第12話

「なんでお前そっちに座ってんだ」


「だって俺と侑生が三国の反対側に座ったら、なんか面接っぽくなんない?」


「なんねーよ」


「あ、そうだ、私おばあちゃんに電話する」


「そういやそんな話あったな」



 リダイヤルボタンを押せば、今度はすぐに繋がった。「《英凜えりちゃん?》」という声に変わりはない。



「うん。あのね、おばあちゃん、今日、晩ご飯要らなくなっちゃったんだけど、大丈夫?」



 視界の隅で2人がメニューを開き「腹減った」「もう食うのかよ」「まだ食わねーけど腹は減った」と喋っている。それが聞こえたのか、電話の向こうのおばあちゃんは「《あらそう?》」と少し明るい声を出した。



「《お友達と晩ご飯?》」



 喉がきゅうっと締め付けられた。それを口にしていいのか分からなかった。


 でも多分、桜井くんと雲雀くんは笑い飛ばしてくれる。



「……うん、友達と食べて帰る」


「《そう。陽菜ちゃん?》」


「ううん、陽菜とは別の友達」


「《そう。お友達が増えてよかったね。あんまり遅くなっちゃいけんよ》」


「……うん、分かってる。帰るときに電話する」



 通話終了ボタンを押し、パチンと携帯電話を閉じた。ほんの少し、心臓の鼓動は早かった。



「……ごめん、お待たせ」


「なあ三国」



 雲雀くんの声に、ドキリと心臓が揺れた。友達じゃないと言われたら――大丈夫だ、保護者相手にはそういうことにしておかないと心配されるからそういうことにしたと言い訳は立つ。



「お前、ケータイ持ってんなら、ケー番教えとけよ」



 ぷらぷらと、雲雀くんは水色の携帯電話を振っていた。


 ドキドキと、心臓が高鳴っていた。予想外の反応に、頬が緩むのを押さえられなかった。きっと変なヤツだと思われているだろう。それでも、嬉しさは抑えられない。



「えー、いいなー。俺もケータイ欲しい」


「早くバイトして金貯めろ」


「そうだ、俺ミセス・ドーナツのバイト決まった! 父さんの知り合いがやってるんだって、ちょい遠いけど朝の人が足りねーって」


「よかったじゃねーの。……どうした三国」



 パチン、と雲雀くんは携帯電話を開いて、電話番号を確認する準備をしていた。



「……いや、なんでも」慌てて携帯電話を開き、連絡先の登録画面を開いた。



「三国、教えたくなかったら教えなくていいんだよ。こんなシスコンに」


「シスコンじゃねーし関係ねーだろ」



 学校だったら机を蹴り飛ばしている、そんな態度だった。


「赤外線通信、ついてんの?」


「ついてない、中学のときに買ったから古くて」


「中学のときから持ってんの?」桜井くんは少し驚いた顔で「金持ちィ。あ、コイツもボンボンなんだよ」


「……そうなの?」



 びっくりして雲雀くんを見つめたけれど、雲雀くんはすぐには頷かなかった。代わりにメニューを手に取り「とりあえずドリンクバーとフライドポテトくらい頼むか」と呟き、ボタンを押す。ソーミー、と店内で音が響いた。



「……雲雀病院ってあるだろ。ひいじいさんの代からやってる」



 雲雀病院――おばあちゃんが通っている病院だ。脳裏には、巨大な白い病棟が浮かんだ。通りに面したところには「雲雀病院」と大きな看板が立っていて、いつもいくつもの車がひっきりなしに出入りしている。有体にいえば大病院だ。その正面玄関の光景は、まるで写真のように頭の中にある。


 ひいじいさんの代からやってる、というセリフに父親の代で途切れたかのようなニュアンスはない。ということは、おそらく代々開業医なのだろう。医者の家が金持ちだというのは安直な発想に思えたけれど、少なくとも曾祖父そうそふの代から開業医をしている家はお金持ちだ。桜井くんのいう「ボンボン」はおそらく本当だ。



