第94話
その瞬間、バシッと桜井くんの手が雲雀くんの手に払われた。
「イッテ……なに!?」
「いや普通に触ってんな何してんだコイツと思って」
「いや侑生が三国に
「俺は触ってないから」
「肩触ってんじゃん!!」
「だから肌に」
「俺だって肌には触ってないですう。三国はキャミソール着てますう」
「なんで知ってんだお前。着替え覗いたのか」
「だって制服って透けてるじゃん。三国ちゃんとキャミソール着てんだなあって見……。…………」
「語るに落ちたな」
「いや不可抗力じゃん! 仕方ないじゃん!」
「……あの」
2人の行動の意味は理解した。桜井くんの言葉のとおり、荒療治だ。
とはいえ、この体勢を続けていると、いくら頭では分かっていても体がついていかない。ドクリドクリと心臓はまだうるさく鳴っているし、雲雀くんに男と女という性別を強調されたせいか、私の体を支配するように上にいる雲雀くんとの距離に、怯えとは別の緊張を感じていた。
「……その……ごめんなさい、分かったので……あの、雲雀くん、退いてくれると……」
「ほーらー、だから言ってるじゃん」
「……悪いな」
雲雀くんはほんの少しバツの悪そうな顔をして退いてくれた。おそるおそる起き上がろうとして、手が
怖かったことに気付かれないよう、ころりと再び横を向いた。その私の目の前に、雲雀くんは横向きに腰を下ろす。頬杖をついて私を見る雲雀くんは、もういつもの雲雀くんだ。
「……怖がらせ過ぎたかもしれねぇけどな、こういうことになるってことは分かってろ。ラブホがなんなのか分かんねーってのは仕方ねーよ、お前多分マジでこういうこと無縁だろうからな。ただホテルつーんだからベッドがあることくらい分かんだろ。ベッドがある部屋に男と行くんじゃねぇ」
「いや……あの……だからその、雲雀くんと桜井くんは信頼を……」
「うーん、あのね、三国、信頼してくれてるのは嬉しいんだけどね」
桜井くんはその語尾のとおり困った顔をした。
「それ、多分マジで俺達だけにしたほうがいいから。普通の男はダメだよ、マジで普通に手出すよ」
「俺は俺達でも信頼すんなって言いたいけどな」
「でも三国のばーちゃんがいないときは三国の家行っちゃだめとか言われたら困るじゃん」
「そういう話はしてねぇだろ」
はーあ、と雲雀くんは疲れたような溜息を吐き「下調べできたし、三国の社会勉強も終わったし、帰ろうぜ。気狂いそうだ、こんなとこいたら」いつもより苛立った声でぼやきながら立ち上がった。
「ほら三国、起きな」
「あ、ありがと……」
雲雀くんはわざわざ私を転がし、仰向けにしてから腕を引っ張り上げてくれた。……もしかしたら、雲雀くんには震えているのがバレていたのかもしれない。
「なんか金もったいない気するけどなー。仕方ないか」
「どうせ払うのは颯人だろ」
「ま、10万円より安いか」
「でも確かに、せっかくならお茶とかって……」
電気ポットもあるし、きっと紅茶とかお茶のパックくらい置いてあるんじゃないかと棚の扉に手をかけると、ガンッと雲雀くんの足が扉を押さえた。
「……あの……?」
「いいから。早く出ろ」
「……でも……?」
「ほら出て、三国。早く出て。侑生の気が変わんないうちに」
「俺じゃねーよお前だろ」
「俺は変わんないですー」
その下調べの翌日の放課後、蛍さんと能勢さんは「おい桜井雲雀、ホウレンソウって知ってっか」「三国ちゃんどうだったー?」と教室にやって来た。前回蛍さんがやって来たときは昼休みだったというのもあってみんな教室にいたけれど、今日はみんなコソコソと出て行った。蛍さんと能勢さんを前に
「で、三国。社会勉強はできたか」
蛍さんは私の前にある机の上に胡坐をかいた。机は座るところではないですよと教えてあげたくなるくらい、あまりにも自然に乗っかっていた。
「あ、えーっと、はい……。私が非常識で愚かでした……」
ぺこりと軽く頭を下げると、背後にやってきた桜井くんと雲雀くんが「もしかして俺ら責めすぎた?」「いやこんくらいの認識になるほうがいいんじゃね」と話すのが聞こえてくる。それを聞いたからか、蛍さんの隣で机に半分腰掛けた能勢さんがいつもの微笑を浮かべながら「社会勉強ねえ」と呟いた。
「ちなみにどこまで勉強したの?」
「どこ……? 内装は一通り観察して覚えてきましたが……」
「覚えてきたの?」
というか覚えてしまったので……とは言わずに黙った。
