第7話 皆さん、初めまして
私とサッドは飛行班のある事務棟を出て、管制塔がある建物へ向かった。
そこの1階には、フライトプランの提出先である運航事務所がある。
「今度うちに来た新人、クマ・アテラザワだ。みんな、よろしく頼む」
「ああ、あの時のミス・ジュリエットか。とうとうここに来たのか、こちらこそ、よろしく」
「その節は、大変お世話になりました。よろしくお願いします」
うん、そりゃあ、あの事件の当事者だもの、覚えられてるよね。
「ここでは、フライトプランの提出の他に、各種飛行情報の確認もできる。そこの掲示板に最新の情報が貼りだされているから、プランを提出した際は確認する事」
なるほど、ここではNOTAM(ノータム)が確認できるのね。
えっと、ノータムって言うのは、Notice To Airmenの頭文字から取った言葉で、パイロットに知らせるべき航空情報、特に危険にかかわるものを通知するものよ。
例えば、飛行場の近くにパイルドライバーや、クレーンが使われる工事現場がある場合、離着陸に影響する可能性が有るのでその場所や使用機材の地面からの高さが通知されるのよ。その他によくあるのは、ファイヤーワークス(花火)に関する情報ね。
「どれどれ、なんか情報はあるかな~」
うーん、この155Hって何かしら、だいぶ広いエリアと高さが範囲指定されてるけど。
「ねえサッド、これって何のことですか」
「ああ、それは軍の射撃情報だ。155HっていうのはM777 155mm Howitzer(ハウイッツァー)、つまり155mm榴弾砲の事さ。ジュリエットは軍務経験無しでうちに入社したから、あまり馴染みがないかもしれないが。まあ、これからその手の用語も勉強してくれ」
「へえー、大砲の弾ってこんな高度まで上がってくるんだ。知らなかったわ」
「砲弾を山なりに飛ばすからな、いわゆる曲射火器って呼ばれるものだ。その他にはmortar(モーター)ってのも有るから覚えておけ」
「モーター?発動機じゃくて、迫撃砲?」
掲示板には、その他にもmowing(モウイング)、つまり飛行場の草刈りのスケジュールなんかも貼りだされていた。
飛行場って、滑走路や誘導路、エプロンなんかの舗装されてる所を除けば、その広大な敷地のほとんどが草地になってるのよね、だから結構野生動物が住み着いていて、キツネやタヌキを見かける所もあるのよ。
「あ、そうだサッド。AIPもここでいいの?」
「そうだ、運航事務所の職員に言えば、閲覧できる。貸し出しはしてないから、ここで見るだけだが」
「りょーかい」
AIPとは、aeronautical information publication(エアロノーティカル インフォメーション パブリケーション)の事で日本語訳は航空路誌。
国内に有る各飛行場の諸元、つまり滑走路や、誘導路の図解、灯火類などの保安施設の種類などがそれぞれの飛行場毎に記載されている。AIPにはその他にも、通信、航空気象、航空交通規則、航空図、計器進入方式図等々の情報がまとめられていて、革製の立派な表紙の非常に分厚い冊子になっているのだ。
AIPには永続的な性質の情報が記載され、修正事項や新しい情報はページを差換えたり追加したりする。
しかし急を要する内容や、短期的な情報は先程のNOTAM(ノータム)として提供されるのだ。
「よしジュリエット、次に行くぞ」
はい。運航事務所と廊下を挟んで向かい側にあるのが、気象班ね。
パイロットにとって、天気はとても大事。冗談じゃなく命に係わる。
飛行学校でも気象学は、徹底して叩き込まれる。天気図を読めるのはもちろん、自分で予報も出来る様にならなければならない。
フライトする場合はまず自分で天候を判断し、その上で気象班の専門家に確認をするのだ。
ヘリコプターは飛行場以外を拠点として活動する場合も多い、現地に気象班がいない事などざらに有る。例えリモートでアドバイスを貰う様な場合でも、状況を的確に伝える事が出来なければ、相手も正確な判断が出来ないだろう。
飛行の度に提出するフライトプランには、サインをする欄が3箇所あり、一つ目は機長、二つ目が気象班の予報官、その二つのサインを貰った後、最後に運航事務所に提出し、運航係の責任者にサインを貰って完了となる。それだけ天候は重要視されているのだ。
