#52 お袋

「会っておきたい人が居るからさ。ちょっと外出るわ」


 春明は達海たちにそう告げると、部屋を後にした。屋敷の廊下を寝殿とは逆方向に歩き、別の建物をつなぐ渡り廊下を進んでいく。

 春明は部屋へと繋がる襖がいくつもある廊下を歩いて行き、ある襖の前で立ち止まった。「ふぅー」と一息ついた春明は襖の近くに顔を近づけた。


「お袋、居るか?」


「…………」


「お袋?」


 春明が襖を開けようとしたその時、


「春明さん? やっぱり春明さんじゃないの! お客さんいうのは春明さんだったんね」


 後ろからした女性の声に春明が振り返る。


「ああ、マチちゃん。久しぶり」


 そこには色鮮やかな着物に美しい艶やかな髪を伸ばした妙齢の女性が立っていた。


「彩葉さんをお探しで? 多分厨房に居ると思うわ」


「厨房か、ありがとう。行ってみる」


 春明は足早に厨房へと向かった。


「後で晴明さんの愚痴を聞いてくださいよー!」


 マチちゃんと呼ばれた妙齢の女性はそんな春明の背中を見送った。



 春明が厨房を覗くと割烹着を着た陰陽師の男たちがせかせかと野菜を切ったり、フライパンを振ったりしていた。

 その中で頭に白い手拭いを巻いた若々しい女性が一人、玉ねぎを刻みながら男たちに指示を出している。


「その刺身切り終わったら、あそこの長方形の皿に盛り付けて! そこ! 火をもっと弱めて! 焦げちまうよ!」


 手拭いを巻いた女性を春明が厨房の入り口からしばらく眺めていると、彼女がこちら側に気がついた。


「何つっ立ってんだ春明! ぼさっと見てるならこっち来て手伝いな!」


「……それが久々に帰ってきた息子に向かって開口一番にかける声かよ」


 春明が女性に向かってヘラっと笑いかけた。


「彩葉さん、春明くんと久々に会って積もる話しもあるでしょう。ここは私たちに任せて行ってください」


 盛り付けを行なっている一人の男が右手の親指を立ててグッドポーズをして見せた。


「あんたらだけでしっかりできるのかい?」


 男たちが彩葉に向かってこくりと頷いてみせる。


「分かった、それじゃ頼んだよ」


 彩葉が頭に巻いた手拭いを取りながら廊下へと出てきた。


「相変わらず元気だな、もうすぐ五十になるとは思えねぇ」


「久しぶりだね春明。あんたは会うたびに出会った頃のあの人に似てきてるよ」


「はは、そうかい」


「そっちも色々と大変みたいだね、お義父さんの事は本当に残念だったよ」


 彩葉が目を伏せながら言った。


「ああ、本当に。最近さ、考えることが多すぎて頭の中がぐちゃぐちゃなんだ。俺が進んでいる道は正しい道なんだろうかって不安になってばかりだよ」


 春明は少し涙ぐみながら言った。そんな様子を見た彩葉は春明のことを優しくそっと抱きしめた。


「そんなんじゃ私は尚更くたばってられないね。いつまでも元気でいなくちゃ。あんたなら大丈夫だよ、きっと正しい道を進んでる。それでも道に迷ったと思ったらいつでもここに来な。母さんが一緒に迷って道を探してやる」


「……ありがとな、お袋」


 母の抱擁はとても温かかった。時々しか会わない他人のような関係。それでも親子だと感じさせる安心感のある抱擁だった。


「今回は晴明から色々教わるんだろ? 今日は私たちの作った料理をたんと食べてしっかりと体を休めな。明日からは特訓頑張るんだよ」


「ああ、料理楽しみにしているよ」



 その夜の安倍家での宴会は大いに盛り上がった。盛り上がるといっても、酒を飲んだ晴明が終始暴れているだけであったが。それを吉昌とマチちゃんがおろおろしながら止めようと頑張っていた。最終的にはずっと不機嫌だった吉平の一喝により暴れ馬と化していた晴明はピタリとおとなしくなった。

 料理は刺身に天ぷら、煮物とどれも高級食材を使った豪華なものであった。達海はそれらを腹が膨れるまで頬張った。幽霊たちも料理を味見して頬を蕩けさせていた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、ひとしきり楽しんだ達海たちは部屋へと戻った。



「いよいよ、明日からは特訓ですね。俺も参加させてもらっちゃっていいんでしょうか」


 達海が右手の人差し指で頬をポリポリと掻きながら言った。


「いいんだよ、晴明さんがあんたの可能性を試したいって言ってるんだから」


 春明は布団を敷きながら達海に返事した。


「俺も虎を使役出来るようになったりするんでしょうか」


「さあ、どうだろうな」


 春明は達海に向かってニヤニヤとした表情を向けた。


「……なんですか」


「いや、天池にもそういうところがあるんだなと思って」


「男は結局かっこいいものが好きなんですわよ。いつまで経っても精神は中二ですわ」


 お嬢が達海の布団でゴロゴロしながら言った。


「達海なら出来るよ、頑張ってね!」


「うん、頑張るよレイ」


「ワタクシたちは春明たちが特訓している間、京都を満喫しようじゃないか!」


「俺たちの一番の目的はそれだからね」


 マッチョとアクタは行ってみたい場所を次々に挙げていった。それを聞きながらレイとお嬢は目を輝かせていた。


「あんまり、はしゃぎすぎるなよ。危ないと思ったらすぐに逃げ隠れするんだぞ。あと、陰陽寮の周りには結界が張られているから、帰ってきたら正門を素早く五回ノックしろ。陰陽師の誰かが通してくれるから」


「了解した!!」


 春明の言葉にマッチョが元気よく返事をした。


「達海も四日目は私たちと一緒に観光に行こうね」


「分かったよ、楽しみだな」


 達海は幽霊たちと観光の話に花を咲かせ、眠りについた。



 

 次の日、達海は朝早く起きて陰陽寮の中を散策していた。達海が起きた時にはすでにレイたちの姿はなかった。きっとレイたちも陰陽寮を見てまわっているのだろう。勝手に見て回って怒られないだろうか。それにしても本当に広いな。そんなことを思いながら達海は庭園の方へと向かって行った。


「……か……た……鷹!」


 庭園の方から何やら声が聞こえてくる。

 達海は声がする方向に向かい、建物の影からそっと覗き込んだ。すると一人の灰色の着物を着た女性が鷹の式神を操って的に向かって突進させていた。


「おお」


 その美しい光景に達海からは思わず感嘆の声が漏れていた。その瞬間、女性は達海の方に振り返った。


「誰!?」


 まずい、見つかってしまった。そう思った達海は仕方なく彼女の方へゆっくりと歩いて行った。


「えっと、その……俺は春明さんの知り合いで、昨日からお邪魔させてもらってます……」


「あー、昨日来たっていうお客さんか」


 ウェーブのかかった茶髪に大きな瞳。高校生くらいの年齢だろうか。達海が苦手なギャルのような風貌にたじろいでいると、彼女は右手を達海に向かって差し出してきた。


「ウチは保憲の娘の賀茂星奈せいな。ここで修行していたことパパには内緒ね」


 そう言った星奈は、左手の人差し指を立てて自らの口元に持っていくと左目をぱちっと瞑りウインクをしてみせた。







 






 

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