「事故であっさり死んじゃったよ」
「……ごめん」
「なんで謝んの、別に、死んだのは本当だし」
振り返ると、桜井くんはソファに横になっていた。
「……髪が明るいの、やだなーって思ってたんだけど、母さんがいなくなったら途端にいいなあって思い始めちゃってさ。俺、もともと髪の色で虐められてたし、なんかもう茶でも金でも同じじゃね? って思ってずっと金。遺影にいつも土下座して母さんに金色見せてる」
笑っていい場面なのか分からなかったけど笑ってしまった。いい成績を持って帰って喜んで母親に報告する子供みたいだ。
「……お母さんも喜んでるんじゃない」
「んー、でも喧嘩しすぎって怒られそう。遂に
ショートパンツの上で、手を握る。桜井くんは「あ、別に三国のせいじゃないよ、マジで」と明るく笑った。私が2人に責任を感じていると、桜井くんには分かるのだろう。
「侑生も言ってたけど……遅かれ早かれってやつだよな。ゴールデンウィークもそうだったけどさ、俺達、しょっちゅう絡まれるもん。そりゃ三国も
「……でも、私が蛍さんに電話したし」
「いやだからさー、それは俺らが蛍さんに頭下げに行った後だって。つか蛍さん、三国のことお気に入りじゃん、普通、誰かの彼女でもないヤツなんて助けてくんないよ」
それは蛍さんも言っていたことだ。友達だという理由だけで助けていたらきりがないから、そんなことはしないと。
でも、蛍さんが私をお気に入りだというのには、どこか釈然としないものがあった。ろくに面識もないのにお気に入りにされるような美少女でないのは分かっているし、いかんせん、新庄と蛍さんの関係が怪しすぎる。
ただ、
「それに、俺達、蛍さんのこと結構好きだもん」
そうやって、桜井くんも蛍さんのことを
「……そう」
「……新庄に拉致されたのは、マジで気にしないでいいよ。アイツはそういうクソ野郎だから」
いつも明るい声の桜井くんにしては、珍しく吐き捨てるような言い方だった。
「……雲雀くんの妹さんも、新庄に誘拐されたんだっけ」
「……なんで知ってんの?」
「新庄がそう言ってた。妹を誘拐したら雲雀くんを、まあ殴りやすかったみたいなニュアンスのこと」
「……本当にクソ野郎だよな、アイツ」
桜井くんは起き上がり、ソファの上で膝を立てた。
「……侑生の妹、下校中にさ、侑生が怪我で病院に運ばれたって騙されて連れてかれたんだ。で、侑生のこと呼び出して、4人がかりでリンチ。下手したら死ぬまで殴ってたんじゃね」
「……結局、妹さんはどうなったの。助かったんだよね?」
「うん。でもそのせいで侑生は大怪我だし……色々あったんだよな」
桜井くんは詳細を
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