#74 開演準備
「やあ、達海。元気にしているかい?」
カモクは達海が拘束されている部屋の前に来ていた。彼女は牢の前でしゃがみながら方杖をつき、達海のことをニヤリと見つめた。
「あ、あ、あああああ! 出せ! ここから出して早く出せ! 出せよおぉぉぉぉ」
達海が鉄格子に飛びついてガタガタと揺さぶった。目玉が飛び出るほどに見開かれた瞼の下には、くっきりとクマができている。
「出してあげるよ。君がGHに入局すると言ってくれさえすれば。僕と一緒に来てくれない?」
「誰がお前なんかと……お前なんかと! GHになんてなるものか。いいから出しやがれ! ここから出せよ!!」
「そうか、残念だな。また来るよ。その時はいい答えが聞けることを期待しているね」
カモクは少し寂しそうな顔をすると、ゆっくりと立ち上がり達海の前から去っていった。
GH本部の事務室では、明日香とケビンが話し合っていた。カフェ陰陽への襲撃はいよいよ明日行われる。
「ナア、本当ニヤルノカ? 俺、陰陽師ニ殺サレタクナイゾ」
ケビンはうんざりした様子で目の前の資料や文具が散らかっている机に突っ伏した。その勢いで机の上のボールペンがころころと転がり、床に落ちる。
「警察トップからの命令じゃ、仕方ないだろ。陰陽寮の奴らが手出しできないような仕掛けをしたという副局長の言葉を信じるしかねーよ。それに、久々に幽霊を狩りまくれるんだ。楽しむっきゃないっしょ」
明日香はボールペンを拾い上げると、それをケビンに手渡した。
「ナンデソンナニ楽観的デイラレルンダカ……バカナノカ」
ケビンが明日香に聞こえないように小声で言った。
「なんか言ったか?」
「ナンデモナイデス!」
「鏑木さーん。なんで俺らは明日本部で待機していなきゃいけないんすか?」
資料室で整理をしながら圭が剛に愚痴を吐く。剛は難しい顔をしながら資料を眺めていた。
「さあな、それがカフェ陰陽への襲撃に何か関係があるんだろう。最も副局長もその理由を知らないようだったしな」
「局長と副局長は明日、陰陽寮で陰陽師との談合があるんすよね。まさか二人で安倍晴明を足止めに?」
「まさか、そんな安易な考えではないだろ。以前から予定されていたただの親睦会らしい。だが、どうしてカフェ陰陽に襲撃する日をそこにぶつけてきたんだろうな。長官はいったい何をしようとしているのか」
「長官様の考えることは俺らにはさっぱりっすね。まあ、一番困惑しているのはあの人じゃないっすか」
「カモク、明日の指揮は君に任せる。頼んだ」
GH本部の廊下を歩きながら、麻里香の言葉にカモクはコクリと頷いた。
明日は京都に行かねばならない。安倍晴明から話し合いたいことがあると呼び出されたのだ。この予定は数ヶ月前には決まっていた。
なぜこのタイミングで、なぜ私が不在の時にカフェ陰陽の襲撃を決行するのか。春明に恩がある私が邪魔なのか? 否、それは長官も同じはずだ。
麻里香は心中で困惑していた。
「いったい何を考えているのだ、父さん」
夜になった。明日、何か大きなことが起こる。そんな漠然とした不安を抱えながら美波は達海の元へ夕食を届けに向かった。
「春明ぃー。レイぃー。会いたいよ。会いたいよ」
牢屋に近づくと達海の泣き声が聞こえてくる。
「夕食の時間です」
達海は夕食を運んで来た美波の姿が目に入ると、勢いよく鉄格子に飛びかかった。
「ここから出せよ! 早く出しやがれ! 俺が何をしたって言うんだ! 出せ出せ出せ出せ出せ出せ! 俺をここから出せ!!」
美波は小さくため息を吐くと、牢の鍵を開けて中に入り達海の近くにお盆ごと夕食を置いた。手錠で左腕を檻に繋がれた達海は、腕が引きちぎれんばかりに美波に向かって飛び掛かろうとする。
「大人しくしてください。ろくに寝てもいないんでしょ。このままじゃ身が持たないですよ」
美波は、牢から出ると鉄格子の近くに体育座りで腰を下ろした。そしてぼんやりと達海のことを眺める。
「……お願いです。ここから出してください。レイが……レイが無事なのか知りたいんです。皆んなに会いたいんです」
達海が俯いて涙を落としながら少し掠れた声で言った。今まで叫びすぎていた所為だろう。
「私にそんな権限はないよ。……ねえ、ほんとにあなたが大輝を殺したんですか?」
「だから違うって何度も言ってるじゃないか」
「…………」
「…………」
