第13話 OODA(ウーダ)ループ

「ジュリエット、谷の中央を飛ぶんじゃない。左右どちらかの斜面に膚接するんだ、周りから丸見えだぞ。常に背景の活用を意識しろ」

「はい!右に寄せます」

 確かにそうね、幾ら稜線の下を飛行してても見る場所によっちゃ、ぜんぜん隠れてないわ。

「よし、じゃあ右に寄せた理由を言え」

「え、えーと…」

 やっば、特に何も考えて無かったわ。

 て言うか、先ず行動でしょう。

 理由は、えーと。

「ち、近い方に寄せました」

「いいか、常に考えを巡らせるんだ。

 判断に時間を掛け過ぎたり、判断そのものを放棄するのは問題外だ。思い付きでも行動すれば状況は変化するし、こちらがイニシアチブを取れる事もある。

 ただし、行動の結果を常にフィードバックする必要があるぞ、OODA(ウーダ)ループを回すんだ」


「OODAループ」って知ってる?

 アメリカ空軍の戦闘機乗りである、ジョン・リチャード・ボイド(最終階級大佐)が考案した理論よ。

 格闘戦を戦うパイロット個人から、大規模な軍隊を指揮する指揮官に至るまでの意思決定プロセスを分かりやすく理論化したものなの。

 最近は軍事以外にもビジネスやスポーツにも適用できるって事で、耳にした事がある人もいるかもね。

 OODA(ウーダ)ループは、それだけで一冊の本が出ているくらいよ。だから詳しくは説明しないけど、大雑把に言えばこんな感じかしら。

 OODAって言うのは次の4つ

「Observetion 観察」

「Orientation 方向付け」

「Decision 決定」

「Action 行動」

 の頭文字から取った言葉なの。

 人の意思決定を「観察」からスタートして「方向付け」「決定」を経て「行動」に移し、「行動」によって生じる状況の変化をフィードバックし再度「観察」へと至るっていうループとして示したものなのよ。

 ループって言っても、O→O→D→A→で再びOって言うような一方通行の単純な回転じゃ無いのが特徴かしら。状況によっては逆向きの流れが有るし、一つ飛ばして次の項目に行く場合もあるのよ。

 つまり、OODAループは単純な一次元のサイクルでは無いって事ね。

 ボイド大佐が説明で使用したOODAループの図には、O(観察)、O(方向付け)、D(決定)、A(行動)、の各構成要素に複雑に矢印が繋がっているわ。その結果、表面的にはループの一部をバイパスする事が可能となって自らの時間軸を圧縮、敵の時間軸を引き延ばす事が可能となってるの。

 結果から見ればループを短時間で回しているように見えるけれど、単純に高速でループを回転させてる訳じゃ無いのよ。

 自分と相手との間にループの回転差が出来れば、敵はこちらが行動によって作り出した状況の変化に対応して行動したとしても、その時には既にこちらは違う(新しい)状況に基づいて行動しているから敵の行動は既に状況に適さなくなっているって訳ね。

 ボイド大佐がどんな人だったかを紹介すると、朝鮮戦争を戦闘機パイロットとして戦って、終戦後は「空軍戦闘機兵器学校」(現空軍兵器学校)の教官として勤務。学生相手の飛行訓練でどんな不利な状況からでも40秒あれば逆転できた事から「40秒ボイド」って呼ばれていたそうよ。


「ジュリエット、右に寄せたのは正解だ。

 俺も右斜面に寄って飛ぶだろう、ただし理由は近いからじゃ無いぞ。

 今回のフライトでは特に敵に関しては設定していないからそれに関しての具体的な考慮事項は無いが、それ以外にも考えなければならない事は沢山ある、例えば気象だ。

 太陽の方向はどうだ、影になっている斜面を飛行した方が視認性は低くなるぞ」

「はい!」

 うへー、こっちは計画した経路を飛ぶだけでも一杯いっぱいなのに~。

 そんな指導を受けつつも、ヘリは高速で山の中を飛び続ける。

 飛行高度が高い時は100kt(ノット)だろうと、150ktだろうと比較出来る対象物が遠いから速度感がほとんど無いけど、さすがに地面に近いと速さが実感出来るわ。

 斜面に生えてる木々の梢が次々と足元へ吸い込まれるように消えていき、もう次の屈曲部が迫ってくる。

 速度は有るが十分対処出来る余裕が有る、ただ飛ぶだけならだけど。

「ジュリエット、今何処を飛んでるか分かるか」

 え、何処って。

 近づく谷のカーブに沿って右に旋回すると、正面に青い屋根の民家が数軒見えてきた。

 ん、民家?

