#67 地下室
達海は目の前に現れた階段を恐る恐る降りて行った。
階段の終着点の先には一つの扉があった。地下に部屋なんてあったのか、と達海はその扉のドアノブに手をかけた。それと同時に達海はピエロの言葉を思い出す。
「春明のことは信じるな」
そんなのはピエロの戯言に決まっている。きっと大丈夫だ。そんな言葉を自分に言い聞かせながら、達海は扉をゆっくりと開いた。
中は暗く、達海は照明のスイッチがないかと扉近くの壁を手探りで探した。
「これか?」
スイッチのようなものを見つけた達海はそれを押した。
「あ、ついた……陰陽にこんな部屋があったのか」
薄明るい照明がついた部屋に入ると、達海の目の前には大量の本が広がっていた。八畳ほどの広さの部屋の壁には、天井近い高さまでの本棚が全面に置かれており、全ての棚にびっしりと本が並べられている。部屋の真ん中には学習机がポツンと置かれていた。
達海が机に近づいてみると、机には一冊のノートとペンが置かれていた。ノートは開きっぱなしになっていて、達海はそれを覗き込んだ。
四月九日 今日はよく晴れた。明日は天池の誕生日だ。料理の材料も大量に買い込んだし、プレゼントの指輪も買った。きっと大喜びするだろう。明日が楽しみだ。
ノートには、昨日の出来事が軽く書き込まれていた。その前の日も、その前の日も。毎日、その日起こった出来事が簡単に書かれていた。
日記なんて付けていたのか。春明さんは本当にマメな人なんだなと、達海は春明の日記を眺めていく。幽霊たちとの楽しい思い出、悲しかった出来事などさまざまなことが綴られている。
「そうだ、レイたちと出会った頃の日記もあるんじゃないか」
達海が机の棚に目をやると何冊もの日記が立てかけられていた。達海は次々にノートを取り出して日付の欄をパラパラとページを捲りながら確認していった。
「十二年前だと……この辺りかな」
一冊の日記を手に取った達海がページを捲っていると、レイと皆んなで写真を取ったという日記が書かれているページを見つけた。アクタが始めた記念撮影のことだろう。きっとレイが陰陽にやってきたのはこの頃だ。さらにページを戻していく。
「これか……」
六月三日 死装束の格好をした幽霊が洞窟の前をうろうろと彷徨っていた。あの時の少女の幽霊だ。ここで彼女たちに何があったのかは俺にはわからない。でも彼女はきっと恨んでいるだろう。俺は彼女を陰陽に連れ帰った。俺は彼女にレイという新しい名を名付けた。これから俺は彼女たちを守っていかなければならない。真実からなるべく遠ざけながら。これは罪滅ぼしだろうか。本当にこれでいいのだろうか。
「……?」
達海は頭に疑問を浮かべながらさらに日記を遡った。すると次第に日記に書かれた文字は荒くなっていった。
五月二十四日
麻里香とは誰のことだろうか。何やら不穏なことが書かれていたページを達海はさらに捲って戻した。
「なっ……」
達海は自らの目に飛び込んできた荒々しく悍ましい文字に目を見開いた。一気に酔いが覚めていくのを感じ取った。
五月二十一日 死んでいた死んだいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んだいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んだいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んだいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んだいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた死んでいた
血の海の中あいつは俺を見て笑いやがった。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。俺の目の前で首を掻き切って。間に合わなかった。みんな死んでしまったかもしれない。少なくとも二人は確実に死んでいた。俺のせいだ。俺が面倒くさがらなければ。俺が怠けたりしなければ。こんなことにはならなかったかもしれないのに。
殴り書きされた痛々しい文字は日記帳全面に広がっていた。春明の悲痛な叫びが伝わってくる。春明は何か事件に巻き込まれたのだろうか。一家心中? そのなかに生前のレイがいるのだろうか。
「そうだ、GH創設についても何か書かれてないか」
達海はページを進めた。
「『十月四日、芦屋道竹の打診により警察組織に幽霊対策局という新たな局が設立されることが急遽決定した。……もう時間の問題だ。彼女たちの殺し合いを見たくはない。俺が彼女を除霊するしかないのだろうか。もしもの時はするべきなんだろう』……どういうことだよ、何なんだよこれ」
「天池そこで何をしている」
いきなり背後から聞こえた春明の声に達海は体をビクッとさせ、すぐに日記を机の上に置いて振り返る。
「春明さん……もう酔は覚めたんですか?」
「いや、まだ少し気分が悪い。……どうした? あんたも顔色が悪いぞ。……なんか見たのか」
こわい顔でこちらを睨む春明に、少し怯えた口調で達海は慎重に返事をした。
「いえ、……何も見ていないです。本当に」
「そうか、ならいいんだ」
達海は足早に扉へと向かった。
達海は春明とすれ違ってすぐに足を止めた。目をぎゅっと瞑って覚悟を決めると声を振り絞る。
「春明さんはどうしてレイのことを自分のそばにおいているんですか」
「守るためだ」
春明は淡々と答えた。
「それは彼女たちのことを? それとも自分自身のことを?」
「……その両方だ」
答えを聞いた達海は階段をかけ上がって行った。
「がっつり読んでんじゃねーか。どうしたもんかなぁ」
春明はガシガシと頭を掻いた。春明の耳には陰陽の入り口の開閉音が微かに届いていた。
五月中旬、GH本部では、大輝が事務室に呼び出されていた。
「大輝、次の現場は都内の大学だ」
呼び出し主の剛がパソコンに送られてきたメールを開いた。
「神川学院大学で奇妙な影や声を聞いたという通報が入っている。すまんが俺には別件があってな。俺の代わりに明日、調査に行ってくれないか」
大学名を聞いた大輝は少し眉をピクッとさせた。
「どうした? 不都合だったら別の人に行ってもらうから構わんぞ」
大輝は「ふうー」と大きく息を吐くと、姿勢を正して答えた。
「いえ、俺が行きます。ただ、その大学にちょっとした知り合いがいる事を思い出しただけですから」
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