少しの間、沈黙が続いた。その間、美波は何か考え込んでいるようだった。
「……おじいちゃんのおとぎ話……覚えていますか」
突然、親族について口にした達海に美波は少し驚いた。
「農民の元に来た美しい女の話ですか?」
「はい、豊作をもたらした天使のような女の話です。俺にとってレイがそうなんです。彼女がちっぽけな世界にいた俺を連れ出してくれたんです。彼女のおかげで俺は今まで見たことのない世界を知ることができたんです。……でも、このままこうしていたら彼女はどこか何処か遠くに行ってしまう気がして。だから会いに行かないといけないんです。此処から出ないといけないんです……」
「そう……なんだ……」
そう言って美波は、ゆっくりと視線を下に落とした。
美波は少し困惑していた。毎日毎日、達海に会うに連れてある疑問が生じていたのだ。本当に彼が大輝を殺したのだろうか? と。まだ二十歳になったばかりの青年が、殺人を犯してこんなにも必死に嘘をつけるものなのだろうか。
それだけではない。GHという組織にもどうにも不信感がある。まず、大輝殺しの件は全てカモクの証言によるものであり、達海が大輝を殺したという明確な証拠となり得る凶器はいっさい検証されていない。そして、このタイミングでの明日の作戦について。カフェ陰陽の襲撃が明日香とケビンの二人だけで他の局員は本部に待機だなんて明らかにおかしい。何か裏があるはずだ。これは達海をGHに引き入れるため、そしてカフェ陰陽を潰すための策略なのではないか。
「レイって……君と一緒にいた死装束の幽霊のこと? 彼女を守るためなら人殺しも厭わないんじゃないんですか?」
「そんなこと……絶対にしません。だって、彼は俺の友達の大切な人だったから」
俺の友達……カメラの幽霊のことか、と美波は理解した。彼に人殺しなんかできない。やはりこれはカモクが……GHが何かを企んでいるに違いない。
「幽霊は私が思っているより恐ろしい存在ではないようですね。あなたが知る幽霊について私に教えてくれませんか」
「……わかりました」
美波からのお願いに達海は静かに答え始めた。
幽霊は生者と変わらず感情があること。幽霊には皆、未練があること。その未練をなくすことで幽霊は成仏すること。幽霊は皆、成仏したがっていること。幽霊は初め、生前の記憶がないこと。未練に恨みや憎しみを持つ幽霊は悪霊になってしまうこと。幽霊に強いストレスをかけても悪霊になってしまう可能性があること。人間に危害を加えるのは悪霊だけであるということ。
達海は幽霊について自分が知る限りの情報と幽霊が決して怖い存在ではないということを美波に必死に伝えた。
「だから! 無差別に幽霊を襲うのはもうやめてください。レイもアクタもお嬢もマッチョも……みんないい人たちなんだよ……」
達海は顔を俯かせながら目をぎゅっと瞑って涙を流した。
美玲はそんな達海の様子を見て「ふう」と一息ついた。そして、真面目な顔つきで達海に話しかける。
「わかりました。これまでの非礼の数々、お詫びします。申し訳ございませんでした。私はあなたのことを信じます。信じてみることにしました」
美波の言葉に達海は顔を上げた。
「だからこそ、これからのことを話します。あなたと共にいた死装束の幽霊はまだ除霊されていません。けれど、明日、カフェ陰陽への襲撃が決定しました。GHはそこでカフェ陰陽に巣くう幽霊たちを根絶やしにするつもりです」
「な……んで。どうして! どうしてそうなるんだよ! ……春明は? 春明さんはどうなる!」
達海は再び鉄格子に飛びついた。そんな達海に臆することなく美波が答える。
「拘束するそうです。私の予想では、あなたはカフェ陰陽襲撃の出しに使うためにここに連れてこられたんだと思います」
「……許さない。絶対に許さない。陰陽に手を出したらお前ら皆んな殺してやる!」
「本当に頭を冷やしてください。そんなことを言っていたら殺人犯と疑われても仕方がありません。……今はまだ、此処から出してあげることはできませんができる限りあなたに協力しようと思います。私も……この組織が信用できなくなってきました」
そう言って美波は立ち上がった。
「……そして何より、あなたは私の可愛い従弟ですから」
美波は達海の目を真っ直ぐに見て軽く笑みを見せると牢獄を後にした。