気象班の壁には、最新の天気図や、数時間後の予想天気図、その他風の様子がわかる専門的なものを始めとする各種情報図が貼りだされている。
また予報官が座っているカウンターには、パソコンのモニターが設置されていて、気象班のパソコンと連動して、国内の空港の気象現況が確認できるようになっている。
この気象端末は、飛行班の事務所にも一台設置されていて、そちらからでも天気図や他の飛行場の天気、その他各種気象情報を確認できる様になっている。
飛行場に勤務している予報官は、自分の飛行場とその周辺の局地気象に関しては相当の精度を持っているのよ、ホント頼れる人達なの。
ただし、いくら頼れる予報官と雖も最終的な判断と責任はやはりパイロットが持たなくちゃならないわ。だって、一度飛び立ってしまったら、空の上じゃ自分以外には頼れるものは何も無いから。空中で起きるトラブルは自分で解決しなきゃならない。
だから、パイロットはフライトが終わったら必ず気象班に顔を出して実際のフライト中の天気について、予報官に報告するの。
予報官の方も、自分の予報がどうだったか結果を知ってそれを今後の予報にフィードバック出来るしね。
実際に命が懸かっているのは、パイロットの方だけど、相手の命が懸かっている予報官の方がある意味プレッシャーは大きいのかもしれないわね。予報が100パーセント的中する事なんて無いんだから。
パイロットと予報官の関係って、だから独特なものになるみたい。お互いの年齢や、経験を抜きにして対等な関係っていうのかしら。
飛行訓練生時代の話だけど、飛行学校の有った飛行場の予報官は、私達訓練生に対しても決して馬鹿にしたり侮ったりせずに空を飛ぶ者として敬意を持って接してくれたわ。
「皆さん、これからお世話になります。よろしくお願いします」
「「よろしく~」」
「よし、最後は戻って格納庫に行くぞ」
「はい」
新築された格納庫は、初めて訪れたあの時の印象と変わらないものだった。
それは飛行学校の格納庫でも感じた事で、不思議とどこの飛行場にある格納庫でも受ける印象や感じる雰囲気が似ていて安心感がある。
サッドは整備員と挨拶を交わしながら、格納庫の中を抜けて事務室に向かう。
「ジュリエット、格納庫内の大まかな配置だが、正面から入って右が整備班の事務室。その隣が俺たちのヘルメットやサバイバル・ジャケット(救命胴衣)なんかを格納している部屋になっていて、格納庫奥の突き当りが航空機の部品庫だ」
そして、そのまま事務室の扉を開けて中に入っていく。
そこは机や椅子、ちょっとした茶器セットなんかがある休憩室になっていて、何人かの整備員が寛いで談笑していた。
「みんな、本日付けで配置された飛行班の新人、クマ・アテラザワだ。よろしく頼む。
班長は隣かい」
「はい、事務作業をしてますよ」
気安い感じで、一人の整備員が教えてくれた。
私は挨拶しながらサッドに続いて、休憩室と続きの部屋になっている事務室へと入った。
休憩室と事務室との扉は開いた状態で固定されている。つまり、班長クラスの管理者と現場の間に対立状況や、深刻な問題が無く良好な関係が維持されているという事なのだろう。
そこでは、机に座って5人程が仕事をしていた。サッドは一番奥の窓を背にした机でパソコンに向かっている人物に声をかける。
「ラークシィ班長、新人のクマ・アテラザワだ」
「クマ・アテラザワです。宜しくお願いします」
「ああ、着任は今日でしたか。整備班長のシートキア・ラークシィです。整備班へようこそ、歓迎しますよ。」
この人も元軍人なんだろうか、とても若く見える。30歳は行ってないんじゃないかな、イメージしてた整備班を束ねる頑固親父とは真逆のスマートなタイプだ。
ちょっと線が細い印象で年の割には頭髪がちょっと心許ないかしら。ただし、それが妙に似合っていて一見冷たい印象を抱かせる風貌を柔らかく見せている。禿げてても(いや、薄毛なだけで禿げじゃ無いんだけど)カッコいいってちょっとズルいわ。
