第9話 諦めたらそこで試合終了ですよ
職員室でプリントの束を見ながら首を傾げる。
「大村先生、この私のお嫁さんと言うのは一般的に進路希望としてあってるんでしょうか?」
「ん、あぁ、進路希望調査ですね。武田先生若くてかっこいいから仕方ないですね」
向かいの席に座る大村先生に問えば笑ながらそんな言葉が帰ってきた、ふむ、こっちの世界では仕方ない事なのですね、なら問題ないのか。
「何言ってるんですか大村先生、そんな進路有るわけないです!武田先生、その生徒には自分にはもう決めた人が居るとしっかり言い聞かして再提出させてくださいね!」
大村先生の言葉にうんうんと頷いていると児島主任がいつの間にか隣にいた、瞬間移動?さっきまで気配はなかったはずなんですが、だけど危険な感じは無いので会話を続ける。
「児島主任、そうですよね、私なんか初年度だから月収も30万位だし、結婚してお嫁さんを養うなんて出来ませんよね」
「武田先生、児島主任の言いたい事はそうじゃないと思いますよ」
「武田先生、私なら役職手当もありますし、年収も700は超えてますから安心してください!今すぐでも結婚出来ます!出来ちゃいます!」
ふんすと力を込めてにじり寄る主任、何をそんなに主張してるんですか?
放課後、図書室に借りていた本を返しておこうと職員室を出れば、ちょうど部活に向かうジャージ姿の
「お二人とも今から部活ですか」
「仁先生!ええ、県大会が近いから頑張らないと」
「唐津さんは1年なのにレギュラーに選ばれているんですよ」
「おぉ、それは凄いですね。バスケットボールはやった事がないのでちょっと実感が湧かないですみませんが」
私の言葉に二人とも驚いた顔をする、あれ、この世界では誰もが経験する競技だったっけ。
なぜお二人はニコニコとしてるんですか?
「じゃあ、良い機会だし仁先生には是非バスケを経験してもらいましょう!」
「そうそう、私達の担任だし生徒のやってる事は良〜く知ってもらわないとね」
「なるほど一理ありますね、まぁ、やれるかはわかりませんよ、どんな競技かも知りませんし」
「「まぁ、仁先生の初体験ですね♡」」
そう言って二人に手を引かれ体育館に連れて行かれた、仕方ない本の返却は明日でいいか。
「おりょ、仁先生だ!」
「うお!マジでかっこいいな」
体育館に入ると唐津さんがキョロキョロと誰かを探している。
「若松先輩!」
「何、学校ナンバーワンのホストと同伴出勤してるんだよお前らは、羨ましい」
「いや、仁先生がバスケやったことが無いって言うから体験させてあげようかなって連れてきたんですけど」
「なんと!仁先生の初体験の相手を私の身体で!」
「先輩、言い方がやらしいっす」
若松は唐津の言葉を無視してニコニコとコートに向かって叫んだ。
「芦屋!今日の練習メニュー変更!ゲーム形式でやるぞ!」
体育館の中を見回していると唐津さんがちょっとボーイッシュでスレンダーな生徒を連れてきて私に紹介してくれた。
「どうもバスケ部キャプテンの若松です、チャームポイントは鍛え上げた腹筋で彼氏は絶賛募集中です」
「武田仁です、はじめまして。すみません練習中にお邪魔しちゃって」
「「「ププ、キャプテン思い切りスルーされてる」」」
ギロリ
「「「……」」」
「いえいえ、噂のイケメン新任教師のお相手をすることが出来るなんて光栄ですよ、と言うか本当に初めてなんですかバスケットボール?」
「お恥ずかしいですが、こう言う競技はやった事がなくて」
「へ、お体が弱かったんですか?」
「へ、全然健康ですよ」
「?…ではやってみましょうか」
「おねがいします」
キャプテンの若松さんから競技のルールを手取り足取り説明される、なるほどね危険な競技ではなさそうだ。
ターンタン、ザッ
「ディフェーーンス!戻れぇ!早く!!」
「失礼」
タタタン、タン
前を塞ぐ芦屋さんの横を右足を軸に身体をクルリと回転させて抜く、後は見えたゴールに向かってボールを放り投げるだけ。
「「「おお、ロールターン!」」」
「マジか!さっきはキャプテンをレッグスルーで抜いてたぞ、あんな初心者いるの…」
「くそカッケー!」
「けど、シュートは素人みたいに外すのよね、なぜか」
並はずれたフィジカルと感で身体を動かすことに問題はないのだが、いかんせん球技は初体験、槍を的に当てるのとは感覚が違った。
ガンッ!
「リバーンド!」
「くっ、結構難しいですねバスケットボールって、最後のシュートが入らない」
リバウンドのボールを奪ったキャプテン若松が速攻を仕掛ける、ゲーム開始当初は余裕の表情を見せていたが、現在その顔に余裕などカケラも残っていない。
「キャプテンの顔がマジだ!」
「インハイでだってあんなに真剣な表情見た事ないよ」
ガゴンッ!
「しゃー!」
速攻からの豪快なダンクシュート、若松は女子バスケ界でも数少ないダンクを打てるジャンプ力を誇る選手だ、右手を掲げて喜びを表す。
「なるほど、あれなら入りそうですね」
若松のダンクを見ていた仁が、ゆっくりとドリブルを始める。
タタ、タタン
右手から左手のドリブル、フロントチェンジの後に一気にアウトに身体を振る、この仁のドリブルに対応出来るのは最早キャプテンの若松だけとなっている。
「ちっ、この短い間にインサイドアウトまで出来るようになるか!」
試合中にどんどんと技術を吸収していく仁に、若松が舌打ちする、嬉し恥ずかしの接待試合を想定していたのに見事に裏切られた。
「ええっと、確かこう」
ダンッ!
「へ、ダンク。嘘でしょ!」
「「「ワァアアアアアアアアアアアーーーーーーッ!!」」」
フリースローラインから高々とジャンプした仁が空中でボールを持った右手を振りかぶる、そのままゴールリングに勢い良くボール投げつけた。
バキョン!
「あら?」
リングに弾かれたボールは無常にもコートの外に飛んで行く。
呆然とそれを見つめる選手達。
ピピィーーーーーーーッ!
「……勝ったのよね?」
キャプテン若松が笛の音が鳴った瞬間呟く、結果だけ見れば68-22の圧勝だったのだが、最後はバスケ部の誰もが仁を止められないゲームとなった。
ちなみに仁のシュートが入ったのはゲーム開始最初の1本だけである。
ビギナーズラックもいいとこである。
「仁先生、お疲れ様。てか、シュートが天才的に入りませんね」
ゲームを見ていた福岡さんがタオルとドリンクを持って声をかけてくれる、もうちょっとなんとかなると思ったのだが、教師として情けない限りの結果だった。反省。
「い、いや、シュート以外は凄かったですよ、とても初めてとは思えなかったです!」
う、生徒に慰められてしまった、これは真剣に落ち込む。
パチパチパチパチ
いつの間にか体育館に集まっていた生徒達が拍手をし始めた、えっ、拍手って負けた時もするものだったの?あぁ、よく頑張ったねって意味か。
生徒達の温かい励ましの拍手に、何度も頭を下げて礼をする。隠れて練習しようと決意した瞬間だった。
体育館を去って行く仁先生の背中を若松が見つめる。
「化物だな」
ポツリとこぼしたキャプテンの一言にバスケ部員全員が大きく頷いた。
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