#41 思い出の場所
「あ、雪……」
空手教室を出た達海が空を見上げると、チラチラと雪が降っていた。こんな時期に珍しいな。達海は悴む手に息を『はあー』と吐きかけると陰陽を目指して歩き始めた。
「おう、おかえり」
「ただいま、戻りました」
達海が陰陽に入るとカウンター内で春明が道具の手入れをしていた。カウンター席に座った達海は春明にブラックコーヒーを注文する。
「外、雪が降ってましたよ」
「雪か。今日は寒かったもんな。こんな日は家の中でぬくぬくするのが一番よ」
青色のはんてんを着ている春明が火をかけているヤカンに向かって両手をかざす。
「レイたちは?」
「庭園ではしゃいでいたみたいだ。きっと久々の雪に興奮しているんだろ」
「あは、子供みたいですね」
「はは、中身がガキなんだよ、あいつらは。そういやあ天池、昼飯は食ったのか?」
「まだです」
「そか、簡単なもんでよけりゃただで作ってやるよ」
「本当ですか! ありがとうございます」
春明は冷蔵庫から冷凍ご飯、鶏肉、玉ねぎ、卵、ケチャップを取り出すと慣れた手つきで料理を始めた。材料を見るにおそらくオムライスだろう。春明にとってオムライスは簡単なもんなのか、と普段全く料理のしない達海は春明に関心し、感謝した。
「はいよ、コーヒーとオムライス」
達海の目の前に熱々のオムライスとコーヒーが置かれる。しかもオムライスの卵はとろとろのふわふわだ。達海はオムライスを口いっぱいに頬張った。
「どうだ、うまいか」
「はい、おいひいでふ」
春明は満足そうな顔をしながらフライパンを洗う。
「それで、今日は何か収穫あったのか?」
「ん?」
「また、レイの生前について何か調べていたんだろ?」
「ああ、数箇所、空手教室で師範からお話を聞いて来ました。十三年前から十五年前の中学生全国空手道選手権大会の記録がどこを調べても出てこないのが気になりまして……。結局、そのことについてはよく分かりませんでしたが、レイに関係があるかもしれない情報は手に入れて来ました」
「まじか、どんな話を聞いたんだ?」
「記録のない時期に空手の天才と呼ばれた双子が突如として姿を消したそうなんです。なんでもその話、空手界ではタブーなんだとか」
「……そりゃ怪しい話だな」
「この話、調べる価値はありそうですよね。もしかしたらその双子の一人がレイかもしれない」
「そうかもしれないな。でも、あんま無茶はするなよ。これだけの情報統制がされているということは何か大きな力が働いているのかもしれない」
「それは分かってます。レイはその大きな力に巻き込まれて死んでしまったんですかね」
達海はそう言うと少し俯いた。
「どうだろうな。…………もし……もしもだぞ、レイが誰かを強く恨んで死んでいたとしたら、天池はどうする?」
「正直、そんなこと考えたくもないです。普段のレイの雰囲気からはそんな感じもしませんしね」
達海は軽く笑顔を作ると話し続けた。
「俺はレイもアクタもマッチョもお嬢もフォトも、皆んな笑って成仏してほしいと思っています。もしもそれが叶わないのなら、せめて俺が……。こんなこと長年一緒にいる春明さんの方が散々考えていることなんでしょうけど、俺にとってここに居る人たちはすごく大切な人たちなんです」
「そうか。……なあ、天池。たちば……」
「あ、達海帰って来てるじゃん!! 早く庭に行こ。雪降ってるよ。雪。雪合戦しよう」
「そんなには雪降ってないよ、レイ」
春明が何かを言いかけたところで店内にレイとアクタが入って来た。
「ほら、早く!」
レイが達海の腕を引っ張る。
「春明さん。この話はまた後で」
「ああ、そうだな」
達海はレイに連れられて庭園へと向かった。
達海、レイ、アクタは縁側に座った。庭園ではお嬢が空を眺め、上半身裸のマッチョが空に向かって笑い声をあげている。雪は依然として降り続き、その小さな粒は地面に落ちては儚く消えていた。
「流石に積もりはしないだろうね」
「だな……マッチョ、あんな格好で寒くないのか」
「筋肉に守られているから大丈夫なんじゃない?」
「筋肉ってそんなに便利なものなのかい。俺も筋トレしようかな」
「アクタはもう幽霊なんだから筋肉つけられないでしょ」
アクタの冗談にレイと達海が笑う。
「こんな時間がいつまでも続けばいいのに……それでも成仏したいと思うのは幽霊の
アクタが目を細めて空を見上げた。
「アクタは生前の記憶は何もないのか?」
「うん。全然覚えていないんだよ。あっ、でも未練は母親関係だと思うんだ」
