第15話 マイクロバーストって美味しいの?
さっきサッドが言った〈ウィンド・シア〉とは何か。
地面に平行な風の成分が、高度方向に変化することだ。
つまり、高度の変化に伴って風向風速が変化することである。一定の高度を維持して飛行する場合は影響が無いが、上昇や降下をする場合、例えば降下中の場合などは高度が下がるに従って向かい風が減少して追い風に変化するような状態である。当然、逆に追い風から向かい風に変化する場合もある。
そして本命の
【マイクロ・バースト】
別名ダウン・バースト、局地的に発生する強烈な下降流の事だ。
マイクロ・バーストが発生すると、地表面付近では放射状の下向きの空気の流れが生まれる。その中を航空機が通過するのは非常に危険である、特に低空においては致命的だ。
もう少し詳しく説明しよう。
マイクロバーストによって風は、上空から地面に向けて真っ直ぐ吹き下ろしてくる、そして地面に当たった風は四方へと放射状に広がって行く。
当然地面に当たった直後の風は十分に強く、それが広がって行くに従って風の勢いは次第に弱くなって行く。
そこへ何も知らない航空機が着陸の為に突っ込んで行く。着陸する為なのだから当然低空である。
さて、するとどうなるだろうか。
航空機から見れば、まず徐々に向かい風が増えて行く事になる。マイクロバーストの中心に向かうにつれて風が強くなって行くのだ。
ここで注意しなければならないのは、向かい風が増えるという事は揚力も増えるという事である。従って高度を一定に維持するためにパイロットは操縦桿を前に押す、つまり機首を下げる必要があるのだ。パワーも当然絞るだろう。
風は更に強くなる、風に対する修正操作も大きくなる。
そしてマイクロバーストの中心に一番近づいた時、向かい風は最大となる、修正操作も最大だ。
しかしその後、突然機体に対する向かい風は無くなってしまう。そう、マイクロバーストの中心部分は上空からの垂直な吹き下ろし領域なのだ。
向かい風が無くなるという事は揚力が減少するという事である、機体は当然降下する。そして更に機体は強い下降流の中にいるのだ。
向かい風が無くなって対気速度が減少したら、当然パイロットは機体の失速を避ける為機首を下げて降下し速度を得ようとする。パイロットにとっては速度こそが絶対に必要なものだからだ。
速度を失えば失速して石ころのように墜落するしかない。だから機体を降下させて位置エネルギーを速度エネルギーに変換しようとする。
恐ろしいのは、ここから更に機体は追い風の領域に入るという事なのだ。下降流を抜けた航空機は後ろからの風によって再び対気速度が減少し始める、当然揚力も減少し機体は急激に降下し続ける。
スロットルはすでに最大出力、着陸に備えて低空を飛行していた為これ以上高度は下げられない。
さあ、どうする?
この時墜落を避ける正しい操作は操縦桿を引く事。失速ギリギリまで機首を引き起こし、そのギリギリの速度でひたすら機体が加速するのを待つのだ。
操縦桿を引きすぎれば失速して墜落。引くのが少なくても機体が沈んで墜落だ。普段速度が減少した場合にするべき操作は操縦桿を押す事、しかしこの場合は逆になるのだ。
風のシアの恐ろしさが広く世界に広まったのは、マイクロ・バーストに遭遇して墜落した航空事故の中で奇跡的に乗員が生き残った事例があった為である。
その時の状況をフライト・シミュレーターを用いて解析したのだが、事故機は9秒で回復操作を行っていた。しかし、事故を回避するためにはなんと6秒で回復操作を終了させなくてはならなかったという結果が出たのだ。
9秒と6秒の差、僅か3秒。そういう世界に私たちは生きているのだ。
但し、今の話は旅客機での事。実はヘリは速度にそこまでシビアでは無い、何故ならヘリの翼は自ら回転することで揚力を発生させているからである。固定翼機の様に前進する事で翼に揚力を発生させてる訳では無い。
