#68 公
神川学院大学の誰もいない大講義室の後方の席で達海は一人、項垂れていた。
達海の誕生日から一ヶ月以上が経過していた。あの日からカフェ陰陽には行けていない。
(日記を勝手に見たこと、春明さん怒ってるよな……)
達海の頭には、春明の恐い睨み顔がこびり付いていた。とてもとても恐い顔が。あの日記は見てはいけないものだったのだろう。
それにしてもあのページの日記、十二年前の五月二十一日。春明さんは何に巻き込まれてしまったのだろうか。麻里香という人物について調べようともしたが、その人物らしき情報はどこにもなかった。それどころか、日記に書かれていたような事件は十二年前に起こったという記録は一切なかった。レイに聞けば何かがわかるのだろうか。……いや、だめだ。春明さんは訳あってレイを除霊しようとしていたのかもしれない。レイが生前の事を思い出してしまうのはまずい気がする。
達海はふと洞窟での出来事を思い出した。
『この札を剥がしたいと思っているはずだ。あの時のように』
『あなたの所為で皆が不幸になるのです! あなたの友人も! 家族も! 皆あなたのせいで! しょうがないのです。今日、あなたはまた大切な人を失う! あの時のように!』
あのピエロの言葉、怯えきっていたレイ……。日記に出てきた、自ら家族を手にかけた彼女……。きっと恨んでいる……。レイが……麻里香?
嫌な考えがよぎった達海が頭を激しく振った。
「どうしたの? 達海」
「うわっ! いきなりびっくりさせないでくれよ、レイ。なんでここにいるんだよ」
達海が座る席の前にレイが立っていた。
「だって達海が全然陰陽に来てくれないんだもん。春明に聞いてもずっと答えてくれなかったし」
「ごめん。ちょっと春明さんと喧嘩しちゃって……」
「やっぱり! 昨日春明も言ってたんだよ。『ちょっと恥ずかしいもん見られちまって、動揺して恐い顔しちまったんだ』って」
レイがやれやれという仕草を見せる。
「天池に謝りたいから見かけたら話しておいてくれって、春明にお願いされたんだよ」
春明さんは動揺していただけだったのか、と達海少し安堵した。俺は何をクヨクヨ悩んでいたのだろう。第一、あの日記は十二年も前のものだ。レイを除霊しようとしているのならばとっくにしているだろう。もし、春明さんがレイの生前を知っていたとして、なぜそれを隠していたのかはわからない。しっかりとあの日記の事を聞かなければならない。レイのためにも。
「俺も春明さんに謝らないと、講義が終わったら陰陽に行くよ」
達海はレイに優しい笑顔を向けた。
「よかった。アクタもお嬢もマッチョも皆んな心配してたんだから。ちゃんと仲直りしてよね」
レイも達海に笑顔を向ける。
すると、講義室に人が数人入ってきた。もうすぐ講義が始まる。
「講義中、大人しくしておいてくれよ」
「わかってるよ」
小声で注意する達海に対して、レイも小声で答えると左手の親指を立ててグットポーズをしてみせた。
「たつみー、早いな。もう来てたのか! 移動する時、声かけようと思ったのにいつの間にか居なくなってるからさ」
達海が座る席の隣に一人の青年が座ってきた。
「ごめん悠真。ちょっと考え事したくて」
「講義室入った時もなかなか見つけられなかったんだからな。おまえ、最近さらに影が薄くなったよな?」
悠真が口を尖らして嫌味っぽく言う。
「本当に置いていって悪かったって……」
「ところで、考え事って何だよ。彼女と喧嘩でもしたか?」
「ばか! 彼女なんていないって言ってるだろ」
「その指輪、絶対彼女にもらっただろ。達海はそういうの自分で買わなそうだもん」
「だからこれは知り合いに貰ったんだって」
「ふーん、知り合いねー」
必死に弁解する達海に悠真は疑惑の目を向ける。
「まあいいや、何か悩んでいるそんな君にはこれを見てもらおう!」
そう言って悠真は達海に自分のスマホの画面を見せてきた。画面には気持ちの悪い魚のお面を被り、白衣姿の細身な男が映し出されていた。
「これって……」
「ワカサギマッチョくん」
「まだこの人の動画見てたんだ」
ワカサギマッチョくんは有名動画配信サービスのクリエイターでいろんなところでいろんなチャレンジを行なっている。しかし、動画チャンネルの登録者は百人にも満たない、いわゆる底辺配信者だ。なのだが、なぜか悠真はこの人にはまっている。
「今回の動画は絶対おもろいから! 元気出るべ」
動画内では、ワカサギマッチョくんが今回の検証内容を喋り始めていた。
「どーも、海族の皆様ー! ワカサギマッチョくんです。今回の検証はこちら! 死んだおばあちゃんに会ってみたー! という事でね、えーこれから、日本最後のイタコさんと呼ばれる方にお会いしまして、私のね、おばあちゃんのね、幽霊をね、憑依させてもらおうと思います! では、早速行ってみましょう」
イタコ……、幽霊を自らの体に憑依させて生者と死者を媒介する人か。今までこんなのは嘘っぱちだと思っていたが、天国があるということは本当に幽霊を憑依させているのだろうか。達海は気がつけば動画を食い入るように見ていた。
「えー、ということで私は今、青森県に来ております。この辺りにね、イタコのお婆さんが居るという事みたいなんですが、あ! それらしき人を発見しました。早速、お話を伺ってみましょう」
神社にやって来たワカサギマッチョくんが、二十メートルほどの御神木の近くに座る白い巫女服姿のおばあさんに向かって歩いていく。
「こんにちは! 動画配信をしているワカサギマッチョくんと言います。あなたがイタコさんですか?」
