第五章 限界を押し広げろ 第16話 オートローテーション
ニッコリ笑えば、必ず墜とす
海軍航空隊 少尉 杉田庄一
「信じられねーよ!」
「だから、私は十分回りきれるって思ったのよ」
ハーレーとダークがフライトを終えて戻って来た。ひどく騒がしいけど、どうしたのかしら。
「あ、サッド聞いてくれよ。ダークの奴、旋回オートロで2周回ろうとしたんだぜ、360°(スリーシックスティー)じゃなくて720°(セブントゥエンティ)!」
「だから、回り切れるって思ったの! まあ、その、…ちょっと、足りなかったけど」
「スリーシックスティー?」
デ・ブリーフィングの時のままサッドの隣に座ってた私は彼に尋ねた。
「ああ、360°オートローテーションの事だ。その名の通りオートロで360°旋回して着陸する事さ」
「へえー、オートローテーションの一種なんですね」
「あっジュリエット、何キャプテンの隣に座ってんのよ」
「デブリでーす」
「チッ」
今、露骨に舌打ちされたわ。まあいいけど、さっさと自分の席に戻った方が良さそうね。
でもホントにダークって見た目だけは素敵なのよね。長い髪も今はフライトの為かざっくりとした三つ編みにしててすっごく可憐な感じだし。しかも、フライトが終わって少し上気した頬が薄っすらとピンクに染まってて一見すると恋する乙女感が半端ない。ま、言動と中身は残念なんだけどね、悪エルフめ。
所でさっきから会話に出てるオートローテーションの説明をした方がいいかしら。
【オートローテーション】
略してオートロ、ホバリングと並んで最もヘリコプターらしい飛行かな。ホバリングについてはよく話を聞いたり映像を目にする機会も有ると思うけど、オートロの事を知ってる人って多分ほとんど居ないんじゃないかしら。
まあ、その理由はオートロが緊急操作だからなの。つまりヘリが緊急事態に陥った時に活用される飛行方法なのね、だから一般の人には馴染みが無いって訳。
じゃあどんな緊急事態なのかって事だけど、ズバリ飛行中のエンジン停止よ。
普通の飛行機つまり固定翼機は、エンジンが停止すれば余程条件が良くない限り墜落って事になっちゃうわよね、でもヘリコプターにはオートローテーションが有るの。
ヘリコプターは通常の飛行状態の場合、ローターはエンジンによって駆動されているわ。
さて、そこでもしエンジンが故障して回転が低下したり最悪停止しちゃったらどうなるのか。その場合は、エンジンとトランスミッションを繋ぐクラッチが切り離されてエンジンと一緒にローターまで停止してしまう事が無い様になってるの。
オートローテーションでは、エンジンが止まっている為そのままの高度を維持して飛行を続ける事は出来無いけど、大きなパラシュートが付いてる様なイメージで、ある程度の自由度を確保しながら着陸する事が出来るのよ。
あなたが自転車に乗ってるとしましょうか、自転車のペダルとタイヤの関係を思い出して。ペダルを漕ぐのを止めてもタイヤは惰性で回り続けるわよね、ヘリコプターのオートロもそんな感じ。ただし、二度とペダルを漕げないから、行きつける範囲は決まってしまうわ。だから接地する目標をその範囲内に決めたら後はやり直しが効かない一発勝負なのよ。
ヘリのパイロットは常日頃から、このオートロの訓練を欠かさないの。
オートロの訓練では、実際にエンジンを停止させる訳にはいかないけれど、エンジンをアイドル状態にまで絞って実際にエンジンとローターを切り離して降下、そのまま接地まで行うフルタッチと、接地の手前でエンジン回転を回復させるパワーリカバリーの二通りの方法を状況や技量によって使い分けているわ。
オートロ最高、これでエンジンが止まっても大丈夫! って思うかもだけど現実は中々厳しいのよね。やっぱ難しいのよ、これが。ある調査によればオートローテーションで接地に成功したものと失敗したものの比は1:1になってるわ。