「こちらが、整備先任のゲルダ・トーシュカさんです。現場の事は、彼女に一任しています」
その整備班長から紹介されたのは、彼の隣の机を占領している眼鏡の女性で、現場の整備員を束ねているとはとても思えない、フワフワした印象のおっとりした優し気な人だった。
「あら~、今度の新人さんはとっても可愛らしいのね。
整備先任のゲルダ・トーシュカよ。気軽に遊びに来てね」
ゲルダ先任は、机からわざわざ立ち上がって挨拶をしてくれた。
で、でかい。なにがっておっぱいが、それとおしりも。所謂ダイナマイト・バディというヤツだ。決して若くは無い(多分、整備班長よりも年上っぽい)けど、その分溢れる母性が凄い。色気も半端ないけど、それをお母さん感が上回っている感じだ。うーん、この奇跡のバランス。って言うか、今でこのレベルだから若い頃はどんなだったか。まあ、さぞおモテになったに違いない。
でも整備班長の言った通り、このおっとりした女性が整備班の先任として現場を取り仕切っているのだから、見た目とは関係なく腕は確かなんだろう。
航空機の整備に携わっている人達っていうのは、一癖も二癖もある一筋縄ではいかないタイプが多い。所謂職人気質なのだ。とにかく皆自分の整備の腕に自信を持っている。或いは、まだ経験が足りないと自覚している者でも、こと整備に関しては部外者に口を挟ませないプライドが有る。
航空機を1機任されている機付長ともなれば、自分の担当する機体の整備をするのは当然、フライトがあれば飛行前点検から離陸まで、そして帰投したなら飛行後点検から格納まで、ヘリが空中にいる時間を除き全ての面倒を見るのだ。
パイロットがせいぜい飛行している2時間から3時間程度しか航空機に触れていないのに対して、整備員はそれ以外の全ての時間を航空機につぎ込んでいる。パイロットが飛行の度に違った航空機を操縦するのに対して、機付長は自分の担当する機体が固定されている。だから自分の機体は隅々まで知り尽くしているし、継続的に長く一つの機体に係わっているからちょっとした調子の良し悪しにいち早く気が付く事が出来る。それに書類に載せない様な微妙な癖を把握しており、正に愛機という感情を持って接しているのだ。
たぶん機付長をしてる整備員の大部分は、フライトの時だけ自分の機体を一時的にパイロットに貸しているっていう感覚なのだと思うわ。
繰り返しになるけど、そんな整備員達を現場でまとめているんだから、この眼鏡のおっとりお姉さん(お母さん?)も見た目通りの人じゃ無いって事ね。
「では、失礼します」
「またね~」
ひらひらと手を振るゲルダ先任に別れを告げ私達は整備班の事務室を退出する。
私とサッドは、来た時と同じく整備員の休憩室を経由して格納庫を後にした。
因みに整備班長達が居た事務室には、外から直接通じる扉もあったのよ。当然サッドもそれは知っている筈だわ。でもね、わざわざ遠回りをして整備員の休憩室を経由して移動していたに違いないと思うの。
そう、整備員とのコミュニケーションはとっても大切よ。でも、それをわざわざ言ったりはしないの。もしかしたら、無意識なのかもね。
パイロットっていうのは、自分の性格を大雑把に見せたがる傾向があるのよ。って言うか、実際に自分の事を大雑把だと思ってる人もいるみたい。だけど本当に粗雑な性格の人間は、パイロットには向いていないの。
準備の段階は緻密に、そして実行は大胆に。
大抵計画ってものは、その通りに進まない事が多くて、臨機応変、常に状況に応じた柔軟さが重要よ。
時には計画全てを投げ棄てて、新しい状況に対応する事も必要になるわ。特に地上で立てた計画が実際のフライトにおいて狂ってくる事なんて間々あるわ。天候の急変なんかが良い例ね。あとは、広い大空とはいえ一人で飛んでいる訳じゃ無いから、他の航空機との関係も影響するわね。軍事行動じゃ、敵がいる話なんだから、ある程度状況を予測出来ても完璧にコントロールする事なんて不可能じゃないかしら。
えーと、何が言いたかったかと言うと。無頼を気取っていても、周りに気遣いが出来るのが本物のパイロットって事。
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