しかしながら、やはり速度、と言うか風に関する要素は重要だ。最終的に速度0のホバリングでアプローチを終了させるとしても、風の状況を適切に判断してパワーを管理しないと地面に叩きつけられるのは一緒である。
因みにヘリの回転翼も場合によっては失速する、その詳しい話はまた今度。
私たちのヘリは順調に高度を下げてアプローチを継続している。
「よしジュリエット、もう速度計は追うな。速度は地面の流れで判断、高度も同じだ。
コレクティブちょい上げ」
アプローチもいよいよ末期、マイクロ・バーストによる背風の影響で機体の沈みが大きいわ。
使ったコレクティブの量からイメージした降下率よりも更に沈み込む感じよ。サッドの指示で早めにコレクティブを使用したからコントロール出来てるけど、それでもちょっと怖いわね。
「ホバリングに移行する。
背風だからいつものトルクより、コレクティブは多めに使うぞ、機体の沈みを感じるんだ」
「はいホバ移行。
パワー使用、停止用ー意、停止」
ヘリは当初の私のアプローチ計画通りランウェイ上3ft、G(ゴルフ)タクシーウェイとの交点にピタリと停止。
私達は無事アプローチを終了した。
「レントン・タワー、サーペント09。リクエスト、タクシーバック」
さて、エプロンへ帰りましょうか。
私がエプロンへ帰投する為の操作を行なっている間にサッドは先程のマイクロバーストの件をタワーに無線で報告していた。
エプロン上の駐機スポットでは、誘導の整備員が待っている。
「よしジュリエット、スポットのHマークにピッタリとスキッドを合わせて接地だ」
「…了解」
あー、しまった。スポットのHに合わせて降りるのは基本中の基本よ、機体をどれだけ自分の思うままに操れるか、パイロットの技量が如実に現れる場面だわ。
ホバリンクを安定させるには一点を見ていたら駄目だし、そもそもこの機体は私のお尻の下に機関砲が有るから下が全く見えないのよ。それに接地の為に高度を下げればローターからのダウン・ウォッシュ(吹き下ろし風)が地面で複雑に変化して機体をより不安定にさせるわ。
自分の機体のスキッドも見えない、合わせるべきHマークも見えない。そんな状況でどうやって狙った場所にピンポイントで接地すればいいのか。
答えは最初にホバリングに移る前、まだ機体が地上にある内に操縦席から周りがどんな風に見えるのかを確認しておく事なの。スポットのHマークが直接見えなくても、周りの丸くペイントされた部分がコンソールパネルのバッフルのどの辺と重なって見えるとか、エプロンの舗装の継ぎ目とキャノピー・フレームとの交点はどこかとか、事前に具体的な目標を把握しておく事なのよ。
飛び立つ前から既に着陸のコトを考えてなきゃいけないの。
フライトって万事がそんな感じなのよね。アプローチが上手くいかないのは、ファイナルに上手く乗せられないから。ファイナルに上手く乗れないのはベースターンがダメだから。フライトが上手くいかないのはそもそも離陸がダメだから。そんな風に全てが繋がってるって考えね。
結論。
それなのに私ってば地上にいるとき目標を全く把握してませんでした、どうしよ~。
「しょうが無い、オマケだ。DAS(ダス)のビジュアル・モードを入れていいぞ」
「了解!」
接地をためらっているのを見かねたサッドが助け舟を出してくれた。私はすぐさま右手のサイクリック・スティックに付いている4ポイント・スイッチ(前後左右の4方向と上から押し込む操作が出来るちょっと大きめのスイッチで表面は指が滑らない様にギザギザが付いている)を操作した。
すると、私のヘルメットのバイザーに合成されたIR(InfraRed:赤外線)画像が投影される。この機能の何が凄いって、IR(赤外線)画像が上下左右360°カバーしてるって事。つまり私が下を向くと、私の足も床も透かして機体の下の映像が見えるって事なの!