「ああ、私がイタコじゃ」
「本当にイタコは居たんだ!」
このタイミングでわざとらしく驚く仕草を見せるワカサギマッチョくん、そして『デデン』というチープなフリー素材の音源が流れる。
「それでは早速なんですけど、私の死んだおばあちゃんに会いたいんです。会わせてくれますか?」
「わかった、それじゃあお前さんの名前、おばあちゃんの名前、おばあちゃんの死んだ日、おばあちゃんの生年月日を教えてもらおうか」
そこで動画は『個人情報タイム』というテロップと共にチープな音楽が流れ、早送りで進んで行った。
「はい! という訳で、色々な情報をこのイタコさんに教えました。これから、死んだおばあちゃんに会いたいと思います」
動画内でイタコのおばあちゃんが目を瞑り、ぶつぶつと何かを唱え始めた。しばらくすると、イタコはガクッと下を向き、そしてゆっくりと顔を上げた。
「ピーーー か?」
「そうだよ! おばあちゃん。ピーーー だよ」
本名を言っているであろう部分で「ピーーー」という規制音が入る。
「会いたかったよおばちゃん!」
ワカサギマッチョくんはイタコの降霊術によって憑依したおばあちゃんと思い出話を楽しんでいた。
「すまない、そろそろ時間だよ。それじゃあね」
「待ってよ! もう少しここに居てよ! おばあちゃん!」
イタコが再びガクッと顔を下に向けるとすぐに顔を上げた。
「これで終わりじゃ、どうだい、話したいことは話せたかい?」
「はい。とても貴重な時間を過ごすことができました。ありがとうございます」
ここで動画の場面が切り替わった。まだ神社内のようだが少しだけ場所を移したようだ。後ろの方に先ほどの御神木が少し見えている。そこにイタコの姿はすでになかった。
「ということで検証結果! あのイタコさんは…………」
ワカサギマッチョくんが体を仰け反らして言葉を溜める。
「偽物でしたーーーー!!」
彼はそう言うと小刻みに拍手をした。
「えーー、私はおばあちゃんに会ったことはありません! 先ほどの思い出話も全部嘘っぱちでございます。私はね、これは死者を冒涜する行いだと思いますね。阿漕な商売ですよ」
ワカサギマッチョくんは右手を握りしめて怒ったような仕草をした。
「これって業務妨害になるんじゃ……」
「確かに今回はだいぶ攻めた企画だな。BANされないといいけど」
達海からの指摘に悠真はチャンネルの相続を心配した。動画は終盤へとさしかかっていく。
「皆さんもね、こういう罰当たりなことをすると呪われるかもしれませんから気をつけてください。ただ、エンタメとしては楽しめる場所だなとは思いました。気になる方は是非、ここを訪れてみてはいかがでしょうか。次回の配信は二月十六日になります。それでは動画の評価、チャンネル登録よろしくお願いします。また、別の動画でお会いしましょう! さよなら!」
そして動画は終わった。
「ん?」
「ん? どったの達海」
「ちょっと動画戻してみて、評価とチャンネル登録よろしくのあたり」
「うい」
達海の指示で悠真は動画を巻き戻していった。
「ここ! この大木の後ろ、なんか黒いのが見えない?」
「本当だ、なんか黒いモヤ見たいのが見えんな。何だろう」
「悪霊……かな」
後ろで静かに見ていたレイがポツリと言った。達海はレイにこっそりと視線を送る。
「この動画っていつ投稿されたの?」
「もう、三ヶ月以上前だよ。あ、コメント欄でも少し騒がれてる。『ここの黒いモヤなに?』、『ちょっと、本当に幽霊映ってんじゃん』、だって」
コメント欄をスクロールさせながら悠真が言った。
「この人、無事なの?」
「まあ、最近も動画投稿してるし無事なんじゃん? ワカサギくんの動画たまにこういう心霊現象みたいのが起こるんよ。心霊現象も動画のネタにすればいいのに、勿体無い」
「してないんだ」
「全くしてないの、したら絶対バズるのに……やべ、先生来た」
講義室に講師が入って来たのを確認した悠真は急いでスマホをズボンのポケットにしまい込んだ。
講義中、達海はワカサギマッチョくんの動画をぼんやりと思い返していた。イタコのおばあちゃんが偽物だったってことは降霊術なんて本当はできないのだろうか。それとも、あのおばあちゃんは違う何かを呼び寄せてしまったのだろうか……。
ガチャ!
突然、講義室の扉が開き白いトレンチコートを羽織った長髪の大男と、同じく白いトレンチコートを羽織った白髪で小柄な女が入ってきた。男が扉近くに一枚の札を貼り付ける。
「こんにちは、警察です。この教室に爆発物が仕掛けられている恐れがあります。皆さんは速やかに教室から出て避難してください」
大柄な男が警察手帳を見せながら叫んだ。講義室中でざわめきが起こる。
「先生、避難指示を」
「あ、はい。皆さん落ち着いてゆっくり急いで出口に向かって来てください!」
先生が慌てて矛盾した指示を叫ぶ。すると、学生たちは一斉に立ち上がり出口へと急いだ。中には叫び声を上げる者もいた。
「やばいな、達海。早く俺らも行くべ……あれ? 達海? くっそもう行ったのかよ」
一瞬で騒がしくなった講義室は、また一瞬で嘘のように静かになった。
講義室には三人。そして幽霊が一人。講演台の近くにいる大男が講義室後方の席に立っているメガネの青年を見上げる。
「やっぱり、お前関連だよな……久しぶりだな、達海」
「大輝……!!」
広い広い講義室の中で因縁の二人は互いに見つめ合っていた。
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