第8話 私の愛機、サーペント
私とサッドはエプロンに引き出された機体に対し、機付長以下の整備員達に支援を受けてPR(Preflight Check:飛行前点検)を開始する。
一番始めに、通称「フォーム」って言われる機体の状況が記載されたファイルの確認からだ。
フォームは、機体ごとに1冊づつ備え付けられていて、それには機体やエンジンの製造からの使用時間や、次の定期整備、各種特別点検までの残時間、それに燃料が補給された場合にはその度ごとの補給量と現在機体に幾ら燃料が入っているかが記載されている。
燃料の確認は重要よ、特に戦闘ヘリは運用状況によっては燃料を満タンにしないで離陸する事もあるからね。
フォームにはその他にも、機体のちょっとした不具合で直ちに整備する必要が無い項目(要観察事項ね)や、機付長や操縦士が気付いた注意事項なんかも載っている。
フォームをチェックしたら、それを踏まえていよいよ機体の点検だ。
点検の為にハッチが開け放たれた機体をパイロット二人で機首方向から一人は右回り、一人は左回りと互いに逆方向から点検を開始する。ダブルチェックというやつよ。
閉じているハッチのねじに緩みがないか手で触れて、点検口には頭を突っ込んで配線や配管が正しく繋がっているかを確認するわ。
固定されているべき所が固定されていて、動くべきところは動くかをチェック。
燃料やオイルが適量かを目視で確認。
エンジン、トランスミッションのホース類の固定状況が適切かどうかクランプを触ってみる。
メインローターの点検は、マストによじ登ってローターハブ周りのボルトに緩みが無いか、ローターブレードの表面に傷やへこみが無いかを確認。
エンジンや動力伝達系統のボルトなんかは、手で触っても分からない程度の緩みでも見逃さない様にペイントでずれが一目でわかる様にマークされている。
機種によっては、点検に脚立や工具を必要とする場合もあるのだが、私達のヘリは野外での整備の利便性を設計の段階から追求していて、解放したハッチがそのまま足場になったり、高い所の点検用に手掛け足掛けが内蔵されている。
日常的な通常の点検を実施するのに特別な工具や、足場を別に準備する必要が無いのだ。
これは常に飛行場で運用される事が前提の民間機とは違って野外、例えば単なる原っぱや山の中或いはスタジアム、時には公園や駐車場等々の環境・設備が整ってない場所への展開が基本となる軍用機、特に陸軍や海兵隊の部隊にとって非常に有難い事だと思う。
◆
機体の話が出たついでに、今まで詳しく説明する機会が無かったのでここで私達が乗るヘリコプターについて話そう。
我がA・A社が保有するヘリコプターは、私が初めて操縦したあのヘリなんだけど、いわゆる戦闘ヘリって言われるタイプだ。
開発は当然うちに出資してるボーイング社とベル社との共同開発。正式名称は、LARH―69サーペント。
LARHとは、
L:Light(軽)
A:Attack(戦闘)
R:Reconnaissance(偵察)
H:Helicopter(ヘリコプター)
の頭文字である。まあ、LとRを略して単にAH―69って言う事も多い。
特に〈R〉(偵察)の文字を入れている意味は、優秀な索敵・照準システムを使って、偵察任務も兼務しようという事である。
一般的に戦闘ヘリと偵察ヘリはチームを組んで任務に当たる事が多い。だから戦闘と偵察で別々の機種を装備するより、一つの機種に統合した方が機体の調達や、消耗品なんかの補給、更には操縦するパイロットの教育、その他色々と便利だろうと言う用兵側へのアピールだ。
それから〈L〉(軽)の表記についてだが、戦闘/攻撃ヘリコプターというカテゴリーの中では軽量(=軽快)と言う事だ。(ヘリコプター全般で考えると決して軽量では無いのだが)
サーペントの開発には特に機体重量について気を使っている。機動性の発揮には高出力エンジンとレスポンス性に優れたローター・システムに加えて機体の軽量化は必須だからである。
加速するにも減速するにも、或いは機体の姿勢を変えるにも全てにおいて機体が軽い方が有利に働く。
航空機の開発では、重量は少しでも気を抜くと直ぐに増えてしまう厄介な要素なのだ。
特に戦闘ヘリは見た目がスリムでも、他の機種に比べて武装関係の装備を色々と詰め込まなければならないから、しっぽまでアンコが詰まったたい焼きみたいな物だ。
そう言った意味でもサーペントの開発陣はいい仕事をした様である。
肝心の主要性能諸元については、次の通り。
乗員は2名。
機体サイズの細かい数字は省略するが、米軍の主力戦闘ヘリAH―64アパッチやロシアの攻撃ヘリMi(ミル)―24ハインドより一回り程小さく纏められている。
エンジンが一つだけなのもコンパクトに出来た理由だ。GE(ゼネラルエレクトリック)社製のT―700系のターボシャフトエンジンを搭載、出力は2110shpだ。
エンジンについては米軍の主力戦闘ヘリであるアパッチもそうなのだが、ツインエンジンつまりエンジンを2つ載せてるヘリが現在の主流である。しかしながら、サーペントは敢えてシングルエンジンを採用している。
軍用ヘリは当然、戦闘行動によって損傷するリスクが常にある。だからエンジンを2つ装備して、1つが機能を喪失しても、残る1つがカバー出来ると言う安心感は理解できる。
しかし、エンジンが2つだからと言ってパワーも単純に2倍とはならないのだ。2つのエンジンとその分増えた重量の為に燃費も悪くなる。悪くなった燃費の分余計に燃料を搭載すれば、それだけ更に重量も増える。そう、重量増加に陥る悪循環だ。