「……そうだったんだ。全然結びつけなかった」


「結びつけなかったって」雲雀くんは笑いながら「ま、こんなヤンキーだとそりゃそうだな」


「ヤンキーだからっていうか、なんか、そういう人ってもっと威張ってるイメージがあった」



 頭の中には、中学校の同級生が浮かんだ。それこそ、彼も家が開業医だった。その代わり、雲雀くんとは違って父親の代から始めたばかりだった気がする。彼は家が医者だという話をしょっちゅうしていたし、その証拠に全く付き合いのない私でさえ彼の家は医者だと知っているし、なんなら彼が医者を志すがゆえに県外の高校に進学したことも知っていた。


 家が医者だという話をするのはなぜか。文脈や状況が分からなければ、その「なぜ」は分からないけれど、付き合のない私でさえ知っているほどに頻繁にするとすれば、その理由は「自慢」だと容易に分かる。彼は「自慢げに」家が病院だという話をしていた。医者を志しているのだと豪語していた。いつもテストの点数を大声で話していた。その点数の良し悪しはその時々で違ったけれど、少なくとも東中で上位の範囲であることは確かだった。つまり、それもまた彼の「自慢」のひとつだった……。


 そんないくつもの情報を総合した結果、彼のことは「プライドが高いけれど、存外単純なので、分かりやすいお世辞でもわりと喜ぶ」と分類していた。それは「親が医者だ」と話す人にある程度使えそうな、いわゆる汎用性の高い分類だと思っていた。


「でも雲雀くんがその病院の……開業したお医者さんのひ孫って話は初めて聞いたし、桜井くんが言い出したことだし、なんか……意外だなって」



 雲雀くんの情報は増えたけれど、分類するにはまだ足りない。


 雲雀くんは閉口した。閉口している理由は分からなかったけれど、少なくとも不機嫌そうには見えなかった。桜井くんは丸い目を一層丸くしていた。



「……ご注文をおうかがいします」



 ちょうど店員さんがきたお陰で、沈黙は断ち切られた。雲雀くんが閉口していたからか、桜井くんが「あー、えっと」と代わりに注文を請け負った。



「……三国、つーわけで、ケー番」


「あ、うん、番号言ってくれたらかけるよ」



 何かが気にさわったのか、はたまた変なことを言ってしまったのか。分からないまま、雲雀くんの電話番号を携帯電話に打ち込んだ。雲雀くんの携帯電話がチカチカと光ったことを確認して、お互いに番号を登録する。



「……三国の名前って、漢字どうだっけ」


「英語の英に、凜としてるの凜」


「サンキュ」



 雲雀くんの名前は、侑生ゆうきだ。入学式の日に見た座席表を頭の中に浮かべながら携帯電話の中に打ち込む。桜井くんは隣でテーブルに頬をつけながら「いいなー、いいなー」とぼやく。



「あ! じゃあ俺は家の電話番号にする! 教えるから入れて!」


「……いいけど、桜井くんは登録できないんじゃ」


「いつか登録するから!」


「……つか三国、俺の名前分かんの?」



 連絡先に登録するのに迷っている素振りがなかったから、だろう。さすがにその胡乱うろんげな表情くらいは読み取れた。



「うん。侑生でしょ、人偏にんべんに有ると生きるの」


「……なんで覚えてんだ」


「だって、座席表見たから。隣にいるって思ったから、覚えたんだよね」



 慌てて付け加えたけれど、雲雀くんは「ふーん……」と頬杖をついたまま少し不審げな返事をした。桜井くんは「すげー、記憶力いいなー」と拍手をしている。



「つかドリンクバー取りに行こ」


「俺、座っとくから、取ってきて。コーラ」


「んじゃ三国行こ」


「あ、うん……」



 ドリンクバーを取りに行きながらも、桜井くんは「じゃー三国、俺の名前も覚えてんの」「すばるに夜でしょ」「すげー、マジだ」と感動していた。やっぱ頭イイヤツって記憶力もすげーんだな、なんてこれまた安直な感想を口走る。

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