「なになに? 具体的にどういうところ覚えた?」
「はい、能勢せんせー、侑生が止めたので三国は多分ベッドと風呂以外見てませーん」
「……そう。それは残念……」
何が残念なのかさっぱり分からない。能勢さんは眉尻を下げつつも笑みを浮かべるなんて不可解かつ器用な表情をしているので余計に分からない。
「……えっと……その、用途は理解しましたし、主たる目的がそれだというのも……分かりましたので」
「……つかお前らなんて言って教えた? いやなんて言ってつかどうやって?」
私の背中に目はついていないけれど、2人が揃って目を逸らすのが目に浮かぶようだった。いかんせん蛍さんの顔から表情が消えたのだ、何か(蛍さんにとって)マズイ反応をしたに違いない。
「よし、そこに並べ。順番に聞く」
「えっそれ体に聞くとかそういうヤツっすよね! やだよ俺痛いの嫌い! てか悪いの侑生!」
「いや悪ノリが過ぎたのは絶対昴夜」
「悪ノリじゃないって! 悪ノリだったらもっとガチで押さえつけたりしたって!」
「もっと? ガチで押さえた?」
多分蛍さんがロボットであればその目はギラリと怪しい光を放っていただろう。背後の桜井くんが「あっいや違います! 俺は押し倒してないです!」「俺は?」更に墓穴を掘る。
「いや……だから俺は悪くないんですよ……最初にやったの侑生だし……」
「おい言うんじゃねーよ!」
「何をやった?」
「いやなんも」
「言うなつったろ今」
「えーっとだから本当に悪いことはしてなくて、侑生が三国をベッドに押し倒しただけ」
「ほお」
……2人が怒られるとか怒られないとかそんなことはどうでもいいけれど、聞いていると私が恥ずかしいのでやめてほしくなった。
「確かに俺は押し倒しましたけどそれ以上何もしてないです。俺は服の上から肩押さえただけなんで。昴夜は服の中に手突っ込みましたけど」
「ほお」
「待って、突っ込まれてません」
「突っ込んでないじゃん! ちょっとティシャツ捲っただけじゃん!」
「いや普通に触ってたと思う」
「ちょっとね、ちょっとだけね! 三国が信頼してるから~とか言うからもう本当に三国なにも分かってないんじゃないかと思って!」
「AVつけた時点で分かりはしただろ」
「なに、君ら3人で観賞会でもしたの」
「してないです!」桜井くんが大声で「侑生が三国押し倒してテレビつけて『こういうことすんだよ分かったか』って言っただけです!」
桜井くんのセリフに、蛍さんはまじまじと雲雀くんを見た。信じられないものでも見るような目つきだ。
「……お前マジでそれで手出さなかったのか。なんか見る目変わった、偉いな」
「最初からそう言ってるじゃないですか」
最早2人がどんな顔をしているか想像もできなかったけれど、少なくとも何が起こったのかを赤裸々に話されて恥ずかしかった。顔から火が出るとはこのことだ。
「つかまあ全体的にマジでバカな三国が悪いです」
「私のせい……?」
「ラブホ知らねーのはマジで非常識」
「だ、だって使ったことないし……見たこともないし……雲雀くん達こそなんで知っ──」
「つか蛍さん聞いてください」雲雀くんは私の言葉をガン無視して「三国、ラブホのことなんだって言ったと思います? バブル期に低予算で建てられたせいで天井が低くて窓がない欠陥ホテル、そして欠陥=ゼロ=ラブでラブホテルですよ」
「…………」
蛍さんはぱちぱちと何度か瞬きした。隣の能勢さんはぶっと吹き出したかと思うとヒイヒイ言いながらおなかを抱えて笑い始めた。
「……三国お前マジでバカか?」
「……確かに私は頭は悪いですが」
「頭が悪いとかじゃねーよバカだよ! 欠陥がラブってなんだふざけてんのか!」
「だ、だってなんか普通にお風呂とか豪華でしたし、ベッドも大きいし、普通のホテルとの相違点を探せと言われると天井の低さと窓がないことくらいしか……あ、でもお風呂の豪華さのわりにシャンデリアとか妙に安っぽくてやっぱりそこも予算配分がおかしいとすれば筋が通るところではあって」
「…………」
蛍さんは深い溜息を吐いた。私の被害妄想でなければ、おそらく、ここからなんと言って私を叱るべきか考えている。でも私の思考が間違っていたことは既に雲雀くんにも桜井くんにも指摘された後だし、ここで更に蛍さんに叱られることはないはずだ。……多分。
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