達海の拘束と明日の襲撃がどう関わっているのかはわからない。しかし、このタイミングで襲撃の指令があったということは達海が何か鍵を握っているのだろう。美波は明日に備えて早めに帰宅した。
――同時刻、カフェ陰陽にて。
レイは陰陽二階の窓から月を眺めていた。春明と言い合いをしてからこの部屋に篭りっぱなしだった。そこから春明と口を一切聞いてもいない。……達海は元気にしているだろうか。そんな不安ばかりが募っていく。
「レイ、いい加減春明と仲直りしたらどうだい?」
レイにアクタが優しく話しかけてきた。
「確かに俺も何もできないのは不服ではあるよ。でも俺たちじゃGHに立ち向かうことはできない。それはレイだってわかっているはずだ」
「そうだよ。わかってるよ。でもさ、このまま何もせず達海に何かあったら絶対に後悔すると思う。春明のことだって恨んじゃうと思う」
やるせない表情でレイは歯を食いしばる。
「……達海少年の無罪を証明できれば万事解決じゃないのか?」
同じ部屋で腕立て伏せをしていたマッチョが会話に入ってきた。
「それはそうだけど、どうやって証明する?」
「真犯人に繋がる証拠を見つければいいんじゃないか」
「だめだよ。その犯人もGHなんだよ。もうとっくにもみ消されているよ」
レイがマッチョに反論した。
「ぐぬぬ、やはりGH本部に乗り込むしかないのか。いや、それじゃあ除霊されてお終いか」
マッチョが顔を顰めていると、突然陰陽の幽霊ではない別の声が聞こえてきた。
「お困りのようですね」
忌々しい、あの声。
「ピエロ!!」
窓枠に寄っ掛かりながらピエロが座っていた。レイ、アクタ、マッチョがピエロに向かって拳を構える。
「おやおや、今回は君たちを助けに来たんですよ。その物騒な拳を下げてもらえます?」
ピエロが両手を上下させて下ろせというようにジェスチャーをする。
「助けに来た? 以前達海とレイを襲ったそうじゃないか」
「そうだよ、いったいどういうつもり?」
アクタとレイがピエロを睨みつける。
「誤解だよ、誤解です。あの時は助言をしてやったのです。勝手に暴れたのはあなたたちでしょう?」
ピエロが顔の横で両手をひらひらとさせておちょくるような動きを見せる。
「絶対に嘘だな! この道化師め!」
マッチョが拳を突き上げて叫んだ。
「嘘じゃありません。酷いです。今回はせっかく助けに来たのに。GHには俺も恨みがあります。警察組織は大嫌いです。……達海が捕まったそうですね。かわいそうに」
「かわいそうだなんて思ってないくせに」
レイがピエロから目を逸らして呟いた。
「思ってます。本当です。きっと彼は殺されてしまうでしょうね。俺はGHのことをよく知っています。GHはそういう組織です」
『!!』
ピエロの言葉に幽霊たちは驚愕の目を向ける。
「そこで、提案があります。俺たちでGH本部に乗り込みませんか。乗り込みましょう。俺の目的はGHの壊滅。あなたたちの目的は達海の奪還。利害の一致です」
「確かにピエロがいればなんとかなるかもしれない……だけどこれは間違いなく罠だろうね」
アクタが右手で顎をおさえながら言った。
「おやおや信用ないですね。でもあなたたちはGH本部の場所を知らない。でも俺はGH本部の場所を知っています」
「しかし、ワタクシたちにも春明少年がいる! 彼に頼めば解決だ!!」
「でもでも、彼を頼るのが正解ですか? 現に彼は問題を先延ばしにしているだけです。彼は信用できません。こうしている間にも達海は死んじゃってるかもしれませんねぇ」
「ぐぬぬ……どうするレイ」
マッチョが不安な顔でレイに答えを求めた。
「信用はできない。でも、達海を助けられるならなんだってやる。ピエロにだって利用されてやる」
覚悟が決まった表情のレイの言葉を聞いたピエロが小刻みに拍手をした。
「そうか!! ならばワタクシも行くぞ!!」
「ちょっと、まずは春明に…………はあ、俺もついて行くよ」
アクタはやれやれという様子で仕方なくレイたちに賛同した。
「決まりだね、決まりです。そうとなればさっそくにGH本部へと向かいます。達海はまだそこにいます。共に頑張りましょうね」
ピエロの口角がニッとさらに釣り上がる。
「きっと、きっと達海を助けてみせる」
レイ、アクタ、マッチョはピエロと共に窓から飛び出して陰陽を後にした。
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