「アクタはね、陰陽に保護された時、幽霊になったばかりだったみたいなんだよ。ショタと同じで『母さん!!』って叫びまわってたんだっけ?」
「なんだか恥ずかしいな。俺はあまり覚えていないんだけどね」
アクタがレイからの暴露に頬を人差し指で掻きながら苦笑いをした。
「レイは? 保護された時どんな感じだったか聞きてもいいか?」
「私も保護された時のことはよく覚えてないんだよね」
達海からの質問にレイは少し困った顔で答えた。
「俺も春明に連れられて来てからのレイしか知らないな。でも、今みたいに明るくはなかったよね。春明もその頃なんだか体調が悪くて大変だったんだよなー」
「へー、そうだったんだー」
レイはそう言うと笑いながら縁側から投げ出した足をぷらぷらとさせた。
庭園ではマッチョがお嬢のことを追いかけて遊んでいる。
「陰陽の幽霊の中で生前の記憶があるのはマッチョくらいじゃないのか」
「え!? マッチョって生前の記憶があるのか」
アクタの言葉に達海は驚いた。
「ああ、本名は確か
「それじゃあ、未練は?」
「ボディービルの大会で優勝することだって。だからね、六年くらい前だったかな、筋肉自慢の幽霊を探し集めて幽霊ボディービル大会を開いたんだよ」
「そうなんだ。でも本当の大会ではないから成仏できなかったと……」
達海の言葉にアクタは首を横に振った。
「すごく喜んでくれてね。成仏しそうにはなったんだよ。でもなぜかこの世に踏みとどまってね。『ワタクシは皆の最後を見届けるまでは成仏できない』ってね」
「そんなことってあるのか。マッチョらしいと言えばマッチョらしいけど」
「春明が言うにはね、あり得るんだって。幽霊になってからこの世に未練ができちゃう場合が。だから幽霊は新たな未練を生み出さないために本能的にコミュニティを作らないらしいよ」
レイが説明してくれた。
「俺たちも、もしかしたらマッチョと同じかもしれないね」
「ねー」
レイとアクタが顔を見合わせて笑う。
皆んなの最後か。全てを見届けることが出来るのはいつ頃になるだろうか。レイもアクタもお嬢も生前についてまだほとんど分かっていない。マッチョが成仏するのは一番最後になりそうだ。となると最も成仏に近いのはフォトなのかもしれない。あれそういえば——
「フォトって陰陽の二階にいるのか?」
達海がレイとアクタに聞いた。
「んーん。達海が帰ってくるちょっと前だったかな。出かけたよ」
レイからの返答に達海の胸がざわついた。大輝に会いに行ったのか? いや、会うことは昨日でしばらく控えているはずだ。嫌な予感がする。考えすぎだろうか。
「どこに行ったか分かるか?」
「分からないけど……そう言えばちょっと暗い顔をしていたな」
達海はフォトが行きそうな場所を頭に巡らせた。
「あの高台……レイ! アクタ! フォトの写真の高台って場所わかるか」
「ごめん、分からない」
「私も」
「そうか。ありがとう、ちょっと出かけてくる」
達海は陰陽の中に走って行った。
「春明さん!」
「どうした? 天池」
カウンター席からテレビでニュース番組を見ていた春明が達海の呼びかけに振り返る。
「フォトのカメラに保存されている高台からの景色……撮影場所って分かりますか?」
「いや、どこか分からないが……何かあったのか」
「俺の思い過ごしかもしれませんが……フォトが危ないかもしれないです! 手分けして探してくれませんか」
「……ああ、分かった。理由は聞いている暇なさそうだな」
達海と春明は陰陽を飛び出した。
空はすっかり暗くなっている。雪はちらちらと降り続いていた。東京都の某所高台でカメラを首から下げた女性の幽霊が静かに景色を眺めていた。
「わるい、待たせたフォト」
フォトと呼ばれた幽霊が振り返ると、そこには白いトレンチコートを着た大柄の男が居た。左の薬指には二種類の指輪を身につけている。
「丁度、六時。全然待ってないよ。大輝くん」
「……他には何もないのか」
大輝は俯きながらフォトに話しかけた。
「うん。……GHだったんだね」
「ああ、そうだよ。今日はお前を除霊しに来た」
大輝は声を振るわせながら拳を握りしめた。街灯の弱々しい光が降り続ける雪と二人を照らす。
「そっかー、そうだったんだね。私ここで除霊されちゃうのかー」
フォトは手を後ろで組むと笑いながら空を見上げた。
「私たちが初めて出会ったのもここだったね」
「…………」
大輝の脳内ではフォトとの——須藤桃子との思い出が巡っていた。
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