#63 記憶の片鱗

「達海!」

 

 レイが叫ぶ。

 ピエロにパーカーの首元を掴まれた達海は、ピエロの腕を掴んで抵抗した。


「はな……せ」


「おやおや、昔に比べて力を付けましたね。おおおう」


 達海は体を捻らせてピエロを担ぎ込むと、そのまま前に倒れ込んでピエロを投げ飛ばした。


「レイ!」


 達海がレイを連れて再び逃げようとするも、体の大きな笑い顔のピエロにそれは阻まれた。


「分身!?」


 笑い顔のピエロは達海に向かって突きを繰り出してくる。


「くっ」

 

 達海はそれを両手で受け止めたが、その一撃はとても重く彼の腕に痛みが走った。笑い顔のピエロは、二手目、三手目の突きを繰り出し、達海はそれを防御し続ける。


「さあ来なさい。来るのです、レイ」

 

「やめて! 離して!」


 ピエロが弱っているレイに近づくと、彼女の腕を引っ張って祠の近くへと押し飛ばした。

 

「きゃあ」と、レイは祠の目の前に座り込む。


「レイ! やめろ、ピエロ!」


 達海は笑顔ピエロの突きを右に受け流しながら、顔面にカウンターの突きを喰らわせた。しかし、笑顔ピエロは綺麗に決まったカウンターなんて全然応えていないかのように、達海の拳を顔面にめり込ませたまま、達海の頭部を鷲掴みにした。達海の頭部はそのまま笑顔ピエロよって体重を押し付けられて地面に叩きつけられる。


「ぐあっ!」


 達海は笑顔ピエロに押さえ付けられたまま、顔を祠の方へと向けられた。

 レイが祠の前に座り込んでいる。ひどい息遣いだ。幽霊の彼女はもう呼吸なんてする必要はないはずなのに。まるで、何かにひどく怯えているようだった。


「さあ、封印の札を剥がしなさい」


 ピエロがレイに向かって静かに言った。まるで親が子に何かをお願いする時のように。


「だめだよ……」


 レイが下を向いて体を震わせながら言う。


「剥がすのです!!」


 ピエロが今度は力強く命令するように言った。


「だめなんだよ!」


「何がだめなのです! 悪霊の封印が解かれてしまうから? 災が降りかかってしまうかもしれないから? それでもあなたはこう思っているはずだ! 剥がしてみたいと」


「黙れよ! ピエロ!」


「うるさいです! 黙るのはあなたの方だ!」


 ピエロに向かって叫んだ達海は、笑顔ピエロによって再び頭を地面に叩きつけられた。


「達海、あなただってこの世界が憎いと思っているのではないですか!? 小さな頃から誰にも愛されずに生きてきて! それなのになぜです? なぜなのです? 今になってなぜ誰かを助けようとするのですか! なぜ愛しようとしているのですか! ムカつくんだよ!」


 ピエロは赤鼻をポフポフと摘んで見せた。


「おっと、少し声を荒げてしまいました」


「……何なんだよお前は。何が目的なんだよ。お前の未練は何なんだよ、ピエロ」


「……俺はただ楽しいことをしていたいだけですよ」


 達海からの問いにピエロは元から上がっている口角をさらに吊り上げさせた。


「さあ、レイ。好奇心旺盛なあなたならこの札を剥がしたいと思っているはずだ。あの時のように」


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 レイは荒い息遣いのまま目をはち切れんばかりに見開いて、封印の札に手を伸ばした。


「だめだ! レイ!」


 バチバチッ!


 達海の声がレイに届くことは無く、彼女の手は封印の札に触れた。その瞬間、電撃のようなものがレイの腕に走る。


「ああああああ!」


 レイはそのまま後ろに弾き飛ばされて蹲った。彼女の腕からは僅かに煙のようなものが上がっている。祠には札はしっかりと貼られたままでいた。


「やはり、何か封印に仕込んでいましたか。実に忌々しいですね、安倍太茂津たもつ。……ああ、今は晴明を名乗っていましたか」


「ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう」


 地面に蹲ったままのレイが壊れたロボットのようにブツブツと繰り返す。


「何がちがうのです?」


「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……私が……私の所為で……! おね……」


 ピエロがレイに近づくと彼女の顔を正面から蹴り上げて、首を掴んだ。「あがっ!」と、いう彼女の叫び声を楽しむかのようにピエロは腕を上に上げていく。レイの足は地面から離れていった。


「そうです。そうなのです! あなたの所為で皆が不幸になるのです! あなたの友人も! 家族も! 皆あなたのせいで! しょうがないのです。今日、あなたはまた大切な人を失う! あの時のように! あなたがいけないんですよ。レイ、いや——」


 ピエロはレイの耳元に口を近づけると何かを囁いた。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 レイの体から黒いモヤが少しだけ滲み出てきている。


「レイ!! ……頼む! もうやめてくれ! お願いだピエロ!」


「やめてくれ? いやに決まっているじゃないですか、こんなに楽しいのに。あなたはレイが悪霊になっていく様子を無様に見ていればいい、達海」


「ピエロおおおおおおおおお!!!!」


「……仕方ないですね」


 笑顔ピエロによって再度達海の頭は地面に叩きつけられた。何度も何度も。メガネのレンズが粉々になっていく。意識が段々と遠くなっていく。もう、だめなのだろうか…………


——たっちゃん——


 いつか聞いた女性の声がする……どこか懐かしいような……


 

 次の瞬間、達海は真っ白な空間にいた。その白い空間はどこまでも、どこまでも、ずっと先までただただ白かった。


「ここは……どこなんだ?」


「君の精神世界……みたいなものだよ」


 どこからともなく女性の大人しい声だけが聞こえてくる。姿は見えない。


「精神世界? お前は誰なんだ」


「そんなこと悠長に聞いていていいの? 君も君の大切な人もこのままだと大変なことになるよ」


「そうだ……助けないと。……レイを助けに行かないと」


「……力を貸してあげようか?」


「力? レイを助けることができるならなんでもいい! 貸してくれ!」


「でも、この力を貸してあげると君はもう元の生活を送ることはできなくなるかもしれないの。それでもいい?」


「それでもいい! もう誰も失いたくないんだ。レイを助けることができるならそれでも……」


「わかったよ……それじゃあ、頑張ってね。たっちゃん」




「おや、もしかして死んでしまいましたか。実に残念ですね」


 ピクリとも動かなくなった達海を見てピエロは悲しむ素振りをした。レイがピエロに首を掴まれたまま、もがき苦しんでいる。


「あなたの所為で達海まで死んじゃいましたよ。あなたがせっかく悪霊となる華やかしい時を分かち合うことが出来ないなんて、本当に残念です。…………ん?」


 ピエロの手からはレイが消えていた。……顔からチャームポイントの赤鼻も消えていた。



「たつ……み?……」


「もう大丈夫だよ……レイ…………」


 ピエロが早急に振り返るとレイをお姫様抱っこで抱える達海の後ろ姿があった。


「俺のお鼻……よくも俺の可愛い可愛いお鼻ちゃんを!!」


 達海は軽く振り返ると、これ見よがしにピエロからもぎ取った赤鼻をポフポフと二度摘んで見せた。








 




 

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