じゃあ、どう難しいかって事だけど。オートロの具体的な操縦をもうちょっと詳しく説明するわね。
まずエンジンが停止すると、直ぐにローターの回転数が低下するわ。これはトルクの使用量つまりコレクティブ・レバーの使用量が多い程激しくなるの、重荷重状態や高速飛行なんかの時ね。最も回転数の低下が大きい場合は、僅か1秒でマニュアルに記載されている最小回転数まで低下してしまう事も有るのよ。
ローターの回転数を保持する事は凄く重要。
なぜ重要かって言うと、翼の揚力の問題ね。飛行機の翼が揚力を発生させるには翼に風が当たり続けなくちゃならないのは分かるわよね、だから固定翼機は長い滑走路が必要だし常に前進し続けなきゃならない。ヘリコプター(回転翼機)が空中で停止出来るのは文字通り翼が回転し続けて固定翼機が前進しているのと同じ効果を翼に与えているから。だからローターの回転数が下がれば揚力も低下するし最悪ある回転数を下回れば翼は揚力を発生しなくなって失速って事になっちゃうの。そしたら、いくらヘリコプターでも石ころの様に地面へ落ちるしかなくなるわ。
だからパイロットはこれを防ぐため、エンジンが故障したら素早くコレクティブを下げ、サイクリック・スティックを引いてフレアー(機首上げ操作)をしてローターの回転数を保つ必要が有るの。
エンジン停止後のヘリコプターの運動は飛行状態によって様々な変化をするけど、一般的な傾向としては方向のトリム状態が崩れて左ヨーイング・モーメントが発生するわ。つまり機首が左を向いちゃうって事。すると、前に説明したクロス・カップリングも起きちゃうのよ、この状態を放っておくと3秒でひっくり返っちゃうって言うデータも有るわ。普通のパイロットなら、そんな状態になる前に修正操作を行うでしょうけどね。
とにかく、エンジンが停止したら直ぐに修正操作をしないと機体の動きは急激で危険なものになってしまうって事ね。
パイロットはエンジン停止の兆候を目や耳、時には鼻、或いは機体の動きでも素早く判断出来る様に十分注意してなきゃならないわ。エンジン停止からオートローテーションへの移行にはパイロットの操縦技量によって大きな差が出る部分でもあるしね。
ぼーっとしてて、貴重な最初の数秒を無駄にしてしまうなんて事があれば悔やんでも悔み切れないわ。飛行中にリラックスしてる事は必要だけど、常に緊急事態に対して即応出来る態勢を保持してる事は常識かしら。
さてエントリ―操作が無事成功して、安定したオートローテーション状態に移行出来たら次は何処に降りるかを決心しなくちゃならないわ。オートローテーション中だから、水平飛行に必要な出力は当然供給されない、だから降下しながら機体がたどり着ける範囲で安全に接地出来るか、又は被害が極限出来る地点を素早く選定してそこへ向かうのよ。
因みに機体毎に最小降下率の速度は決まっているわ、サーペントの場合は約70kt(ノット)なの。だから70ktを維持して降下するのが最適なんだけど実は最大滑空距離を稼げる速度って最小降下率の速度とは又違うの。最小降下率速度よりもやや速い速度が最大滑空距離速度よ。で、最大滑空距離速度で飛行すると当然、滑空距離は著しく増加するわ、サーペントの場合は約100ktね。
条件によって多少変わるけど、最小降下率速度と最大滑空距離速度で飛行した場合の到達距離の差はだいたい3500ftになるわ。この差って結構大きいわよ、平らな草地に接地出来るか、手前の林に突っ込むか位のね。
速度が大きくなると降下率も大きくなるから、安全に接地する為には距離を伸ばす為に増速しても最終的には最小降下率の速度にセットしなくちゃならないわ、その辺のタイミングは腕の見せ所かも。接地時の荷重倍数とGは降下率の2乗に比例するから、最小降下率速度から20kt違えば2倍かそれ以上の衝撃で接地する事になるわね。
速度の誤差を生じさせる原因にはもう一つ、サイドスリップ(横滑り)があるわ。