エンジンが2つあるという事は、当然防弾に関する装備も2つのエンジンをカバーする必要が有るし、それによってますます重量が増える、悪循環は止まらない。
機体サイズの問題も有る。
エンジンが2つなら、それらを機体に納めるそれなりのサイズが必然的に決まってくる。そしてそれは被弾面積の増加にも繋がるのだ。
仮にシングルエンジンのヘリとパワーウエイトレシオが同じだったとしても、重量の大きい方が、より大きな慣性力に対処しなければならないのは自明の理である。その為、機体の運動性・機動性にはおのずと限界が有り、当然それは性能限界ギリギリを追求する実戦の場面でより顕著に表れるだろう。
因みに、体操の選手が小柄なのも慣性の法則から逃れられないからである。
空を飛ぶモノについて、軽いという事はそれだけで正義なのだ。
シングルエンジンを採用した理由にはもう一つ有る。それは戦場での可動率に関する事だ。
エンジンが2つなら、必要な消耗品も2倍、整備の手間も2倍、乱暴な話故障の確率も2倍である。十分な数の機体が揃えられなければ、ランチェスターの法則にある通り、そもそも生還すら危ぶまれる状況になる。
最後は、それに命を預ける人間の問題になるが、それも単純なリスクマネジメントでは無い。
ランチェスターの法則をごく単純に言えば「戦争は数だよ、兄貴」って事だ。
十分な数の機体を揃える話が出たが、そのことに関しては機体の価格も重要である。
エンジンが2つの機体に比べて、1つの機体の方が価格を抑えられるのは当然だ。
但し価格を抑えたとは言え、安かろう悪かろうでは無い事だけは、ハッキリさせておかなければならないだろう、キチンと費用対効果を考えての事なのだ。
例えばサーペントの降着装置は現在の主流である車輪式ではなくスキッド式を採用している。
これも時代の流れに逆らった選択だ。乱暴な言い方をするとスキッドは車輪に比べればただの棒である。しかし部品点数は車輪式に比べれば比較にならないほど少ないし、更に言えば可動部分がほぼ無いに等しい為故障の心配も無い。
しかも、3~4個の車輪の僅かな接地面積で機体の重量を支えるのに比べて、スキッドの接地面積は数倍は有る。野外行動を基準とする軍用機としては、地耐力の基準に余裕が有る方が何かと有利に働くに決まっている。
繰り返しになるが、コストを抑えるだけに汲々としてる訳では無いと言う事は当然である。
代替を狙っている競合機種と性能面であまり差が無ければ、いくら安くても本末転倒だ。
であるから、特にアヴィオニクス(航空電子機器)と武装には妥協を極力排している。
具体的に言えば、機体の各種センサーを融合したグラスコクピットと、HUD(Head Up Display ヘッドアップディスプレイ:ハッド)に変わり、HMDS(Helmet Mounted Display System:ヘルメット・マウント・ディスプレイシステム)の採用だ。
それにより、360°をカバーするIR等の画像表示を可能にしている。
そして対地、対レーダー、空対空の各種ミサイルや空対地ロケット、機関砲の運用を可能とする武装システムである。
4枚のメインローターブレードには、複合材を採用する事で軽量化と耐弾性を強化している。
又、ヘリをステルス化する際の最大の問題点である回転翼への対策として、限定的な性能ながらも3次元メタマテリアル基板を埋め込んだ特殊なスキンを採用している。(ヘリは低空・低速或いはホバリングによってグランドクラッターを利用してレーダーから隠れる事が出来るが、相手がドップラーレーダーの場合は回転するローターブレードが探知されてしまうのだ)
高性能で高価な機体を少数導入するのと、性能・価格共にこなれた機体を多く揃えるのとではどちらが国の防衛政策に合致するのか。当然それぞれの国の事情によって異なるだろうが、経済的に裕福なアメリカでさえ戦争の一部分を私達の様なPMSC(民間軍事警備会社)にアウトソーシングしている現実から言えば、その需要は小さくないという判断だ。
そもそも、サーペントの市場はアパッチを大量に導入できるような国を相手にはしていない。
実際アパッチが主力の米軍では、サーペントは少数が試験採用されたのみで部隊配備はされていない。
私達がターゲットにしてるのは、アパッチの一世代前の攻撃ヘリであるAH―1コブラやそれと同世代の武装ヘリを採用している様な国だ。
それらの国が攻撃(武装)ヘリの後継機を選定する際に、価格の高いアパッチを既存のコブラ等と同数程度採用するのは困難と判断した時、私たちのサーペントが機種選定の有力候補になるという考えだ。
或いは自国軍の戦力強化の為攻撃・戦闘ヘリの部隊を増強しようと考えた新興国に対しても同様である。
そもそも基本設計が古いコブラや同世代の機体に対して、設計が新しいサーペントは性能と価格の面だけでは無く、将来の発展性に関しても有利に働くだろう。
機体の説明はこの辺でいいか。
まあ結局、地上で色々と言ったってパイロットとしては与えられた機体の能力を最大限発揮させて任務を達成するだけなんだけどね。
「今ここにある機体が世界最高の機体」よ。
PR(飛行前点検)も異常なし。さあ、いよいよフライトね。
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