後を向いても同じよ、本来ならトランスミッションやエンジンに遮られて見えない死角になってる場所もきちんとその映像がバイザーに映し出されるの。
DAS(Distributed Aperture System:ダス)について説明するわね。
これはこのヘリコプター、サーペントが力を入れているセールスポイントの一つなんだけど、センサー融合と言われる技術なの。
簡単に言うと(って言うか私の理解では詳しい事は… さ、察してね)、サーペントが装備するレーダーや電子・光学センサー、攻撃・防御用センサーが検知した各種情報を、一元化してパイロットに提供する技術ね。
今までは、それぞれのセンサー毎に個別の表示装置で情報を知らせていたんだけど、それだとパイロットが頭の中でその各種情報を組み合わせて再構成しそれに対応しなきゃならないじゃない。でも最新の技術では各種センサーをデジタルで結んで、その情報を更にコンピューターを使って一元化する事で一つの表示装置に映し出せる様にしたって訳。
で、前にも説明したけどサーペントのコクピットはDASに対応してメインのコンソールパネルを大型のTFTディスプレイ1枚にしたの。ディスプレイは、大型の一枚の画面を適宜状況に応じ分割して表示する方式だし、更にHUD(ハッド:ヘッドアップ・ディスプレイ)も廃止して、新たにHMDS(ヘルメット・マウント・ディスプレイ・システム)を採用してるのもそうね。
特にHMDSはパイロットのワークロード軽減にも大きく貢献してるわ。今までのHUDだと計器盤の上に置かれたデュアル・コンバイナーって言う重なった2枚のガラス板に各種情報を映し出していたんだけど、それだと当然顔を正面に向けていないと情報を読み取れなかったの。それでも外の景色と重ねて情報を読み取ることが出来たから、それまでの外を見るか計器を見るかの2択じゃ無くなっただけましだったんだけどね。ところがHMDSは自身の頭の動きに表示も追随してくれるから、より状況認識能力が高まって任務にも集中できる様になったのよ。
で、DASの機能の一部には、光学画像処理技術を併用した赤外線画像のヘルメット・バイザーへの投影も含まれるって事、それがビジュアル・モードなのよ。
最初からこのモードを使っとけば良かったって思うかもだけど、他のモードは基本直感的に操作が可能だけどビジュアル・モードだけは外の景色にIR(赤外線)画像を重ねて見る必要が有るから、使いこなすにはある程度の慣れと訓練が必要なのよ、残念だけど私はまだそのレベルには無いって事ね。今はまだ基礎練成の段階なんだから、これからよ。
DASの採用からも分かる通り、サーペントはシングル・エンジンやスキッド式の降着装置の採用で予算や技術的なハードルを下げているけど、搭載電子機器には妥協せずに最新の技術を導入しているの。
って訳で。よーし、足元も見えるしビシッと決めるわよ。
と、思っていた時期が私にも有りました、ホントすみません。いくら周りが見えても接地の為の具体的な目標を持っていなくちゃHマークに合わせての着陸なんて無理です。トホホ。
いやー、なんとかHマークの外側の大きな円の中にスキッドを納めるだけで精一杯でした。
エンジンをカットした私達は、機体を軽く点検して後は機付長へ任せ、運航事務所のある建物へと向かった。フライト・プランのクローズと気象班へのマイクロ・バーストの詳しい報告の為よ。
◆
さて、飛行班へと戻ってきたけれどこれで訓練が終了した訳では無いわ。
これから、サッドと二人でデ・ブリーフィングよ。フライト中にも色々と指導を受けたけど、地上に戻ってからも記憶が新鮮な内に訓練を振り返るの。
これはね、ただ単に上手く出来なかった事を反省するだけでは無いのよ。事前に計画した訓練に対して実際のフライトではどうだったのか、場面毎の判断事項と何故そう判断したのか、操作は適切だったのか、訓練目標は達成出来たのか、などを話し合う場なの。
教官役の機長パイロットから一方的に指導を受けるんじゃ無くて、どちらかと言うと私の方がイニシアチブを取って進めて行く感じかな。空中では機長と副操縦士、或いは教官と習技者の関係で権威勾配が発生するけど、地上に降りたらお互いライセンスを持ったパイロット同士、技量に優劣はあれど尊重し合う関係を大切にしてるって感じ。ここが飛行学校とは大きく違う点ね。
「…と言う訳で空中でも言ったが最後のアプローチ、俺は口だけしか出さなかった。だから、あの最終進入までの操作は確かにお前の技量を示している。判断さえもっと早ければ十分に安定したアプローチが出来るって事だ、一回一回のフライトを大切にしてもらいたい。
ま、最後のマイクロ・バーストは余計だったけどな」
「はい、ありがとうござ…」
「信じられねーよ!」
「だから!私は十分回りきれるって、」
私達のデ・ブリーフィングが終わろうかってタイミングでハーレーとダークが飛行班へと戻って来た。なにやら、大声で話している。二人も訓練で飛行していた筈だから、その事に関してだろうけど、いきなり賑やかになっちゃた。それにしても何だろ。
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