エンジンが停止すると、機首が左を向いちゃうって事は話したわよね。それがサイドスリップしてる状態よ、オートローテーション中に機体をサイドスリップさせると降下率は更に増加しちゃうわ。じゃあ機体が滑ってる事が直ぐに分かるかって事だけど、ベテランの操縦教官がケツで感じろって言ってたけど今の私には無理。比較対象物が有る地表面近くなら外を見て判断出来るけど、上空じゃあ分からないわ。でもその為にターン&スリップ・インジケーター(旋回傾斜計)って計器が付いてるの。仕組みは簡単、液体が満たされた横長の透明な管にボールが封入されていて、ボールが中央に有れば適正状態、左右どちらかに動いていれば機体が滑っている事を示しているのよ。ボールが中央から離れていればいる程滑りが大きいって事。ただし、速度によってその比率は変化するから注意が必要よ、同じボール半分のズレでも速度が遅ければスリップ角は大きくなるわ。
因みに当然サーペントにもボールは付いてるけど、全面TFTディスプレイだから、他の針が動くアナログ計器と同様に本物のガラス管とボールの計器じゃなくてCGのアニメーションで再現された物なのよ。
次はいよいよオートロ最大の山場、フレアー操作と接地ね。
オートローテーションの成功ってどういう事かって言うと、結局安全に接地出来たかどうかよね。つまり接地寸前に機体の位置エネルギーと運動エネルギーをゼロに近づければ良い訳よ、前進速度と降下率を最小にして地面にふんわりと降りるって事。
うん、じゃあどうしたらいいかしら。
エンジン停止から機体は降下し続けているわ、機体の沈下を止めるには機体重量以上の垂直方向の力が必要よね。速度も落とさなきゃならないから、後方への力もいるわ。この二つの力を同時に得ることが出来る方法がサイクリック・スティックを後方に引いて機首を上げるフレアー操作よ。
フレアーでローターの回転面(ローターディスク)を大きく後ろに傾けると、ローターの推力は減速方向へと変化するし、機体の機首上げ姿勢で空気抵抗も増大するわ。これで機体の減速が可能となるでしょ。それに加えてローターブレード全面の迎え角が大きくなるからローターの回転数が増加、推力も大きくなるわ。
ただし、推力の増加は一時的なものよ、どこからも出力が供給されてないんだから、運動エネルギーにも限りがあるし、フレアーによる速度の低下もそれ自体が回転数増加の効果を次第に減少させてしまうの。だから最高のタイミングで、ここに降りるって決めた場所へ機体を持って行かなくちゃダメよ。
速度を限りなくゼロに近く、十分に減速させたら最後は高度を処理しなくちゃならないわ、最後の垂直降下と接地に残っている限られたエネルギーを使わなくちゃならないの。
フレアーによってローターの回転数は一時的に増加しているわ、その回転数を消費して機体の沈下を止めるの。最後にコレクティブ・レバーを使って機体重量に等しい推力を発生させる、これによって機体の降下率を安全な値まで減少させて地面へと降りるのよ。
だからフレアー操作もコレクティブの使用も開始のタイミングがとっても重要。繰り返しになるけど、自分が決めた地点へ安全に降りる為に、フレアーを終了する高度へ機体を持って行かなきゃならないし、最後の接地の為のコレクティブ操作もその効果を十分に得られるような使い方じゃなきゃダメ。更に接地時に機体が水平じゃ無かったり、横滑りしてたらとっても危険よ。
そして最も重要な事。
それはやり直すチャンスが無いって事。
着陸場所への目測が少し誤ったから、速度が速すぎて降下率が過大だったから、フレアー操作のタイミングが遅れて十分な減速が出来なかったから、或いは高度が低くなり過ぎたから、どんな事になってもゴーアラウンドしてもう一度やり直す事は出来ないの。
どうオートローテーションの事、少しは分かってもらえたかしら。
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