 私は、飛行服の太腿にクリップで止めてある地図へ素早く視線を落とす。

 低空を飛行しているから悠長にしてる時間は無い、地図の確認も瞬間的に行わなければならないわ。飛行経路上に集落ってあったっけ?いや、無いわ。

 どういう事?経路を間違えたって事?

 疑問に思う私にかまわず、ヘリは谷底を高速で進んで行く。

 ヘリは飛び続けているんだ、思考停止してる場合じゃない。まず民家の直上を飛ぶわけにはいかない、稜線から上に出てしまうけど高度を取って安全間隔を確保しなきゃ。

 ヘリを右斜面に沿って上昇させながら、もう一度地図を確認する。

 低空を操縦しながら地図の確認なんて、あ~もう。焦って現在位置の標定がなかなか出来ないわ。

「サッド、ロスト・ポジションしました」(迷子になっちゃいました)

 とりあえず、現状を機長に報告してクルー間の認識統一を図らなきゃ。

「よし、アイハブ(アイハブ・コントロール)」

 あ~、サッドに操縦交代を宣言されちゃった。くっそ~。

「ユーハブ・サー」

 悔しがってるだけじゃ駄目ね。サッドの指示で操縦を交代した私は、直ぐに地図を確認する。

「ルック・インサイド、地図を確認します」

 ここで忘れずにサッドに対して自分が外の見張りをしていない事を告げる。タンデム配置のコクピットではお互いが何をしてるのか見えない為、言葉で確実に伝達する必要が有るのよ。相手も見てるだろう、分かってるだろうで墜落してちゃね。

 操縦から解放された私は、改めて地図を確認する。うん、やっぱり現在位置が分からない、正しい経路から外れているのは確かだけど、ここどこ。

「ジュリエット、経路を間違ったと思った時は既知点、つまりここまでは確実に正しい経路を飛んでいた事が分かる場所まで戻ってそこから改めて経路を再開するのが最善の策だ。

 現在地が良く分からないまま多分こっちが正しい経路だろうなんて考えて飛行したらとんでもない事になるぞ」

「了解です」

「よし、じゃあ俺が操縦するから分かっている地点まで誘導してみろ」

「はい!」

 何処で経路を逸脱したかなんて分かるかしら、直進すべき所で旋回しちゃったか、はたまた旋回が早かったか。う~んと。

 いや待て待て、サッドは何て言った。

 そうだ、〈間違えた場所〉じゃなく〈正しいと分かっている場所〉まで戻るって言ったよね。似てるけど意味は全く違うわ、そこ大事よ。

 えーと。じゃあ、あそこか。

「サッド、このまま経路を逆に飛行して、稜線を二つ越えて。

 二つ目の稜線の斜面に赤い花が沢山咲いてたわよね、凄く鮮やかな赤い花。そこまでは正しい経路を飛行していたわ」

「了解した、確かに山躑躅が群生していたな」

 あ、あの赤い花ヤマツツジって言うんだ。

 斜面に固まって何ヶ所にも咲いてたから覚えてたわ。緑の木々を背景にして鮮やかな赤い色が凄く綺麗だった。

 サッドの操縦で経路を戻りながら私は地図を確認し、経路を頭に叩き込む。

 低空飛行する場合、いちいち地図を確認出来ない場合の方が多い。飛行経路はフライト前に目を通して、後は必要に応じて瞬間的に地図を確認するしか無い。

 見えてきた、あそこだ。ヤマツツジ!

 ヘリが瞬間、気流に煽られた様に揺れたけど、すぐ安定を取り戻した。

「よしユーハブ、交代だ」

「アイハブ・サー!」

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